横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

金は巡る

2011年03月31日 08時04分02秒 | Weblog
先日、日本赤十字に募金した。
すると会社のグループ保険の記念キャンペーンに当選し、募金と同額のお食事券が!

お天道様よ、お食事券以上の金額を使い、外食産業を盛り上げろという、お示しか?!

このお食事券、ファミレスチェーン店がほとんどだけど?!?!

そんなわけで、金は天下のまわりもの←誤用

届きました

2011年03月30日 07時11分47秒 | Weblog
先日、石巻市に住んでいる人に給与明細を送った。
2月まで働いていたので、3月の明細には残業代しかのってこないのだが、それだけ送るのに心苦しさを感じたので、自分勝手だがパンを三つとキャラメルと手紙を詰めて、石巻市に送った。

それが届いたと、昨日わざわざお礼の電話をくれた。
その職員さんの家は高台にあったので津波の被害はなかったそうだが、冷蔵庫も倒れ瀬戸物は段ボールで13箱も出すような酷い地震の影響があったそうだ。
近所でも三軒先の家は倒壊、自身も電気が通るまで避難所にいたそうである。

「避難所は二食だったから痩せると思ったけど、家帰ったら太っちゃうわ~」と明るく言っていた。
その職員さんは石巻の工場が出来た当初からの診療所のスタッフで、工場長を唯一叱れる人らしい…。
65歳の再雇用延長も超えて雇われ、あくっまさんの会社での契約は満了したが、工場から直接雇いのアルバイトとして、働いているそうだ。

その矢先の今回の震災だが、会社に行くため、ガソリンを入れるのに朝の二時三時からスタンドの前で並んだそうだ。
医師も自身の病院が津波で浸水し、診療所にまだ行けず大変らしい。



そんな話を、あくっまさんは聞いていた。
それでも工場は少しずつ動き出し、人は働きだしている。
逆にあくっまさんは、元気を貰ってしまった。


たった二週間で郵便が被災地の個人宅に届くのも凄い。



昨夜はサッカーのチャリティーマッチで、カズのゴールで勇気が貰えた人も多いだろう。
選手の気持ちも届いたと思いたい。

被災地の為にやりたい事、やれない事

2011年03月20日 19時12分07秒 | Weblog
先日、会社でカンパがあった。

あくっまさんの親会社は石巻と仙台に工場を持っているのだが、震災の影響で工場は停止している。連絡の取れないの従業員もいるらしい。
被災した従業員や家族へ届けられるというのっ、あくっまさんはカンパに少額入れた。
あくっまさんの募金に対する考え方は何度も書いているが、自分の身を削ってまではしない。
余力でやらないと、続けられないからだ。募金に対する考えは、家族の影響が大きいのかもしれない。


テレビを見ていると、東京都が個人の救援物質の引き受けを開始した。我が家にホッカイロ二箱と新生児用のオムツが一パックあったので、箱詰めしようか考えていると、母が物悲しい表情を浮かべた。

「あくっまの気持ちは大切よ、でもこんなに少ないなら、仕分けのほうが大変なの。町内や学校、何人かで集めて送るならともかく、少ないと逆に手間よ。」
「お母さん、ボランティアをやっていたからわかるのよ。しかもこういう仕分けは、無償ボランティアがするとは限らない。有償ボランティアの金額を考えると、まとまった量が送れないならば、募金の方がいいのよ」


あくっまさんの気持ちが苛立たなかったと言えば、嘘になる。しかし、長年無償ボランティアをしてきた母の経験の方が正しい可能性は高く、善意の押しつけは自己満足でしかないので、給与が貰えたら募金をする事にした。

…それぐらい逼迫している、あくっまさんの家計の物悲しさよ!


あ、募金した人はちゃんとした団体だと領収書や振込通知を取っておくと、来年の確定申告で五千円以上の金額が控除されるので、大切に保管しよう。


さてさて。
阪神大震災時と比べると、救援物資の発送やボランティア受付、電話や銀行の引き落としが非常に柔軟になった。
阪神大震災時は確か公共電話が現金でないと使えなく、引き落としもキャッシュカードがなければいけなかったはずだ。しかし今回は公共電話の無料解放、本人確認出来れば十万円までおろせるという対応になっている。

もしかしたら中越沖地震でもそうだったのかもしれないが、少なくともあの時より対応が良くなっている。


あくっまさんがそんな話を会社でしていたら、上司が阪神大震災時にボランティアをしていた話をしてくれた。
当時上司は大学生、震災1ヶ月後ぐらいに所属しているボーイスカウトより要請があり、3ヶ月ほど活動してきたそうだ。


上司「電気が復旧すると一番人が行ったのが、パチンコ屋ね。俺達ボランティアが頑張っているのに、被災したおっさん達パチンコ行くの」

Σ( ̄□ ̄;)エエー!
娯楽がないから…なのだろう。ストレスが極限まで溜まるのだから。

上司「まず最初にやるのは、物資の仕分け。地元の人がやると、どうしても公平性を信じられない人が出てくるから、第三者がやらないといけないのね。で、その避難所で余った物資を持って次の避難所に行き、交換して他の避難所に行くの。シャンプー100個と水を交換とか」

(・ω・;)タクマシイ

上司「自分の身を守れないボランティアもいて、ボランティアなのに避難所の物必要になる使えない奴もたくさんいたなー。自分の身を守れない奴はくんな!」
(´∀`;)ソウッスネ

自分の身を守る=団体等に所属して、自分に必要な物資を確保出来る人、という意味なのだそうだ。

上司「年金支給された日の夜なんて、真っ暗な体育館の中で、じーさんばーさんの枕元から年金を根こそぎ盗んでいく奴なんてしょっちゅうだよ!俺も犯人走って追い掛けたなー!」

(°O°;)ゲンジツッテ…

あくっまさんは、募金やふるさと納税で被災地を支えることにした。

三連休雑感

2011年03月20日 18時23分54秒 | Weblog
金曜夜から実家に戻り中。昨日は母がお彼岸に行っている間、あくっまさんは勉強の為と言いつつも、昼は外食産業の為にいつものラーメン屋「破顔」で食事をした。
列がない破顔。
なんという事でしょう!?

ここで買い控えが起こり、ぜいたくは敵だ、の精神で誰もでなくなったら、外食産業が潰れると食材業者や流通が皆潰れる。

…というのは言い訳で、気分転換したかったので、あくっまさんは店に入った。
おいしいもの食べたい!
いつもより奮発して、百円高い煮干汁なしだ!!


まぁ…そういう訳で練馬区にいるのだが、母が「この街はおかしい」という意味を、身を持って体験した。

開店前の10時前から、西友の前で20メートル程の行列が伸びているのだ。
入店規制まで敷かれている。しかし、練馬区のこの辺りは、計画停電地域ですらない。

あくっまさんは薄気味悪さを感じつつ、欲しかったビールを買うことも出来ず、近所の酒店でビール各種を購入。
母曰く、閉店しているコンビニもあるそうだ。
なんという事でしょう?!?!


そして今日は、母は千葉の老人ホームにいる祖父の様子を見に行った。あくっまさんは、引き続きレポート作成中だ。
母は先ほど帰ってきたが、妙にぷりぷりしながら、言った。


あく母「常磐線乗っていたらね、松戸手前あたりで降りた大学生ぐらいの頭の出来が知れている男の子達が言うのよ、『この電車は被災地に続いているから、人が少なくなるなー!』ですって!!」
「原発爆破すればいいのにーなんて大きな声で言うから、後少しで注意しそうだったわ!」

あく母「帰りの電車ではメール送信していたら、優先席じゃないのに『優先席のポスターが見えない目が悪いんじゃない?』っておばさんが私の方見ながら言うから、目を見て電源切ってやったけど、緊急地震速報が聞こえなくて怖かったわ!」

…ささくれだっている人が多い、週末だったようだ。

まるで戦中…なのか?

2011年03月18日 08時26分38秒 | Weblog
昨夜は10分間の間に二回も地震に遭って、さすがに怖かった!


昨日は調子乗った?…いやいや、首都機能に影響があったからなのか、鉄道会社が運行率を上げたら天候の悪さも手伝い、暖房で電力上がって大停電になるかも~と発表したせいで、帰りは6時をピークに電車に規制やホームがすし詰めと、異様な雰囲気の中、帰宅した。
秋葉原山手線のホームが溢れるって!

しかし、そこから二時間後の新宿駅の映像を見ると、あまり人がいない…パニックだったのか?

本日もまた運行率下げるのだろうか、そうなったら、日本の経済成り立たない~!
残業してようやく回る会社が多いであろう、日本。強制定時の先は、雇用率アップ?なんて話になるのだろうか。


地震がきたら緊急速報(空襲警報?)に耳を尖らせ、米も無くなり食料を捜し求め(戦時下?)、会社も家も電気をあまりつけず(灯火統制?)、買い占め弾圧で逆に買い控えになり(欲しがりません勝つまでは?)、今、東京駅では小さな子の手を引きながら、東京から離れる母子が多いそうで(集団疎開?)、いつの間にデンジャラスタウンになったのか、東京は。

食品に関しては、昨日からカップ麺や牛乳、パン〓や卵を見かけるようになった。そのうち乾電池やガスも溢れるだろう。
増産しすぎて〓
納豆だけは、茨城が打撃を与えられているので難しそうだが。

色々あるが、物のある現代日本。完全なる戦中ではない。

本日も絶賛早退中!

2011年03月15日 20時59分15秒 | Weblog
今週いっぱいは鉄道の運行が安定しないから、早退モードなのだろう。

あくっまさんは通勤時間は普段と変わらないが、他の人はなかなか大変そうである。

つくばエクスプレスで通勤している先輩は、行きは大丈夫でも帰りは八時まで運休。
早く帰れと会社から言われるので、運行率20%の常磐線にとぼとぼ向かっていた…うーん。

あくっまさんも今日はせめて定時まで仕事をしたかったが、鉄道やら停電やら原発やら、会社としても安全を確保出来ないから帰したいらしい。
…ま、ビルの亀裂は誰もが見ているし。



今週はこんな開店休業状態なのだろうか。

ちなみに業務の話になるが、あくっまさんの会社では、今回自宅待機や、停電による交通機関の乱れで起きた遅刻に対しては、控除を行わない事に決まった。
フー、やれやれ。

奇妙な街

2011年03月14日 18時58分31秒 | Weblog
第五グループの台東区にあるあくっまさんの会社は、結局五時に、帰宅命令が出た。

電気の街・秋葉原は、ヨドバシカメラのオーロラビジョンが消え、コンビニからはお菓子までなくなり、とても静かだった。

街は薄暗い。巣鴨も、菓子やカップ麺を買い漁る人が100円ショップに幾人もいた。

業務は片付いているようないないような…自宅待機の人の勤怠をどうするのか。あくっまさんの懸念事項も山積みだ。

出社の為に有り得ないような遠回りをしてくる人、新幹線で来る人、様々である。

街が忙しなくなっているような、奇妙な空気を感じる。

力強くいこう

2011年03月13日 23時33分48秒 | Weblog


一枚目の写真は、帰宅途中の御徒町周辺にある高架橋。
総武線が緊急停止し、乗客は避難した後だと思われる。

二枚目、三枚目は、あくっまさんの自室。

ラックの本が床にぶちまけられ、CDコンポが転がっている。ラックの上にも本があったが、全て滑り落ちていた。

机はあまり荒れていないように思うかもしれないが、実はこの机は子ども用の学習机。
本棚や電気シェードが一体となった棚が壁ぎわにあったが、全て前の床に投げ出されている。



地震発生時、あくっまさんは会社にいた。
そばで工事をするだけで、常時床が揺れる古い設計のビルだ。しかし、床から突き上げるような揺れに、いつもと違うという感覚は、あくっまさんにもわかった。

誰も机の下に入らないので、こんな時も誰かの確認が必要な人たちがたくさんいるのか…と半ば呆れ、半分中腰でいると、本格的な揺れがきた。
課長も事態に気付き、「机の下に!」と大声を上げる。あくっまさん達は、一斉に机の下に退避する。

それは、今までの人生で経験したことの無い大きな地震だった。

机の下で出来た事といったら、引き出しが前に飛び出すのを押さえるのがやっとで、収まった後にだって辺りを見回すと、パソコンの液晶やHDが倒れ、あくっまさんの紅茶も大量に零れていた。


避難訓練通りに点呼を取り、財布だけ持って駐車場に避難する。しかし、訓練時と違って駐車場には車が止まっていた。
車を避けるには、窓ガラスが降ってくるかもしれないビル側に近づかないといけない。

あくっまさん達は、道路に出た。同じ会社の人たちが道中に溢れていた。


余震が続く中、社内の安全対策本部も混乱しているのかなかなか指示が出ない。
途中、本社ビルの社員は元に戻ったが、我々グループ会社の社員がいたビルは一番古いという事で、点検に一番時間がかかった。


それまで避難訓練で、避難時は階段を使って退避しても、避難後はエレベーターで帰っていた。避難後にビル内に戻る事はないと思っていたからだ。
しかし、現実は違う。ビルが壊れていない限り、人は荷物を取りに戻る。道路にいても、一時は静まり返った街もまた動きだすからだ。


夕方になり冷えてきたので、あくっまさん達女性を先にビルに戻した。
途中、階段の漆喰がポロポロ剥がれ落ちている。後から聞いたが、三階と四階の間では、壁にヒビが入っていたようだ。
しかし、他のビルは壁が崩落し、避難所にも出来なかったらしい。


会社は備蓄の水と食料を放出。
あくっまさんのいる健保組合は、ちょうど保険証書き替えの準備で忙しかった。
残業モードになる職員達。え、それでいいの?となる、あくっまさん。
よく考えれば、みんな東京都の住民ではない。交通手段が完全にシャットアウトしたら、出られないのだ。

あくっまさん宅は23区内だ。
机の引き出しにある、帰宅支援マップを開いた。秋葉原から自宅まで、直線距離で5キロだった。
人間は徒歩で時速4.5キロと言われている。実際の歩行距離は8キロ(買い物時間を入れて、二時間)だったのだが、あくっまさんは一番に水と携帯食料を持って、会社を飛び出した。

その時点で五時半過ぎ。夕暮れに差し掛かっていた。

あくっまさんが歩いていると、案外飲食店やコンビニが開いているのに気付いた。今のうちに食事を取りながら移動しないといけない。あくっまさんは、肉まんとお茶、そして何故か焼き芋を食べながら国道を歩いた。

途中、写真のように停止した電車や、タイルの剥がれ落ちたビルを横目に、ウォーキングシューズでがしがし歩いた。

また、友人の会社付近にきた時に、電話で連絡した。彼女達は自宅が遠方なので、帰宅出来なくなると思ったのだ。
1人の友人はたまたま休みで親と新宿で地震に遭遇。ホテルで退避しているからと連絡がきた。
もう1人の友人は身を寄せたいと申し出があり、自宅へ招いた。


何故こんなに簡単に人を招いたのか?
一つは善意である。
そしてあくっまさんは、高をくくっていたのだ。

あくっまさんの自宅は築10年のマンションで、10階以上の建物だ。勿論免振構造である。壊れていないと思っていたのだ。

建物は確かに壊れていなかった。
しかし、免振構造の意味を、あくっまさんは身を持って知った。


地震の振動を逃す為に、あくっまさんのマンションは必要以上にしなるのだ!


そう、二枚目三枚目のように、あくっまさんの家は揺れまくった。
ちなみに免振構造のマンションは、高層階ほど揺れる。
そして災害時はエレベーターも止まっているので、食料抱えて10階以上登らないといけない!!


笑った。

ようやく室内に入ると、至るところでひっくり返っていた。
ただ、あくっま父は慎重な人だったので、いろんな家具に突っ張り棒や固定ジェルを設置してくれていた。
おかげで、大半の家具は無事だった。
また、振動の角度がたまたま良かったようで、食器棚から食器が飛び出すことはなかった。
食器棚と平行した場所にある本棚も無事だった。

しかし、自室の机やラックは垂直の位置にあったので…ご覧の通り。



友人が持ってきたカップラーメンをすすっていると、田町から12~3キロ歩いてきた兄が帰宅。
兄も自室を見て絶句。
兄の二メートル程の棚も崩壊していた。


九時半過ぎると友人の使う電車が復旧したので、彼女は帰っていった。

眠れない(部屋が汚いからという意味ではない)あくっま兄妹は、倒れた棚を撤去し、強制的な断捨離モードで物を捨てた。なにせ収めるはずの棚がないのだから、中の荷物を捨てるしかないのだ!

粗方捨てていると、昔友人が描いた漫画や、イラストや、フィギュアスケーター追っかけ時代の切り抜きやら…イラストはそっと残し、他は捨てた。
ゴミ袋一杯半捨てまくって、あくっまさんは寝た。


その後も余震で心配な日々が続く。ずっと電話で連絡を取り合っていたが、今日は実家に帰って、母と顔を合わせてほっとした。


首都交通網がシャットアウトしただけでこの混乱なのだから、震源地付近だったらどうなっていただろうか。

ぞっとする話だ。

今回徒歩で帰宅して、職場に必要だと感じた物は、

①帰宅支援マップ
②スニーカー
③携帯電話充電器


①は、今から三年ほど前に富士山が噴火するかも…と噂になった時にベストセラーなった、ポケットサイズの地図だ。
100円ショップの地図でもいいので、現在地から自宅までの地図があるととても便利だと思われる。
携帯電話が発達してマップ検索が出来るようになったが、ネットに繋がりにくい状況も多く、電池消費を抑えたい人には必要である。

②その日はたまたまウォーキングシューズを履いていたが、ハイヒールや革靴で何キロも歩くのは大変なので、職場にスニーカーを置いておくといいだろう。
前の職場の個人ロッカーに置いていた職場災害バックには、スニーカー、靴下、タオル、軍手、飴玉を入れていた。
やはり同じ物が必要だと痛感したので、あくっまさんは早速準備をし、出勤時に持っていく予定である。

③は、避難所に退避した人からの提言だ。携帯電話は、まさにライフラインである。



明日から輪回停電も始まり、心細くなる。
余震の危険もあり、被災地の人たちの悲痛な状況を見ると、胸も痛む。


そんなときだからこそ!
力強くいきましょう。
自分を守らないと、他人を守れないのだから。

マリノス…

2011年03月05日 16時01分10秒 | Weblog
後半から見た、Jリーグ開幕戦。


ああ…手から勝ち点③がこぼれ落ちた。
悔しい…。



先シーズンの大解雇。
バース&デイで見た、松田直樹の姿。

フレッシュなメンバー、老朽化(というか、本調子でなさそうな)するディフェンスライン。


不安な幕開けが快調にスタートしたはずなのに。




三年間、殆どマリノスから離れてきたが。
再び、ファンクラブに入ろうかと思う。
見定めるために。




ま、優勝クラブを相手ホームで苦しめたのだから、本当は良い事!
兵藤いいよ~栗原仕方ないにしても相変わらずだよ~。

趣味

2011年03月05日 14時20分02秒 | Weblog
ベリーダンスを始めて、3ヶ月と少し経った。
ヒップスカーフ(女の子が腰に付けてあるコインがじゃらじゃらした布)も、今練習している音楽のCDも買ったから、立派な趣味と言えるだろうかと思い、告白してみた。


きっかけは、昨年の友人の結婚式余興で踊った、「ハッピーサマーウェディング」〓

衣装もなんちゃってだったが、昔からベリーダンスに興味を持っていたので、余興から始めたい気持ちが余計に沸き上がった。

元々体力はあっても運動神経はない、あくっまさん。
急に教室の門戸を叩いても、一人盆踊りになって気持ちがくじけること請け合いだった。


すると昨年末、秋葉原駅前にフィットネススタジオが出来たのだ。

新装開店=みんな初心者!


あくっまさんはそこで行われる、ベリーダンスのレッスンに週一で通うことにした。


ジムと違ってマシーンがなく、1スタジオを色んなレッスンが時間ごとに清掃して使用している。


フィットネスで習う利点としては、個人教室である発表会がなさそうな事である。ダンスの類の習い事を始めると、毎年発表会の度に衣装を買って大変だという話を聞くからだ。


そんなはずだが、どうしても煌びやかなあの衣装に憧れもあり、練習を重ねるごとにヒップスカーフ使用者が増えた。
勿論ヒップスカーフをつけた方が体の動かし方もわかりやすい。一枚千円以内というので、あくっまさんも通販でクリックした。
すると…。



母「お母さんもあのコインの付いたスカーフ欲しい〓」


安いものだしいいよと、娘は快く買ってあげた。すると数週間後…写メが送られてきた。



「人形に着せたの〓」


ちょ、習っている人より本格的な格好!!


スーパー主婦は更に改造するそうである。
母より趣味に拘れる自信がない、あくっまさんであった。