横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

最近のハマリ物

2006年02月16日 00時26分59秒 | ゲーム
一応あくっまさん、ライトなゲーマーである。
だから本を読むかTVを見るかサッカー観戦するかアーチェリーするかという選択肢のほかにも、ゲームをするという事もある。
ファミリー・コンピューターが出てから二十年、ゲーム機をチェンジしながらそれなりにゲームをやってきた。最近も『ダージュ オブ ケルベロス FFⅦ』を少しプレイしては操作が下手すぎて銃殺されるのを繰り返している(そして放置)

そんなあくっまさん。最近またどっぷりハマッているゲームがある。

それが、ポートピア殺人事件

今から20年以上前のファミコンゲームだ。たとえゲーム名を知らなくても、
「犯人はヤス」
というのは聞いたことがあるだろう。そう、あの「犯人はヤス」が出てくる推理アドベンチャーゲームだ。
ちなみに今自分がプレイしているのは、iアプリ版。通勤で暇な時に大変便利。
そして犯人が分かっているのになかなか真実に辿りつけないのが、面白いけどイライラ。
古畑やコロンボなんて目じゃないぜ!

ちなみに製作者は「ドラクエシリーズ」で有名な堀井雄二。デビュー作だったらしい。


ついでに。
何故そんなレトロゲームがやりたくなったというと。
『シックス・センス』の結末を捜しているうちに、面白いFLASHを見つけてしまったからだ。

ネタバレダイジェスト↓

http://flash.yh.land.to/netabare.swf

多分自分でも見つけられたのだから相当有名なFLASHなんだと思うが、色んなネタバレがあって面白かった。
ネタバレ……男のロマンか。
そしてほとんどのネタが分かるなんて、あくっまさんのオタク!

へっぽこアーチャーによる『ワンダと巨像』考

2005年11月23日 00時36分37秒 | ゲーム
電撃プレイステーション:ディレクターズブログ

いきなり最終回を取り上げてしまったが、読んでいてなかなか面白かったので。
海外でのプローモーション活動を読んでいると、自分が感動した物を違う国の人でも同じように感動するのかと考えたら、プレーヤーとして別の意味で感動する。
国によってインタビューが違うというのはなかなか面白かった。
そう考えると、日本だとやっぱり比較論が多かったのだろうか。『ICOとの違いは!』なんて。

ちなみに今はまったりノーマルモード2週目をやっている。タイムアタックで全部のアイテムを手に入れてしまったから、よりのんびりとした巨像探しをしている感じだ。
「紛れの前掛け」を着てアグロに乗り、馬の走りっぷりを眺めたり(競馬ゲームにない自然と戯れる馬の姿に惚れ惚れとする)
「閃光の矢」をぶっ放してみたり。
……色々なところで書かれていたのでやってみたのだが、祭壇の前にいる鳩に「閃光の矢」をうつと、本当にあたり一面鳩の死骸が散らばっているのには何だか複雑な気分だった。
兄が面白半分で普通の矢を死骸にうったら、鳩が串刺しになって
冗談でもやってはいけない、こんな事は。

または尻尾の光るトカゲが捕まえられなくて、見晴台に向かって適当に「閃光の矢」を放つと光る尻尾だけ落ちていたり……。
非常に気分が悪い。
この気持ちの悪さは何と似ていると思ったら、LOVEDELICの『l.o.l』をプレイした時と似た感覚だ。
ただ『l.o.l』は「生きるために食べる」のだが、爆撃のような「閃光の矢」の威力は、もはや虐殺。
あまりしたくない……でも尻尾を取らないと腕力が増えないので、面倒くさくなると「閃光の矢」をぶっ放した。
最初にクリアした時は根気よく剣で倒したり普通の矢で倒したのに……人間は安易なほうに流れてしまう性質なのだと、それもまた胸くそ悪い。

さて、そんなわけで。
2週目なりに冷静な視線で『ワンダと巨像』の世界を堪能していると。
一応洋弓経験者としてゲーム内で使われる武器の一つ、「弓」にポイントを置いて取り上げたいと思う。


まず色々なゲームで「弓」を使うキャラクターがいるが、個人的に気になるのがシュミレーションゲームでの「弓」の扱いだ。
タクティクスオウガなどで見受けられたのが、ターンを重ねる間ずっと狙うことで威力が増すというシステム。
これ、ぶっちゃけ有り得ない。
射手は大抵同じ感覚でうつので、それを超えてまでやったところで変な力みが入って狙いが狂ったり、逆に体が縮こまって変な矢飛びになる。
(またテレビゲームではないがTRPGでもターンを重ねて「狙い」の度合いが上がったりするが、1ターンが「普段うつ感覚よりも短い」という時間計算なら、これはOKな扱いだと思っている)

では『ワンダと巨像』ではどうか。
腕力ゲージがあるので最大限まで引くとそれだけ威力のある矢が飛ぶようだが、剣と比べてパワーが弱いのでいまいち分かりづらかった(苦笑)
よりリアル感を出すなら限界を超えてまで引き続けると途中で手を離してしまうというのが良かったのだが、そうなったらタイミングに慣れないプレーヤー続出だと思われるので、これは仕方がないかなあと思ったり。
もし実際のアーチャーなら、限界になった時点で引き戻すか反射的に射っていると思われるが。そういう風に感覚が体に染み付いているからだ。
しかしそんなところにリアリティを求めても、あまり意味がないので今のままでもいいと思う。

ちなみに『ワンダと巨像』でなかなか秀逸だと思ったのが、「弦の引き具合」だ。
前作『ICO』でもヨルダの手を引くときにグングン振動して、本当に手を引いている感覚を覚えた。
今回はそれを「掴む」という動作で再現している。だがへっぽこアーチャーとして感動したのが、ワンダが弓を構えて弦を引くときの振動だった。
グイッグイッと引くのがちょっとコンパウンドボウくさいけど、(右利きなので)弦を引くときの二の腕の筋肉の引き締まり方に何となく似ている。
思わず振動に合わせて右腕を締めたくなった(笑)

そして「ゲーマーとしては分かりやすいけど、アーチャーとしては戸惑う」のが「矢飛び」。
「矢飛び」とは文字通り矢の軌道の事だ。
もし何かの機会でアーチェリーの試合を見たならば、一度矢飛びを見ていただきたい。(多分初心者は目で追うことが出来ないだろうが)
50メートルでも結構矢は上の方を飛ぶ。しかもゲーム内では遠距離をうつ場面も多いのだが、かなり軌道が直線に近い。
あまりポンドの高くない弓を使って70メートルをうとうものなら、相当上空を飛び、弧を描いて落ちてくる。

しかしリアリティとゲームでの表現を考えると、ゲーム内でそんな矢飛びを見せてしまったら大抵のプレーヤーは不安感を覚えてしまうだろう。
ポイントを合わせた場所とは全然違うところに飛んで行き(多分画面を外れてしまう事も多いだろう)、いつの間にか突き刺さっているような(苦笑)

ちなみに矢の威力についてだが、ワンダの弓はチンギス・ハーンの時代に騎馬民族が使っていたような破壊力を持つ弓には見えないので、普通の短弓と考えると威力としてはあんなものかなと。
今アーチェリーだと畳を2枚ぐらい立てかけて練習するのだが、それで使い込まない限り貫通はしないので、グサグサ剣を刺すよりは弱いだろう(笑)
某エルフの弓は、常識を超えていると考えていただきたい。

真面目に語ってしまったが、『ワンダと巨像』での弓はなかなか満足いく出来だった。

ワンダと巨像、妄想感想

2005年11月03日 20時28分29秒 | ゲーム
以下感想と妄想。

上田氏のインタビューを読んで「新作は『ICO』と似ていても接点が無いに違いない」と決め付けていた。が、「角」「影」「耳の大きな少女」「似たような紋章の格好」で、やっぱり「『ICO』と『ワンダと巨像』は接点のある物語」と考えざるを得ない。
てか、考えないと納得できない、あのエンディング
あんなに空しさが残るエンディングは初めてだ。
魂を失った少女を甦らせる為に巨像に封じられたドルミンを解放させ、最後には乗っ取られるワンダ。
司祭に封印されそうになる瞬間「mono!」と叫んで人の形を取るワンダ。
でも封印されるワンダ
目覚めた少女の元に足の折れたアグロが近寄り、主人の匂いを辿っているのか封印された水盆のそばによると、角の生えた赤ん坊が。
その赤ん坊を抱える少女を導くように、祠の上にある空中庭園を彼らは安住の地とする。

この赤ん坊が象徴するように、角が生えた子どもはワンダの生まれ変わりなのだと思う。そしてこれ以後、彼を封印した司祭たちの住む村に角の生えた子どもが生まれるようになった。

ではワンダが将来イコになるなら、少女(説明書の声優欄を見るとmono=モノちゃん?)は何なのだろうか。
耳が大きく儚げな姿を見ると、どうもヨルダっぽい。
が、何より共通するのが「魂」。
ワンダによるとモノは「魂が失われた」状態らしい。『ICO』では女王がヨルダを「魂の器」と言っている。
そう、共通点は「魂が無い」。

何故モノに魂は無いのか。それはいけにえとして捧げられたから(とか、言っていなかったっけ?自信ない)
では誰に捧げられたのか。

ここで思い出して欲しいのは、ドルミンの声。
彼の声は、男女の二重音声だった。
もしかしたらドルミンは、天の声が男性だったので「男なのではないか」と勝手に思っていたが、性別というものを超越した存在なのかもしれない。

「少女を守らなければ」というワンダの思いがドルミンの男性性を打ち負かし、以後角の生えた子どもになったとしたら。
残るのは女性性。

この女性性のドルミンこそ後の霧の城の女王、クイーンその人ではないのだろうか。
話は戻るが、モノは誰かによって魂を失われた。その誰かこそ、村で恐れられていたドルミンなのではないだろうか。
そうすればドルミンの女性性とモノの魂は連結しているので、モノが生き返る=ドルミンが生き残っているという図式が出来上がるはず。

ただドルミンの女性性は男性性と比べると弱かったのだと思われる。だからあまり女性の声も聞こえなかった。
しかし彼女は村に生まれた角の生えた子どもを生贄として取り入れることで、元々あった男性性を取り込み、より強い力を手に入れるようになった。

何故こんな変な説を唱えているかというと、どうしても気になる画像があるからだ。

少女の横たわる祭壇に注目

アップで見ると、手のある偶像に見えませんか?
ドルミンの女性性は、実はまだ封じられたままなのかもしれない。
そういう風に考えるならば、『ICO』でヨルダに対しクイーンが「この子は城から離れられない運命にある」と言うのも、ドルミンの女性性自身が封じられているせいで連結したヨルダ=モノも逃れられないという説になる。
そしてイコとクイーンの最終戦、クイーンは玉座に座ったまま戦った。彼女は座ったまま体を貫かれ、城と共に崩れ落ちた。

「この偶像は人間の力では壊せない」とは、ドルミンが冒頭で述べたセリフだ。
しかしイコはドルミンの男性性の力を帯びた、所謂ワンダの生まれ変わりだったから、偶像=玉座ごと破壊してクイーンを倒している。
そして城が崩れてヨルダ=モノも魂が解放され、彼女は浜辺で目覚めた。

そんな考えで古の祠や祭壇を見ると、何となく女王の間や玉座に似ているような……。

ヨルダはクイーンの娘だった。
ドルミンが男性と女性を超えた存在として恐れられていたのなら、娘という形でモノは魂を捧げられたのかもしれない。

ああ、書けば書くほど自分でも説得力があるような気がしてきた!
でも一つ。
もしこの説が本当なら。
……ワンダがただのお馬鹿さんになってしまう!

だから、何となく『ワンダと巨像』→『ICO』で話が繋がっているんだね~ぐらいの曖昧さで考えたほうがいい。
繋がっていないならちょっと切な過ぎる。

ワンダと巨像、ネタバレ感想

2005年11月03日 20時27分13秒 | ゲーム
セール品を抱えながらSCEIのビルを見上げ、「一次面接落ちたなあ~、あの時格好良い事を言おうと思わず、ちゃんと自分の気持ちを伝えられればまた違ったのかなあ」などという苦い思いがぶり返したり。
それでも結局は病気になって、会社を辞めるハメになるのだと思うと、これはこれで良かったんだなと考えている。そんなしんみりとした、本日の午後。
あ、インポート店で可愛いけどヘンなスニーカーを買ってしまった。勢いって怖い。

勢いと言えば、ドラゴン久保は2ゴール!!奥もゴール!グラウもおまけゴール!

「圧倒的じゃないか、我が軍は……」
このセリフ書くと、負けちゃうかしら



とりあえずセールの興奮も落ち着き、『ワンダと巨像』の感想を。

基本的には、馬に乗って巨像を捜す→巨像を倒す、の繰り返し。
やり始めは巨像を捜すのに面白みが無く、無駄に広いフィールドに苦痛を感じた。
しかし、ふと「このゲームはそんなに気を張り詰めなくていいんじゃないか」と思うと、若干気持ちに余裕が。
するとあら不思議、ローアングルでワンダとアグロが走る姿を眺めたり、遠くの景色を見回すようになった。そして「じゃ、見張り台も一緒に捜すか」と散歩しながら見張り台を捜し、果物を捜し、のんびりと巨像を捜す旅を楽しむように。

巨像を倒すという作業は非常に単純で、興奮もするが逆に毎回ボス戦をしているようなものだから、単調だと飽きてしまう。
だからこそこの「移動の息抜き」がとても大切なものになった。
アグロと一緒に広い草原を駆ける日常から、巨像と対峙した瞬間に甦る「少女を生き返らせる」という使命と緊張感。
この切り替えが楽しい。
巨像を倒すたびに黒い触手に襲われ、古の祠に帰って来る。その物悲しい音楽と、増える人影、壊れる偶像が、どんどんこのゲームの終末に近づいているようで悲しくなった。
だって16体しか巨像が無いのが分かっているから、頑張れば頑張るほど最後のページにまでいってしまう。

ゲームは一枚のディスク(昔はカセットか)に全ての物語が収められている。その中にどれほどの物語が入ってるか、目で判らない。
しかし『ワンダと巨像』は最初から宣言されている。

「少女を助けたければ、この地に棲む全ての巨像と戦い、そして倒さなければいけないことを」

どこへ行くか分からないジェットコースターは怖いが、終わりが分かっている観覧車は寂しい。
『ICO』は「いつになったらこの広大な城を抜け出せるのだろうか」という不安があったが、『ワンダと巨像』は「もう少しで結末が来てしまう。その結末やいかに?」という不安が付きまとっていた。
そう考えると『ICO』は物語性が高く芸術性が高いと言われているが、ゲームらしいつくりと言える。
逆に『ワンダと巨像』はアクション要素が強いのに、本のつくりに近いのだろうか。

話が逸れた。
とにかく巨像を倒した数が10を超えたあたりから、アグロとの日常を楽しむようになった。
週刊ファミ通(会社帰りに買うの恥ずかしいね!)を読んで尻尾の光るトカゲを倒すとゲージが上がると知って、トカゲを倒しまくったり。
ちょっとでも果物のありそうな木を見つければ木に登ったり。
少女に多少の罪悪感を感じながらも、寄り道ばっかりしていた。

だから結末は……。
いや、結末の前にアグロがの落下が!
もう、落馬とか馬の骨折というのは見ていて辛い!
昔偶然BSでドバイワールドカップを見ていたら、ホクトベガが転倒、骨折というのを目の当たりにしてしまったので
あれはビックリして母と兄と「何が起きたんだ」と慌てていたもんだ。
……馬との別れは辛い。
その後アグロは生きていて嬉しかったが、あの左足を引きずる姿が、晩年のおペロさんの足を引きずる姿と重なって
「痛いよー!」と叫んだものだ。

またまた話がズレた。
アグロが橋桁から落ちて怒りはMAX、16体目を倒した後はエンディングを迎えた。
『ICO』プレイの時から放っておくとキャラクターが勝手に動くのを知っていたので、今回も「ワンダは少女にチューでもしないのかな←不純」とワンダを少女のそばに立たせてアップで見ていた。その時から彼の変化は気づいていた。
ワンダはだんだんと顔色が悪くなり、服は汚れ、髪が黒くなってきている。
この小さな変化はエンディングで最悪の姿への引き金になった。
ドルミンに乗っ取られているワンダを見た、あくっま兄妹の発した言葉↓

「角ー!」

全然別物と思っていたストーリーが、『ICO』と絡み合った瞬間だった。

ワンダと巨像、クリアしました

2005年11月03日 08時55分00秒 | ゲーム
一週間更新もせず、マリノスが勝とうが今日から天皇杯が始まろうがノータッチ。
その理由は……先日も記事に載せたゲームをやっていたからだ。

ワンダと巨像

27日に予約したのを受け取って(勿論予約特典DVDゲット)プレイして3日ぐらいでクリアした
その後も2週目をやっているのだが……以下ネタバレ。











そもそも同じ製作チームの『ICO』が大好きだったので、新作もある程度の安心感と期待感があった。
OPを見たときは「これ『ICO』じゃん!」で(具体的にいえば螺旋階段が鳥篭のあった階段と似ていたのと、最初に広間に入ってきたとき偶像の入っていたスペースが生贄を入れる棺おけに見えた)、始めてみたら全然違った(苦笑)

ディレクターの上田氏も言っているが、『ICO』が「静」なら『ワンダと巨像』は「動」。
馬を乗って疾走する気持ちよさは『ICO』には無い物だし、巨像を最初に見上げたときの恐怖と絶望感は実際にやってみないと分からない。

誰もが最初は恐る恐る近づくか、巨像が寄ってきたら一目散に逃げると思う。
人間の恐怖心を利用した演出が上手かった。
ちなみに剣を上手く使えず、最初の巨像に出会うまでが1時間かかったのは内緒の話

1体目に迫力あるような巨像を置いてプレーヤーの興味を引く為、デザインに苦労したとインタビューで読んだが本当に1体目はインパクトがあった。
だからといってそれ以降のデザインが悪いわけではなく、巨像の攻撃の仕方も攻略の仕方も多彩。

突然、好きな巨像と嫌いな巨像ランキング!

・好きな巨像

1位 13体目(ナウシカに出てくる蟲に似ているので蟲と呼んでいた)

こいつを見上げたときの壮麗な感じと乗ったときの気持ちよさは格別!
人間は空飛ぶものが好きなんだとつくづく思った。

2位 3体目(おばさん……何故かサザエさんヘアーに見える)

圧倒的な迫力や剣を駆け上るのが楽しかった。クリア後のタイムアタック(TA)でいかに早く倒すかも燃える。

3位 7体目(ウナギ。たぶん髭があるからウナギよりナマズに近いと思うが)

水中を潜っていくのが不可思議な感じで良い。タイムオーバーだと延々と水底に連れてかれるが、ワンダだけだと深くもぐれないのでずっと掴まっていた。

次点 10体目(砂地獄の主)

愛馬アグロと戦えるのが嬉しい。アグロ大活躍!


・嫌いな巨像

1位 14体目(虎)

ハメ殺しに何度も遭ったから

2位 11体目(ネコ)

同じくハメ殺しに何度も遭ったから……てかお前らは『巨』像じゃない!

3位 6体目(ヒゲ)

これは圧倒的なパワーが純粋に怖かったから。

次点 16体目(ジオング)

足なんて飾りです、偉い人にはそれが分からんのです!
(……こいつの右手に移動した後が分からなくて、唯一攻略サイトを利用した悔しさで。それを抜かせば結構スキ。兄と二人でこいつを見上げ「無理だろ!」と叫んでしまったぐらいのデカさ)

あ、そろそろヴィヴィアンの即売会に行って来なくては。