横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

サッカーのこと全然書いていない!

2005年06月28日 22時20分25秒 | サッカー
週末凹みが多すぎて、サッカーブログとしての機能が死んでいる!
というわけで、たまにはネタの一つでも。

下のほうにあるMasaさんに返したコメントでも挙げたが、自分がサッカーと直接触れたのはメキシコでのW杯だった。
86年、マラドーナの為の大会と言われたあのW杯が開催されたとき、あくっま一家はメキシコにいた。
そこで父親はある工場に勤めていて、毎週休みになると工場の従業員達とサッカーをしていた。
日本人チームとメキシコ人チームで別れて戦っていたが、どう見ても体格のいい日本人チームが弱かったのが幼かった自分でも分かっていたのを思い出す。
そしてW杯が始まると、兄と父は試合を観戦しに会社と学校を休んだ。
何故決勝のチケットが手に入ったのかは分からないが、標高1000メートルにあるアステカスタジアムのほぼ最上段から見た光景を、今でも兄は時々話す。

「急傾斜で怖いスタジアムだったけど、とても楽しかった」

自分が思い出すのは、家に帰ってきた兄が嬉しそうにマントアルゼンチンの旗を広げ、マントのように包まっていたことだ。正直何馬鹿みたいな事をしているんだろうと思い、その興奮を理解できなかった自分は少々冷めた目で兄を見ていた。

それから時が経ち、父親が仕事の関係上マリノスのチケットを貰ってくることで横浜マリノスが好きになった。当時住んでいたのも横須賀という土地柄、ご近所の馴染みという感覚もあった。
日本代表も応援し、ドーハの悲劇もジョホールバルの歓喜もマイアミの奇跡も、テレビで観戦した。

ただ、決定的にマリノスに対する意識が変わったのは、2003年の完全優勝のとき。
当時、股関節の病気で会社を辞めることになり、今までの人生プランや価値観や自信がガラガラと崩れていた。そんな時、奇跡のような確率でマリノスは優勝を収めた。
最終戦2試合前に負けた事で、優勝はほぼ不可能と確定した直後だったのに、「大逆転は絶対にある、僕は絶対に諦めない」と言った那須大亮選手の言葉を証明したような試合展開だった。
あの試合を見たとき、5万人の静寂や大歓声がスタジアムを揺るがしたとき、今まで感じたことの無い衝撃を受けた。

それまで自分の身近にあった感動は、映画や小説のような想定された感動だった。
または、自分が体験したことで味わったスポーツの感動だった。
それが自分の人生にこれから知り合うことも無いであろう遠く離れた選手によって、一瞬のうちに5万人が惹き込まれた。
自分もその一人で、勝手ながら勇気を貰った。
そして今の自分がいる。

あと一週間もしないうちに、中断期間が終わる。
今のマリノスは苦しい状況にあるが、こんな時にこそあの感動を味わったサポーターなら何度もこの言葉を反芻するだろう。

「大逆転は絶対にある、絶対に諦めない」









P.S.最近の那須はようやくヤマモッツ病の後遺症から立ち直ってきたようで良かったJ!
P.S.2しかし一番最近更新しなかったことでショックだったのは、23日にクマーも中西も大橋も誕生日だったのに祝えなかったことだJ!!
この3人、顔がちょっとポッチャリ系?

ジェネレーションギャップVer.!週末を振り返る

2005年06月28日 20時43分46秒 | 雑記
自分がダメ人間だなあと思う瞬間は、大体2ヶ月に1度訪れる。
それは仕事でのミスや、人間関係が主だった理由だ。
それでも人と話し、本を読み、スポーツをして元気になれる。それが皆無だった出来事が二週間連続で起きた。

そもそもの始まりは合コンだった。
会社の同僚が合コンに連れて行ってくれたのだ。こちらも気合を入れた。
どれぐらい気合を入れたかというと、前髪を一年半振りに作るぐらい気合を入れた。
広島にいたときから今までの一年半、自分は今までの人生で初めて前髪を伸ばした。どれぐらい伸ばしたかというと、前髪が顎に届くぐらい伸ばしたのだ。
そして先週、学生時代の写真を同僚に見せたら「五年ぐらい前の写真だよね」「老けたねえ~」と今の自分を完全否定されたので、前髪を切った。
結果は上々

そんな若返った格好で合コンに参加!
5対5の中でも結構話が合った!
2次会はカラオケでオール!カラオケ大好きあくっま!!
男女2対2でカラオケに行った!
同僚が気持ち悪くなった。自分も多少酔っていたが、そのまま彼女を連れて帰ることも出来たはずだった。
が……判断力を無くした酒の効果というのも手伝ったのか。
気持ち悪い子を解放するという意味で、何故かいたのは合コン相手の部屋(一人暮らし)
同僚、ベッドの上で寝ている。寄り添う合コン相手①。
お笑いビデオが流れる室内、手を握ってくる合コン相手②。

結論から言おう、何も無かった。

読んでいて期待した未青年の方、ごめんなさい。読んでいて心配した友人、ごめんなさい。
あくっまは今も無事です。

肩を抱かれたり手を握られるのは前回のクラブで慣れた。だから撫でられても我慢する、握られたら握り返す。時間が過ぎ、とにかく同僚が目を醒ますのを待った。

何も無かった。
でも、情けなかったのは横で男の子が同僚の布団に入っても何も言えなかった事。勿論実は彼女が相手を気にかけていた、と思っていたのも本当だ。それでも、もし合意に達していないで何かあった場合、素面に近い自分がただぼうっと見守ていたのは、言い訳にならない。
いつでも守れるチャンスはあった、カラオケに行った後もタクシーで連れ帰ればよかった。それなのに流れてしまったのは、自分の意志が弱かったせい。
2週連続怖い目にあったのに、何の反省も活かされていない。

しかし何より自分が厭に思ったのは、この性格だ。
自分を知っている人はよく被害に遭っていると思うが、あくっまは不安になると誰彼構わず話してしまう。
話して整理して落ち着く。
これを今回もやってしまった……他の会社の同僚に。
勿論合コンに誘ってくれた同僚は怒った。
「何も無かったのに、そんなに怖かったなら逃げ出すチャンスもたくさんあったじゃない」

不安な事態から守れなかった、そして後から愚痴愚痴言ってしまう事に彼女は愛想が尽きたようだ。
そして同世代と比べると大変古臭い貞操概念から感じた不安が、今回の事を広めて彼女を相当傷つけた。

もしこのブログを読んでいる若い女の子へ。
「何も無かった」のは、やっぱり幸運なんだと思う。
そして男女差は勿論女性同士でも、性的なものに関する興味や貞操概念というのは違う。
お互い傷つけちゃいけない。
今回の出来事はブログに書くかどうか最後まで迷ったが、提示として書いた。
でも、頭が混乱しているせいか文章は滅茶苦茶で、申し訳ない。

結局この2週間が残したものは、2キロ体重が落ちるという言いようの無いストレスだった。

結局サッカー最後まで見たワケだ

2005年06月23日 21時43分06秒 | サッカー
3時45分から5時45分までの人間が気持ちよく眠っていないといけない時間を。
結論。

楽しかった

メヒコ戦では昔のA代表(と言っても去年の東欧遠征前)に戻ったのかと思うほど、積極性にも欠け体も重たそうだったのに、ギリシャ線で再浮上。ブラジル戦で爆発
加持の一点目は悔しいが、俊ちゃんと大黒のコンビプレーには痺れる!
眠気も吹き飛ぶ2時間だった。
課題はジーコの戦術(なんであの時間にDFWの鈴木に交代?)と、エンジンを最初からふかさないと立ち上がりが大変遅い選手の気持ちか。
やっぱり勿体無い、なんだあのメヒコ戦?
メヒコ堪能は嬉しいが、初戦のぐだぐだはやはりつまらない。
ちなみにメヒコは気が抜けるとあっという間にテンションも落ちるお国柄のため、ギリシャ戦は0-0という面白くない引き分けだった。

こうやって真夜中の絶不調週間も幕を閉じた……来年のW杯生きていられるのか?
どこかで100万ぐらい転がり込んでこれないものか。


勿論日本代表の話題にだけ目を奪われていたワケではない。

安 契約満了のお知らせ。
加入までは不安を募らせていたし、夏までは不安的中だと思ったが娘が生まれてから守備にも攻撃にも頑張った人。
ファン感では非協力的なマリノスっ子達の中で一人笑顔を浮かべて手を振ってくれた優しい人。
心のオアシスが一人減ってしまった……

良い話題は中澤がプールでトレーニングを始めたこと。
完治するまで頑張って欲しい
カレー食べとけ、カレー!(※先日のなべっちFCにより、中澤の好物がカレーと判明したので)
中澤はなんと言うか……本人はツッコミ気質でもナチュラルにボケているのが面白い。
インタビューや記事を読むととてもまっすぐな気持ちが伝わってくるが、行動もまっすぐすぎる(笑)
だがこの人も30日で契約がとりあえず終了。
コンフェデに出場しないことでボルシアからのオファーは大分下火になるそうだが、あと一週間は心配でたまらない。

WYもいつの間にか閉幕していたのね

前半を振り返りながら

2005年06月23日 04時39分34秒 | Weblog
当たり前なのだがブラジル強い、上手い!でも前半中頃は結構繋ぐプレイだったし、俊輔良かった(^^)v
加地のオフサイドゴールは返す返すも残念…それでも何か開眼したような加地の動きは(・∀・)イイ!
後半踏ん張れニッポン☆彡

週末をフリカエル、その3

2005年06月20日 22時55分56秒 | 雑記
土曜の夜は、また特別な場所へ行った。

六本木のクラブだ。

今までクラブ活動はしたことはあれど、夜のクラブで遊んだ経験は無い。それを会社の知人(永久脱毛した同僚とは違う)に言ったら「今まで何して遊んできたの?」と言われたので、連れて行ってもらったのだ。

この日は軽井沢で買ったワンピを着て、髪をしっかり巻いて臨んだ。
いつもより化粧も濃い目にし、そんな格好で六本木に向かっていると時間も時間だったので自分がお水の仕事をしているように見えた。(言い過ぎ)

クラブでの経験……これは箇条書きで簡潔に述べると。

①カーディガンを無くす。
どうやら間違えて誰かが着ていったらしい。落し物係にはケータイ番号を教えたが、いまだ連絡なし。
1500円だったとはいえ、結構重宝していたのに

②腕や腰や尻や背中や髪や顔を撫ぜられた。
これは狭い空間で男女が揉みくちゃにされるから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。
知人曰く「コミュニケーション」
好きでもない人にそんな事されるのは自分としてはそれなりにショックだったが、クラブに来たのだからそれぐらい当たり前だと一蹴されたのでそんなもんなのだろう。

③不細工ほど積極的。
どう見てもアキバ系やモテなさそうな小太りな人ほど、ケータイ片手に突然手を握って離さない。酒だけおごって貰おうと笑顔になったら、ここぞとばかりに耳元に息吹きかけながら話し掛けてくる。相手も必死だ。
いくら酒をおごって貰うにしても、自分が可哀想になってきた。
ついでに踊っているときに積極的に体を擦り寄らせるのも不細工だった。気持ち悪いが、最後のほうはお断りが出来るようになったから結構頑張ったぜ自分(?)

④酒が薄い
飲んでも飲み足りない(あくっまさん最低!)

⑤変なおっさんにキスされそうになった。



これは正直気持ち悪かった。
知人と二人できていたのだが、はぐれてしまったので探している最中。
廊下で40代ぐらいのクソ爺が絡んできた。「友達探しているので」と横をすり抜けようとしたら「俺を探しているんだろ」といきなり抱きついてきて、舌を出してキスしようとしてきた。
最初は何が起きているのか分からなかったが、顔を背けた瞬間舌が口の端と頬の中間辺りに当たって、自分もようやく事態が飲み込めた。
その時ジムで鍛え、学生時代にアーチェリーで鍛えられた押し手の左腕がクソ爺を振り払えたのは、感謝している。
また、咄嗟に出てきた言葉を思い出すとちょっと笑えた。

非常事態になるとその人の素が出てくると思う。
自分もこんな非常時なら「ふざけんな、クソ爺!」とでも言うかと思っていた。
でもその時出てきた言葉は、

「やめなさい!」

だった。
人間高圧的に出られると、引っ込むらしい。
クソ爺はそれ以降こそこそと逃げ、その後すれ違っても怯えたように逃げた。

そこまでして楽しかったかどうかは分からない。
踊るのだけは楽しかったが、いくらクラブにおっさんがいるのがイレギュラーとしても、こんな事はいくらでも起きる。
会社の知人は「5回ぐらいいけば、変な人を避けられるようになるよ」と言っていたが、今のところ行きたくない。

これが週末に起きた出来事。
今朝のギリシャ戦は、うつらうつら見たから感想もぼんやり。
とにかくブラジル戦でのブラジルは、本気だという予測だけつく。
メヒコ、頑張ったな~。

週末をふりかえる、その2

2005年06月20日 22時28分01秒 | 雑記
午後は会社の同僚とエステに連れて行ってもらった。
エステで何をしたかって言うと……今やエステ利用率No.1!

永久脱毛

脇だけで2万円というコースをやったのだが、あっという間に終わってしまった
本当に5分ぐらい。ちょっと熱い!と思った隙に「終わりです~」の声がかかり、終了♪
勿論これ一回だけではなく全部で6回ほどやらなくてはいけない。しかも自分は今まで無駄毛は抜いていたので毛根があまり残っておらず、次回こそ本格的なのかも
でもちょうどソシエの脱毛器も壊れたていたし、いい機会だったかも♪
こんなに簡単なら(金さえ許せば)腕と足もやりたいぐらい。

カウンセリングも含め1時間で終わったので、その後は同僚と一緒に脱毛した同僚の友人と共にカプリチョーザでランチ(と言っても5時だから夕飯?)
有意義な夕方だった。

週末を振り返る、その1

2005年06月20日 22時19分42秒 | 雑記
土曜日の午前中。

金曜夜に学生時代の友人達と飲み、終電で帰ると父が客間で寝ていた。
元々この日にくる予定だったから、こっそり風呂を浴びて翌日は父と祖母の墓参りをした。
先日三回忌を迎えた祖母の墓石は、墓標に彫られた文字にうっすら苔が生え、雨染みが出来ていた。
それを綺麗に磨き、二週間前叔父達が供えた仏花を取り替える。墓全体をこざっぱりと整え、さて帰ろうかと車の前に来たとき。
父がおもむろにデジカメを取り出した。

娘「何するの?」
父「緑をバックに写真を撮ってもいいかな?」
娘「霊現象起きても知らないよ」
結局父娘は祖父の家に帰った。
今はもう祖父自身老人ホームにいるので、簡単に掃除をして祖父の駐車場に車を置いて帰ろうとすると、父がまたデジカメを構える。

父「庭の緑をバックにスナップ写真を」
娘「どうしてそんな物を撮りたがるの?」
父「おばあちゃんの三回忌のとき親戚にお前の見合いを頼んだけど、写真が無いと本気にしてくれないだろ?」

自然な姿を納め、縁談を持ってきてくれそうな人に配るそうだ。

娘「私はまだ結婚するつもりは無いよ」
父「お母さんが24歳で結婚できたんだから、お前も出来るだろう」
娘「30年前のレートで物事を計らないでよ」

結局数枚写真を撮る。
その度に父は困ったように「そんなに引き攣らないでよ」と言った。

その日は土曜日だというのに珍しく高速が込み、折角上京した父と一緒に父の日のプレゼントを買おうとしていたが叶わなかった。
今朝メールで「父の日おめでとう」とだけ伝えたが、何がおめでとうなのか分からない。

愛情を深く感じる、土曜の午前だった。

いわクマー!

2005年06月20日 22時04分23秒 | 雑記
週末色々と初体験をしすぎて、更新をさぼり気味。
ようやくやる気を出して更新作業に入ろうと思ったら、うっかり岩隈久志の公式HPを見つけてしまったからもう大変。

自分、サッカーより気持ちが劣ってしまうのは仕方ないが野球もそれなりに好きだ。
特に投手が好きで、アンチ巨人なのに槙原や斎藤雅、桑田のストイックな姿勢に痺れた口だ(槙原は笑顔と豪快な速球が好きだったが、今ではあんなに太って実はショックを受けている)

現在サッカーに重きを置いているのでさほど熱狂はしていない。だが基本的にスポーツというジャンルが好きなので、テレビで流れていたら見るほうだ。
特にジムだと野球中継が流れっぱなしなのでよく見る。
昔から好きな投手は、工藤。西部時代からずっと心の中で応援していた。
ダイエーへ秋山と一緒に追い出された(?)時はショックが隠せなかったな……。

最近好きな投手は、冒頭に出てきた岩隈久志。
ビジュアルも好きだが不思議な投球フォームと繰り出される絶妙なコントロールが素晴らしい。
ストイックな雰囲気を持っている選手が好きということだろうか。

何か情報があるかなと思って公式HPを見つけ、何となくDiaryを読んでいたのだが……。
岩隈の子ども時代って壮絶だったんだね
九月頃にあったと思うが、野球を始めたきっかけが『家にいたくなかったから』
野球中継で広橋コーチの紹介欄に必ず「岩隈の義父」とあって不思議に思っていたが、家族仲が良いようで(むしろこの家族の中に岩隈が溶け込んでいるようで)今更ながら衝撃を覚えた。
奥さんも写真を見たら「ギャル!」なんて思ってしまって失礼だよ自分!
目鼻立ちハッキリして可愛いッス……っとコロッと評価が変わる自分が怖い。

家族が大切なんだな、と思うのと同時に、当てつけられたような気恥ずかしさ反面不思議な『焦り』を感じてしまった。
この『焦り』が自分の内から沸きあがったのか、ディスプレイから差されたのかは分からない。

家族は愛すべきもの。
週末の騒動を思い浮かべると、少々自分に疑問符が打たれる。

岩隈久志公式HP

コンフェデ初戦

2005年06月17日 03時18分32秒 | Weblog
日本 1-2 メキシコ

完敗だった。
絶対にボールを下げないサッカーをするメヒコと、ラインを下げてボランチとの間に出来た空間を切り裂かれた日本。まともに戦えたのなんてヒデと俊ちゃんぐらいしかいないんじゃないだろうか。しかも彼らが奪っても、次に続かないからすく奪い返される。
アジアでは強いかもしれないが、中南米っぽい細かい繋ぎのサッカーに日本は弱かった。W杯では絶対南米サッカーで戦う国と競うのだから、前線からプレスをかけたりラインを押し上げる練習を積めるかどうかが課題だ。
中澤がいれば、もっと早くボールを奪っていたんだろうな(-_-;)