横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

元気ですよ

2008年10月20日 22時22分55秒 | 雑記
最近なかなか更新が出来ない。
社宅だった実家が引越しをして都内に移ってきたので、あくっまさんは兄と同居するマンションと行き来しているのだ。
オカンを一人にするわけにはいかない。だがマンションを放置すると、兄がゴミ捨てをしないので小蝿が発生する!

そんな訳でうろうろしながら、主にオカンのところにいたので、なかなか更新できなかった。


父がずっと単身赴任だったせいだろうか、いつかまたひょっこり帰ってくるんじゃないかと期待してしまう。
実家で線香をあげても、他人にやっているようだ。

だが、少しずつ寂しさが募ってきた。
テレビを見て笑い、この事を誰かに話そうと思うと父がいなくなったことに気付く。
何かした時に、父が死んだ事を思い出す。
ようやく、父の死を実感した。


それと時を同じくして、母には今後の収入がいかに少ないかを思い知らせた。
あまりに少ない遺族年金を前に、母は泣いた。
当たり前なのかもしれない、しかし国民年金第3号というのはこんなにも貰える額が少ないのだろうか。
母は遺産を少しでも残さないといけないから父のお金には手をつけない、貧しく暮らすと言い張り、娘はそんな事で普段の生活に重圧をかけないで、暮らしてくれと怒り。


やはり一緒に暮らせなくなって、母と距離を置いた。
週に3~4日母と暮らし、残りを母とはなれて暮らす。
そうでないと、息が詰まる。愛と遺産で絞め殺されそうになる。
娘に甘い父なら、離れるのを許してくれるだろうか。
でも、もう無理だ。同居なんて出来やしない。

セクハラを告発してみる

2008年09月30日 12時05分42秒 | 雑記
先ほどの日記の通り、異動が決まったあくっまさん。
実家の引越しのため夏休みを九月下旬に取っていたこともあり、引継ぎはまったくしていないが、とにかくやらないといけないことがあった。


それは、総務部に蔓延るセクハラとパワハラ。
異動の内示があった3日後、あくっまさんは喫煙室に総務部長を追い詰めた。

喫煙者ではないあくっまさんが喫煙室に入ったことで総務部長は動揺していたが、あくっまさんに「何か話したいことがあるの?」と訊ねるだけの頭は残っていた。
あくっまさんは今までメモにとっていたセクハラ・パワハラを部長に読み上げようとした。部長は「そのメモ頂戴」と言ってきたが「嫌です、こういうものはお渡ししませんよ」と返すと、「ちゃんとお返しするから…あまり読み上げるのも気分良くないでしょ」とその通りな事を言った。

たしかに。
そんな訳で、皆様にご好評なキモエロと貴族様の記録を一挙公開!
気分が悪くなる事を念頭に置いてくださいな。

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(2007年からの記録)

5/17 1700 ペッパーランチの暴行事件の話から風俗の話題へ
5/22 1500 「金庫ケースを中に入れていいと言うと、「本当にいいの、中に入れちゃうよ!」と何度もしつこく言う 卑猥な調子
5/24 1100 生理休暇の話から男性もムラムラ休暇が欲しいと会話
5/28 1000 1400 コンドームの薄さの話をする
6/1 1115 同僚の女性を女豹と呼ぶ 
6/6 1700 経理の女の子に絡み、取引先の社名を「エロイ」」など
6/11 1500 チクビームいいですよね、などとみなに聞こえるように言うと言っている
6/13 1400 おにぎりやの話になり、シモネタ
6/15 1525 社内の人がいない時に「乳繰り合っているんだろう」と言い合う
7月中旬 アルバイトの21歳の女の子が来たら「いい匂い~」と騒ぐ。隣の27歳の女性に向かって「臭い、ここは加齢臭がする」と言う。
7/20 1040 合コンの話を隣の女性に言う。「明日はメロン刈りだな、スイカじゃない。収穫は明日なんだ」

8/1 午前 昨日遊びに行った女の子とどこまでやったか話す
8/8 1300 ダルビッシュとサエコの交際話で「ダルビッシュも中に出すよ」「カルピスの原液みたいに濃いんでしょうね」と話し合う
8/29 1720 ラブホテルの有効性について延々と
10/09 1600 水虫の話から、水虫が痒いという話題になり、「たまたまじゃなくて良かったですね」という
10/10 1515 隣の女性社員のことを「気持ち悪い顔」という
11/7 1250 ある女性社員が彼氏はいるのに関係がないという話で、「ペロリンチョしたい」「開通式したい」という
11/7 1315 誰かが正露丸を飲んで「マ○○臭い」という
1207 1300 池が鉛筆削りのカスを捨てていたら、「おまえの顔みたいに汚いと言う。

0110 1045  ラブホテルの話と女に穴が空いている話 
0124 0955 女と旅行する話 イチゴ狩りと一緒で傷つけないように等
0124 0955 女とセックスする話、一緒に旅行して混浴する話 
1月下旬(30日、31日、25日は特に) A3ファイル持って暴れる、ファイルを乱暴にほうる
、吼える。人目を構わず怒鳴る、派遣社員に叫ぶ。

2008/4/8 950 また乳繰り合う話をしている
2008/9/4 1710 外国で女性とやる話
2008/9/11 1545 女性社員に二度死ねと言う


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書式が統一されていないのは、見えないようにPCメモの文字を背景と一緒の色にして透明のまま書いていたからだ。


部長は2~3行読んだ後、貴族様に注意すると言った。
その後注意した後の話を聞くと、貴族様は「冗談のつもりだった」と答えたらしい。
以後気をつけると言ったそうだが、34歳の男の考えとは思えないと笑ってしまった。


総務部長は「あくっまさんがこのタイミングでなぜ話すか考えたけど、異動するからなんだね~」と言った。
それだけじゃないんだけどね、とあくっまさんは思った。


総務にもいられないので、あくっまさんの職選びはヒートアップ中。

明日から異動です

2008年09月30日 12時05分04秒 | 雑記
サラリーマンなら誰にでもある異動。
あくっまさんの勤めるバブルで時間が止まっていた会社では、女性社員の異動は滅多に無かった。
あっても産休明けで他の部署に回されたり、部署編成で異動になるぐらいだ。
定年後再雇用された女性は、支店の営業部で36年間同じ仕事をして、生き字引になっている


しかし、9月の頭のある日、あくっまさん以下女性社員全員が会議室に集められた。

総務部長「これからは会社の活性化のため、女性社員も異動します…という意見が出て、取締役に『お前から説明しろ』と言われたからこうやって皆さんを集めました。質問無ければ解散しますがいいですか?」
(原文ママ)

あくっまさんはその言い方が釈然としなかったので、部長に質問した。

「私たちは誰の命令で、誰の責任で異動になるんですか。部長の言い方だと誰もが責任を持ちたくなくて漠然とあがった意見で、私たちが振り回されるように思えて気持ち悪い」

総務部長「ごめん、ばれちゃったね。本当は僕の意見でした!」

えー!!

それから解散した後も、総務部長は「あくっまさんは鋭いねー、うそついたのばれちゃったよ」と褒めて(?)いた。
それから二週間後の9月16日。
総務課長にあくっまさんは呼び出された。

総務課長「あくっまさん、先日話があったとおりに異動が決まりました。10月から安全部兼企画部へ異動してください」

詳しく聞くと、安全部の部長があくっまさんを気に入っているらしく、飲み会準備要員(あくっまさんの会社は毎月1日に飲み会があり、それを安全部が準備するのだ)に任命したというのだ。
仕事は5時で終わるが、なかなか憂鬱である。
なぜなら、安全部長はあくっまさんの父の母校と同じで(学年も違って顔見知りではない)、何故か強烈なシンパシィを感じているらしく何かとあくっまさんの父の話をするのだ。

「この子の父親と僕は母校が一緒でね、死んじゃったんだけど一緒に酒が飲みたかったよ」
「この子のお父さんはこの間亡くなってね、僕は母校が大好きで…」

うーん、書きながら憂鬱。
酔っ払う度にこの話が出されるなんて耐えられない。
何より耐えられないのは、酔うと肩に腕を回したり胸をもむ動作をする事だ。
えーん。

気分はドナドナ。


仕事自体は気楽そうだが…ね。
総務の仕事は好きだったので、今はリクナビNEXTを真剣に検索中。
どなたかあくっまさんを雇ってくれそうな方、募集です。

月命日

2008年09月05日 00時38分53秒 | 雑記
本日は父の月命日だった。
一ヶ月経ったのかと、時間の流れについていけない。
あっという間の一ヶ月だったのか、まだ一ヶ月しか経っていないのか。
世界中の人々の中で自分だけ体内にある時間軸がずれているような感覚になる。

時間の流れが残酷なのか、優しいものなのか分からない。
少なくとも、まだ父の遺影が他人のように見える。
そしてこの一ヶ月の間に母と私は年をとった。

まだただ毎日、目の前にあるやるべき事だけしか出来ない日が続くように思われる。




あるネットの片隅で、知り合いに今の状況を知らせた。
本来知らせたい友人にはちゃんと電話で現在の状況と、会う力はないけれど元気だと自分から知らせていた。
しかし、そういう事情を知らない知り合いからは、今までと変わらず「会いたい」
「話したい」「相談に乗ってくれ」という連絡を度々受けた。
丁度夏休みの時期だから連絡が重なったのだが、その度に父が亡くなったこと、会う力が湧かない事を伝えるのが、あくっまさんはしんどくなってしまった。
だから、ネットを通じて状況を知らせた。
その際には、あくっまさん自身の現在の状況を以下のように知らせた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~
告げられなかった方々、突然で驚いたと思う。
人に死を知らせるというのは気力と体力がいることなので、出来なかった。
今は「ご愁傷様です!」と言われても、返す元気が無いことをわかってほしい。
見るのも力が要ることを、理解してほしい。
会う元気も、電話する力も無いことを、知ってほしい。


すまない、私は弱い人で、あなた方は優しい人だから、「聞かない優しさ」を持ち合わせているのを、期待してしまう。
年賀欠礼を突然出して驚かれる前に、取り急ぎご報告まで。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ネットでしか連絡が取れない方には、こういう形での突然の知らせに申し訳なかったとお伝えしたい。
ネットで連絡をしていただいた方々は、困っているあくっまさんに優しい言葉をかけてくれた。それがとても嬉しかった。

ただ、リアルで伝える事ができなかったので、知り合いとの一斉送信になってしまっておざなりな対応になってしまって、失礼な事を致しました。





リアルではなかなか辛い事になった。
連絡を取りたくないと書いたのだが、読んだ瞬間に電話を掛けてくる人がいた。
連続で二度電話を切ったのに、三度目をかけてくる人だった。
その人は身内に自殺者が二人いる、精神的にも不安定な子だったので、何かあったら夢見が悪いと諦めてあくっまさんは電話に出た。

「あくっまちゃん、今読んだよ!もうね、本当に驚いたよ~!!」

そりゃ驚いただろう。本当に人には知らせなかったのだから。
会社にだって当日まで黙っていたのだから。

「わたしね、ちょー泣きそうなんだけど…」

そうか。

「私も同じ経験があるからわかるよ、あくっまちゃんの気持ち」

そうかそうか。

「こういう時は、もう時の流れに身を任せるしかないの。私もね、あんなに仕事で伝票切るのが嬉しかった時はないよ」

そうかそうかそうか。

そのうち父より若く亡くなった身内の話や残された者の無念さなどを話し始めた。あくっまさんも父の病気の流れと、最初の病院選びの大切さと家族への警告を話したが、彼女への接待トークで電話は切られた。


彼女には昔から悪気が無く自分本位なところがあった。
あくっまさんは「来るものは拒まないが、去るものは追わない」主義なので、気に入った人でないと自分から連絡は取らない。
随分彼女には気付かれず傷つけられた経験があるので、自分からは全く連絡を取らなかったが、彼女はあくっまさんの事を幾分か気に入ってくれているようだった。きっと大抵の人が彼女の元を去るからだろう。

今回も、あくっまさんの父が亡くなった事実を読み、あくっまさんの気持ちを知っても「でも自分はこういう気持ちだったから、あくっまさんの事はわかるし、あくっまさんもそんな自分を理解してくれるだろう」と解釈して電話を熱心に三度もしてきたのかもしれない。

それとも、事実だけを読み、あくっまさんの気持ちは読まないで連絡してきたのかもしれない。昔から、自分の行動に対して他人がどういう反応をするのか無頓着なところが彼女はあった。

いや、もしかしたらあくっまさんの事なんてどうでもよかったのかもしれない。とにかく父が死んだという衝撃を受けた自分の感想を、知らせたかっただけなのかもしれない。


とにかくあくっまさんにとっては、どっちにしろ不快で仕方がなかった。



他人の悲しみを、自分の悲しみで推し量らないで欲しい。




その後もあくっまさんとゆっくり会いたいと連絡をする人たちがいて、辛かった。
そんな時でも、会いたい人には元気になったら会いたいと思うのだから、不思議なものだ。
今は無理でも、すがりたい友人にはすがりたい。
残念な事に、支えあえる友人関係に戻れるほど元気になれるかは、想像できないので。


知らず知らずのうちに肉体の反応で、あくっまさんは友人を線引きしてしまえるようになっていた。
冠婚葬祭は縁の切れ目というが、正しいようだ。


一ヶ月経った。
まだ理解できない。
病室で覗き込んで、父の目が茶色だった事に気付いた。
あくっまさんの目も、よくみたら茶色になっていた。
前はもっと黒かったように思う。
死が近づいているからこんな色になっているのかは分からないが、近づいているのは事実なので、よくわからない。
こんな日に限って、たまたま手に取った伊坂幸太郎の『重力ピエロ』が癌患者の出てくる内容で、父を思い出し、自分達の辿った感情と作者とのズレに綺麗事の気持ち悪さを感じる、楽しくない日だった。

片道切符なんかじゃない!

2008年05月21日 00時29分19秒 | 雑記
昨日、父は母と兄を伴って、名古屋へ旅立った。
正確に言えば母と兄に連れられてなのかもしれない。しかし父は「自分が治療を受けに行く」と考えているので、伴っている意識である。
あくっまさんは木曜金曜と連続で休んだので、月曜は出社した(留守番)

新幹線ホームに叔父(父の弟)がいたそうだ。
元々あくっま家は友人はおろか親戚にも父の病状を語らない。今回は父の余命が2週間という大騒ぎの時に、どうしてもツテが欲しくて両親の兄弟にコネクションを探した経緯があるので、叔父は父の病室に何度も立ち寄っていた。
二人きりの兄弟なのだから、心配なのは当然だろう。

しかし叔父はしきりと「おじいちゃんと一度会ってくれ」などと祖父との面会の事を何度も言い、日曜日になって父も折れて老人ホームから連れ出した祖父と面会させたりした。
父としてはちゃんと東京に帰ってくるつもりだったので大げさにしたくは無かったのだが、案の定叔母(叔父の妻)も連れて二時間もご対面だったらしい。

そして昨日の朝、あくっまさんのケータイに従姉妹からメールが来た。
従姉妹は現在妊娠五ヶ月なのだが、彼女からのメールに「おじさんのお見送りにいけなくてごめんなさい、どうしても行きたかったけど両親に猛反対されて」と書いてあった。

従姉妹は根はいい子なのだが思い込みの激しく暴走しがちなところもあるので、「いやいや、気持ちだけで充分よ。父は元気だけど体力は落ちているから、ちゃんと対応できなかったかもしれないし」とメールした。
このメールで少々不安になったのだが、午後からの母のメールで予感は見事的中。


父の見送りに、叔父どころか叔母と従兄弟(社会人)も新幹線のホームに!


基本的に見舞いも断ってきたのに(叔父本人の見舞いも何度も断っていた)、27歳の従兄弟に会社を休ませてまで、お見送り。
父を勇気付ける為のお見送りなのかもしれない。
だが、今までなるべく身内だけでひっそりやっていた事を、まるで今生の別れのような扱いにされて、母は怒った。
勿論うわべにはにこやかに、そして父にも気配を見せず、兄に対して爆発したらしい。

治療方法のない末期がんの患者が転院する。
そのイメージは、確かに今生の別れなのだろう。だが本人は治療をしに行くつもりなのだ。
今回だけは治療の手立てが必要で、初めてコネというものを探した。その中で母のツテだけが唯一希望となり、転院という運びとなった。
叔父もツテがない中頑張ったと思うが、最後まで「兄貴がヤバイ!」という気持ちの方が先行し、特に母には別れの準備に感じられて大変不快な気持ちになったらしい。

叔父の気持ちもわかるが、ひっそり派のあくっまさんも、そんな大げさにして欲しくないな…と思う、お見送りだった。
いやね、結構体力使うのよ、お見舞い客との対応って。
患者も家族も、時に理不尽と思うほどに。



そんな父は本日、検査した。
その結果、現在のままだと化学療法は受けられないと言われた。
父の受けていたFOLFOXの平均効果期間は約6ヶ月。父は4ヶ月で効果が切れ始め、腸閉塞が起きた。
大腸がんのもう一つの薬、FOLFOLIは、腸閉塞を引き起こす。腸閉塞の患者には使ってはいけない禁忌と言われている。
それを使うなんて、一体どういうやり方なんだろうと思っていたら、知人の医者は両親に向かって「胃と小腸のバイパス手術をする」と伝えたそうだ。
現在腸閉塞の起きている十二指腸周辺を抜かした小腸の場所と繋ぐらしい。

大腸と小腸のバイパス手術をしてまだ3週間と少し。しかもその時バイパス手術をして腸炎を起こしている。危険なのではないかと言うと、医者は「効くか分からないFOLFOXを2ヶ月するより、バイパス手術をすれば治療方法が広がる」と答えたそうだ。

そしてバイパス手術から10日から2週間後に化学療法を行うらしい。
母は「癌専門病院だと4週間は絶対やらないと言っていたのに、なんでそんなに早いのか」と尋ねたら、その病院では術後平均が10日から2週間後に何も無ければ、化学療法を始めるそうだ。
勿論時間を置けば安全だが、早く始めた方が治療成績もいいかららしい。

もし前回の手術から2週間で抗がん剤が再開できたら…そう思うと悔しい。
それが、癌専門病院と総合病院の違いなのだろうか。


癌の手術数は少ないかもしれないが、外科の手術数自体は劣らない。
だからこそ、そんな手術プランが考えられたのかもしれない。
だが、とても怖い。

医者は確かに緩和ケアに回してもおかしくない患者だと言ったそうだ。
それでも、何も食べられないまま緩和へ移行させるのではなく、もっと楽な状態にさせたい。
そして楽な状態になれば、治療に使える薬の数も増えると。
父は手術を受けたいと答えた。



家族としては、とても怖い。
しかし、このまま何もしないでくれ、と言う事も出来ない。
手術が成功しても抗がん剤が効くとは限らない。効いても副作用が強すぎるかもしれない。
何が良いのか分からない。
QOLってなんなんだ。

手術自体は簡単らしいが、会社を休んで応援したい。
そろそろ会社に言い訳するのが辛くなってきた。本日も周りから「二日も休んでどこにいったの?」と聞かれるので「病院です」と正直(?)に答えたら、何もいわれなくなった。
ああ、噂の怖い会社だ。

沢山の否定と、賭け

2008年05月18日 21時44分39秒 | 雑記
怒涛の一週間だった。

セカンドオピニオンへは3箇所行った。
ツテのある医者以外は、どの医者も今の父に化学療法を受けさせるという事は、死期を早めると否定した。
特に父は腸閉塞なので、現在残されている化学療法を受けたら、癌が消す威力よりも副作用の威力の方が早すぎて、残された時間が悪いものになってしまう。
しかし余命など知らない父は、今何もせずじっと死を待つのは嫌だといった。


一週間の流れ
~~~~~~~~~~~~~~~~

月曜日に知人の医者へセカンドオピニオン相談をしたところ、「2週間は言いすぎだ」という事と治療法を書いた報告書をいただいた。
その病院では父の状態でも治療をしているとおっしゃり、家族が慌てすぎないようにと念を押された。

父の入院している病院へ戻ると父は鼻から管が抜けていて、食事を再開していた。形だけでも食事をして、化学療法科へ腸閉塞が解消されて食事が出来ているというアピールをするのだという。
実際、癌の進行が小康状態になっているようだった。
看護婦には「先生方を信じて、そんなに方々へ資料を持っていかないでください」と言われ、余命2週間と言われ私達が急いでやった事が、心象を悪くしていると言われている様で正直ショックを受けた。

しかし、報告書を執刀医に渡したら、「受け入れてくれる病院があるなら、僕の家族が患者ならすぐ連れて行くよ」と言われた。
それほど今の病院では、マニュアル基準が厳しいと言うのだ。
そして昨日、執刀医の予想通り科学療法科の医師に「食事が通るはずもない、1週間試して駄目なら、次の段階を考えてください」と父に告げられた。
またセカンドオピニオン報告書を読んで「僕達はこんなこと怖くて出来ない」と
返された。

父には東海地方の公立の病院に治療の受け入れ先があるから安心して良いよと伝えたが、東京の大病院より知名度が低いので「ジプシーになるつもりはない、ここでやってから考える」と反対を受けた。
父は自分が再発癌という自覚があまり無く、ここでやる、という可能性が低い事があまり理解できないようだった。その次が緩和ケアで、緩和ケアがどういうものかわかって発言しているという事でもなさそうだった。

本を買って冷えとりや温灸の勉強を始めたが、確証や実績が取れていないものに興味が無いのか、私が色々話をしても父はあまり興味を示さなかった。

水曜

父に化学療法科の担当医と部長が来て、今の病院では化学療法は受けられないので緩和ケア科と話をしてくださいと言われた。
闘病生活が半年の父は、まだ他に手があるならと緩和ケアは考えていないようだった。
正直なところ、知人の病院で出された治療法がイリノテカンだったので、腸閉塞を起こしている父にやるのは怖いと家族では思っていまた(化学療法科も話していたが)
今日は会社を休み、都内のある診療所にセカンドオピニオンをして、低容量の化学療法や免疫療法の先生とも話をしてきた。
娘としては、そういう所に通いながら家庭で出来る冷えとりや温灸の自助努力をしつつ、在宅ホスピスのようなイメージで父の病気と闘いたいという気持ちに添っていきたいと思ったが、昨夜の今朝なので父がどう考えているのか。
患者としての父の気持ちを尊重したいと思う。

金曜

他の病院へ受けたら、もう戻ってくる事は出来ないと昨日言われた。
父の状況が良くなれば外来で戻ってこれるそうだが、体調が悪くなった場合は東海地方にいたまま…という事になる。

父は緩和ケアではなく、化学療法を受ける事を望んでいる。
色んな方々からお伺いした化学療法を受けた事の副作用の大きさを考えると躊躇してしまう…今日の家族会議で、意見を一つにまとめようかと思う。

今日も会社を休み、セカンドオピニオン相談をしてきた。
父の症状は進みが早いのでこれ以上の回復は望めない、父の状態で化学療法をするというのは禁忌と言われるやり方で、重篤な状態になる可能性の方が高いといわれた。
父の執刀医は回復を願って、随分と積極的に手術をしてきた、この治療過程は悪くない(むしろ頑張っている)と言われた。
もどがしい。

土曜

本日、家族で話し合った。
父は今のまま緩和ケアを受けるという気持ちは無く、化学療法を受けたいという話をした。
今の病院の方が治療実績もある。東海の病院もがん診療拠点病院だが、色んな本で名医と書かれるレベルの人が、今の病院の執刀医(外科)だった。
父が執刀医に化学療法を受けたいという気持ちを今朝告げたところ、「ちゃんとした病院で化学療法が受けられる、一か八かもしれないけれど受けなさい」といったそうだ。

父はその執刀医の決断力を信じていて、確かにあまり恵まれない父の病歴の中で、外科の手術だけは成功している。
家族としては、この状態の化学療法は危険もかなり高く、何かあっても子ども達が駆けつけられない転院は怖いという気持ちを正直に告げた。
それでも父は、一度でいいから試したいと話した。試さないと、このまま緩和ケアへ移行するのは納得できない、それが父の答えだった。

患者は父自身で、治療を選択するのも父の人生で…色んな方々が辿った話を思い出すと、怖い気持ちの方が強い。
勿論、検査入院をして実際は受けられない可能性もあるが。

自分達が探した、都内で受けられるような低容量の化学療法の診療所については、やはり受けられないといわれた。
理論は分かるが、論文も学術も無いのは怖いと。
病院の先生達にも相談したらしく、押並べて「知人の病院にしなさい、そういう民間療法はやめなさい!」だったらしい。
仮に効果があっても、未承認薬を使い続ける金銭的負担は大変で、続けられなくなったほうがもっと悲しい。
また、重篤な状態になっても、診療所レベルでは緩和ケアを行わず、ほっぽり出される患者達を沢山見てきた、と医師たちは言った。
そうなっても、一度出てしまった患者達を今の病院は受け入れられないそうだ。
化学療法科の診断を否定して、他の病院の治療を受けたかららしい。

知人の病院は最後まで父を見ると言った。
父は、良くなってまたこの病院に帰ってくると言った。

兄も私も母も、不安を思い切りぶつけた。父自身も回診に来た化学療法科に、何度も質問したようだった。
副作用や合併症の高さもたくさん言われたらしいが、ここでは何も出来ないから受け入れ先があって奇跡に賭けたいなら、受けてきなさいと最後に言われたそうだ。
誰にも止められるが、それでもやらないと踏ん切りがつかないのだと思う。
大腸がんステージ1での5年生存率が98.3%で、今のままだと父は1.7%に入っている。それも本当に奇跡のような確率だ。
今回は良い奇跡が起こる事を願っている。

日曜

今日も家族全員で集まってきた。
私は普通の人より指圧があるのか、マッサージをすると喜ばれるので父にやる。

色々な民間療法を調べた。
眉唾物もたくさんあった。効果があるかもしれないとすがりたくなるものもあった。
とりあえず、冷えとり療法と枇杷の葉温灸は昔からある理論なので、やってみようと思った。
ネットで靴下重ね履きセットと枇杷の葉温灸キットを注文したが、肝心の枇杷の木がそばにない。
周りの人に聞いてみると、クラブの先輩の家の庭にあるらしく、すぐに送っていただいた。人の優しさが身にしみた。

今日は枇杷の葉を持っていったが、冷えとり療法がいい、ツボマッサージがいいと最近やっているせいか、理詰めの父は納得できないらしく、宗教にはまってしまいそうだと両親に注意された。
そういう噂は一瞬で広がって、癌に効くからという名目で色んなものが押し寄せてくると。
それで喧嘩してしまい…あくっまさんが一番いけない。癌患者にとってストレスを与えるという事は。
自分だけ空回りしていて、父にも他の家族にも迷惑をかけている。

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慌しい十日間だった。
父と母と兄は、明日東海地方へ行く。
あくっまさんは、木金を休んだ影響で、明日は留守番。
最初は検査入院だから、無理して付いていかなくていいと言われた。

家族一枚岩にならないといけないのに、あくっまさんだけ空回りしている。
笑っていないといけないのに。
頑張らないと。


頑張った人に奇跡が起きるのなら。
頑張る量を、頑張る質を教えて欲しい。
それを越えて頑張るから、奇跡が起きて欲しい。

姑息手術

2008年04月27日 18時55分25秒 | 雑記
父の癌が大腸を圧迫し、腸閉塞になった。
抗がん剤が効いて癌が狭窄し大腸を圧迫したのか、それとも抗がん剤が効かなくなって癌が肥大して圧迫したのかは分からない。
腸閉塞になっている間は抗がん剤治療が受けられない、もちろん食事を取ることも出来ない。
前回の入院から退院して2日後に再入院し、金曜日に腸閉塞を改善させる手術を受けた。
圧迫している癌を取り除くのは大きすぎ、また下手に刺激を与えると増悪するので何も出来ない。

腸閉塞を改善するには、人工肛門にするか、小腸から肛門へのバイパス手術しかなくなった。
しかも相当体内の状態が良くないとバイパス手術はうまくいかない。縫合不全を起こして合併症を起こし、より酷い事態になってしまうからだ。


癌の根治手術ではない手術は、一般的に姑息手術と言われている。
しかし、このまま一ヶ月以上食事を取っていない父を元の生活に戻し、再び抗がん剤治療をするには、姑息手術を受けるしかない。

今の医療訴訟が多い世論を考えると、リスクの高いバイパス手術よりも人工肛門を付けるのが基本だという医師の説明を受け、とにかく管だらけの生活から改善してもらうため父は再び手術台に乗った。

結果として、姑息手術は成功した。
開腹した結果、癌も去年の11月よりは縮小しているのを確認し、予想よりも父の体内状況は良かったようでバイパス手術が行われたようだった。
まだHCEから出ていないが、そろそろ外科病棟に戻って食事が再開されるだろう。

HCEで父を見舞っていると、隣の人の会話がカーテン越しに聞こえてきた。
人工肛門を付けたというのが聞こえている。しかし、先週余命一年と宣告された父と、初めて癌の手術を受けたであろう、そしてそれが根治手術であったであろう隣人とは、カーテン一枚でも運命が大きく隔てられていると感じた。

この仕事をしていると神様なんていないと思いますよ。
化学療法の医師が母に言った台詞だ。


それでも、私達家族は何かにすがって生きている。
そうでないと、生きていけない。
何百人、何千人と絶望の淵に立たされている患者と家族を見てきた医師の言葉は真実かもしれないが、私達にとって父はたった一人で、家族は家族を支えないと生きていけない。
己が悟るのは構わないが、その悟りを患者達に押し付けないで欲しい。

怖い。

時々夢を見たくなる

2008年02月15日 12時38分01秒 | 雑記
独り言を書き殴っただけだが、分かる人がいらっしゃったらアドバイスを下さい。

父の腫瘍マーカーが変だ。
いや、これは今に始まったことではない。ただ、不思議なのだ。

手術を受ける前から、父の腫瘍マーカーの数値は不思議な値を示していた。

CEAは大体4ng前後。
CEAとは「結腸がん・直腸がん・膵がん・胆道がん・肺がん・胃がん・甲状腺がん・乳がん・泌尿器がん・子宮がん・肝細胞がん・食道がん・卵巣がん」の対象となる病気のマーカーで、父のような直腸がんが原発がんの人は、大抵CEAが高い。

CEAの正常値は、文献にもよるが5ng以下。

また、大腸がんの人は、「CA19-9」という腫瘍マーカーの数値も重要となってくる。
このCA19-9がオトンの場合、術前(といってもオトンは手術が出来なかったので、開腹前というのだろうが)は900U/mlだった。

CA19-9の正常値が35U/mlなのだから、非常に高い数値だとわかるだろう。

このCA19-9という腫瘍マーカーが示すがんで特に有名なのは、「すい臓がん」である。



現在、父はFOLFOX4を受けている。CEAは2.0ng、CA19-9は139U/mlだ。


オカンとあくっまさんは最初から医者に言っていた。
「CA19-9がこれだけ高いのは、すい臓がんなんじゃないんですか?原発がんとは違うがんが発生したんじゃないんですか?」

すると医者は答えた。
「原発がんと違うがんが発生することは有りません。あくっま父さんの場合、99.9%大腸がんなんです」


しかし、あのにっくき広島での病院から奪ったカルテとがんのプレパラートを見ると、父のがんは「低分化がん」という非常に治りの悪いがんだった。
だが、今のがん細胞を病理にかけると、「高分化がん」というまだ「低分化がん」よりマシな種類らしい。

よくわからない。
本当に良くわからない。

数値もわからない、がんの種類もわからない。結局「すい臓がんより大腸がんの方がいいんだからFOLFOX療法がいいでしょう。すい臓がんなんて、もっと希望が無いじゃないですか」と医者は父の診断を下し、FOLFOXをやっている。

すい臓がんだと化学療法の幅も予後もずっと未来が無い。それは知っている。
でも、私たちはいつまでそんな適当な扱いを受けつづけるのだろうか。


二週間に一度、両親は化学療法を受けに私たちの家に泊まる。
受ける毎に父の体が老人のように痩せ細り、筋肉というのは重力に引かれ全て滑り落ちているのを見ると、何故こんな事態になってしまったのかという苦しみと混乱が起きる。


それでも実家に帰り、一緒にゲームで遊び、散歩をしていると、時々夢を見たくなる。
このまま何も無かったかのように、日々が過ぎるのではないか。
糖尿病の患者のように、時々メンテナンスを受けながら、それでもずっと生きてくれるのではないか。



昨夜、ゲームをしている兄の横で新聞を開いたら、海外旅行の広告を見つけたので、思わず兄に言った。

「お父さん、また旅行いけるのかな」

楽観主義者の兄は「行けるだろう」と答えた。


勿論食事の選択肢も限られているのだが、少し楽しめることは出来ないだろうか。
だが、口を開いた自分の言葉は残酷だった。

「でも、もう3ヶ月経っちゃったんだよ」

医者に言われたFOLFOXの平均的な抑制効果期間は、10ヶ月。


私たちはいつまでこうしていられるのだろうか。
何を信じていけばいいのだろうか。
誰を頼ればいいのだろうか。
わからないわからない。


誰も助けてくれない、知識も足りない、何より怖い。
会社の脳腫瘍になった人は、「うちは200万円ばら撒いたらしくって、そしたらすぐ手術できて、手術が成功したんだよ」と答えた。
私たちもお金を握らせようとしたのに、先生はお金を受け取ってくれなかった。
額が少なかったのか。
お金をもっと渡せば成功したのか。
成功って何、奇跡って何。


なんで医者は受けるたびに「いやあ、化学療法が受けられてよかったですね」とオカンに言うらしい。
それだけ父は酷い状態だったのか。
なんでそんな笑顔で言うんだ、おまえは医者だろ。

どうしてこんな医者達にすらがないといけないのか。
しかし、実際に治療を受ける父は、ここで良いと言う。
どうして、何で。
わからない、わからない。

このまま何事も無く過ごす夢を見たくなる。
医者に「がんになったんですけど」と言ったら、「ああ、じゃあお薬2週間分出しておきますね」と答えてもらえる時代が来るのを夢見てしまう。

悪い夢を見たときに「これは夢だ」と念じれば覚める。
そのやり方を何度も試す。
でも夢じゃないので、目が覚めない。

悪夢のほうが現実だ。

社会人がしてはいけないこと

2008年02月07日 12時46分18秒 | 雑記
はーい、あくっまさんだよ!
一月に辞めるといったのに、既に2月になっても通勤しているのは、どこのどいつだーい?
アタシだよ!!

という賞味期限直前の危険なネタで始まった、この日記。
でも言葉を加工すれば賞味期限はのびるんだぜ!


そんなわけで。
諸事情により辞めるに辞められなくなった、あくっまさん。
しかし、2月1日に新入社員が入ったことにより、あくっまさんがキモエロの隣の席から移動。
島が変わったことで、キモエロの喘ぎ声やセクハラ発言が聞こえなくなり、仕事がスムーズになった。


…いや、この表現は間違っていない。
本当に喘ぐのだ。


「はあ…はあ…はぁあー!」
「もう…いやだ。こんな仕事…はあ…はぁあ」


嫌いな男の喘ぎ声を一日中聞くのは、大昔悪戯電話で喘ぎながらパンツの色を聞くおじさんと同じぐらい、気色悪い。
いや、顔が見えるのだから、犯罪度はパンツおじさんより高いのかもしれない。
どちらにしろ、わいせつ罪で訴えたいぐらいだ。

ところで男性の皆さん、仕事でパニックになると喘ぐのって、よくある状態なのでしょうか?教えてプリーズ。
職場で喘ぐ人をご存知の方、コメントください。
対処法を知っている人も募集中。


今でこそ気楽に仕事をしているが。
移動が決まるまでの一月下旬は最悪だった。
キモエロの自業自得により、彼の仕事量が増えた。そうして彼の喘ぎ声は激しくなり、ついに怒りが頂点に達したようだった。

我慢の限界を越えたキモエロは、

仕事で使っていたA3のファイルを12冊、放り投げだしたのだ。

「うおおおおおおーー!!!!」

A3のファイル(8センチ幅)が机の上に放り投げられ、「くそー、はぁあ…はあ!!!」と激しく喘ぎながらバッタンバッタン積み重ねていく。
あくっまさん、正直なところ怒りの巻き添えを食らってA3のファイルで殴られる覚悟もした。

しかし旧社会のこの会社。
誰も彼の行動をとがめない。
ただ黙って仕事をするだけ。
そして、何事もなく彼も5時半で帰社。
残業するあくっまさん。


アレ、ナンカオカシクナイ?
別に彼の仕事をしているわけではないが。


そんなこんなであくっまさんもイライラしていた、1月下旬。
社内面談があった。
かねてから「エアコン18度が辛い」と訴えていたあくっまさんは、2月1日に新人が入り、キモエロの仕事を引き継ぐから奇しくも席を移動できるからそれまで我慢してくれと言われた。

その瞬間、満面の笑顔になったのは言うまでもない。
ついでに「何か他にいいたいことはないか」と尋ねられたので、あくっまさんは思い切ってキモエロや縁故で入った人の事を言った。

風俗の話を業務中にするのは嫌な事。
若い女性アルバイトにセクハラまがいのことを言うのはやめて欲しいこと。
キモエロがキモ過ぎて派遣社員が悩んでいたこと。
とてもじゃないが仕事をする姿勢ではないということ。
社外の営業の人にもとてもじゃないが社会人ではない姿で対応していたこと。

あくっま「もう、マナー研修でも何でもいいので彼らを改善できませんか」
課長「…そんな事で済むのなら、とっくの昔にやっているよ」


そんなこんなで、他の女性同僚へのセクハラも話して面談は終わった。


その後も彼はA3ファイルを持って暴れたり、質問にきた派遣社員に「しらねーよ!」と怒鳴って壁に向かって書類を丸めて投げつけたり、非常に見苦しい態度を取っていた。
あまりに酷くて怒鳴って殴りつけてやろうかと思ったが、しらーっと仕事をしている上司や部長、10年以上のベテランを見て、わざわざそんな役回りはする必要ないと無視した。

色々暴れているキモエロの横で引越し作業をし、淡々と席移動を終えると、あくっまさんは一落ち着きした。
キモエロの真後ろに移動しただけなのに、彼の喘ぎ声は聞こえない。
怒鳴り声も聞こえない。
下ネタもあまり聞こえない。昨日「合体きもちいー!」と叫んでいたぐらいだ。

新人君に分かりづらい指示をしながら彼も多少落ち着いてきたのか、それとも仕事が一段楽したのか、彼は今日明日と有給を取った。
ああ、気持ちが楽だ。



そんなわけで。
予想外な事態だが、今のところ元気に通っている。

そっと心にしまっとく

2008年01月18日 11時58分53秒 | 雑記
三連休は面白おかしく過ごし。

連休でぴかてふ坊に借りた「塊魂」を毎夜やっている。やりながら薄々感づいたが、塊魂は食べる前にやってはいけない。
過度なCG酔いで食欲が減退してしまった。
発送を逆転すれば、「塊魂ダイエット」が出来るかもしれない。しかし、料理を作るのは自分自身なので、苦しいことこの上なし!
兄さんヘルプミー!!(あくっま兄は最近残業続き)

というわけで、最近は風呂に入った後、寝る前にプレイする。すると、視界がぐるぐるして悪夢を見る。
ヘルプミー!

というわけで、社会人のゲーム生活は難しいのである。

しかし、あくっまさんの三半規管はかなり発達している。
乗り物でご飯を食べようが、本を読もうが(自家用車だとちょっと厳しい)酔わない。
従ってCG酔いも滅多にしない。

今までCG酔いしたのはファイナルファンタジーⅦで海チョコボを育てるために大陸中ぐるぐるまわった時(17歳)と、クーロンズゲートをプレイしていた時(18歳)ぐらいだ。
うーん、当時よりCG技術は上がっているはずなので、久しぶりの酔いだった。
でもやめられない、止まらない!



そんな感じで健全(?)な日常を送っている。
会社ではますます居場所がなくなっているが、家庭の事情により今のところ退職願提出はままならず。
そして、昨日でとうとう丸々3年在職した事になった。



わー、すごーい!
みんな誉めてくれたまえ。


昨日の送別会で、34歳のデブが女性社員の尻を撫ぜて「エロ博士だー!」なんて言っているのを絶対零度の視線で見てしまったが…。
ああ、、、、終わっている。

こんな感じで周囲に対する態度がつっけんどんになり、あくっまさんは浮いていくのである。



そんなあくっまさんにも会社に対する秘密がある。



皆様鏡開きというのはご存知だろうか。
正月にそなえた餅ををさげて汁粉や雑煮にして食べる行事。一般に1月11日におこなわれるが、4日や7日にさげる所もある…らしい。

そんな訳で、会社にそなえていた鏡餅も、ちゃんと鏡開きする予定だった。


毎年うちの会社では、ホンモノの鏡餅を飾る。
八寸餅(13500円)に昆布やら飾り付けをし、28日から鏡開きの当日まで飾る。
そして餅を砕く。
この作業、大体丸一日かかる。


何故かというと、ホンモノの餅というのは真空パックではないので「カビ」がたかる。約二週間放置してみたら分かると思うが、凄いことになる。
三十センチぐらいの餅が白、黄、青でカビるんるんなのだ!!!!

しかもすっかり水気を失い、固い。


そんな餅をアイスピックやトンカチやで砕き、包丁でカチコチの餅のカビを切り除き、水に浸して電子レンジで温め、もう一度つき直し、皆に配る。


それを3時のオヤツまでにやり、片づける頃には終業の鐘…。
あくっまさんの仕事はそれで終わり。
通常業務は翌日に持ち越し……。


この餅をつき直しても「固い」「まずい」と文句を言われる。
そこで昨年のあくっまさんは、深鍋ホットプレートに餡子を入れて、お汁粉にして煮てしまった。そうすればつく作業が無くて楽であり、何せ煮てしまえば柔らかい。


だが、お汁粉にしたらしたで「しょっぱいのも食べたい」「焼いて」と言われ、しょうゆ餅も作る始末。



そんなこんなで、あくっまさんは鏡開きが大嫌いだった。




しかし、今年の鏡開きは違った。
いきなり七日になったら、総務の男性が鏡餅を片付け始めたのだ。
どうやらネットで「松の内が終わったら正月飾りを片付ける」というのを見つけて、鏡開きの飾りも片付けないといけないと思ったらしい(※前述の通り、鏡開きが七日の地方もある。あくっまさんの会社は11日だが)


七日で鏡餅を片付けた後、彼はダンボールに餅を閉まった。
置き場所が無いので男子ロッカーにしまいながら、「鏡開きの時はちゃんと声を掛けてね」と言っていた。


そして11日。


あくっまさんはすっかり鏡開きを忘れていた。





わざとじゃない!
餅が無くなっていたら忘れるだろう、普通!!!!!






家に帰って母から電話が来て「あんたまた鏡開き大丈夫だった?」と声を掛けられ初めて気づいた。








そして今でも鏡餅は男子ロッカーにある、はず。
このまま心の奥底にそっとしまっておこうと、あくっまさんは思った。