昨夜からあくっまさんは帰省した。
盆地の夜は冷える。父の体に冷えは大敵なので、今年の冬は例年より部屋全体を温めている。
オトンが最初の手術を受けたのは、広島県F市。毎年受けている人間ドックの内視鏡検査でポリープが見つかったのだ。
病理の結果、良性という事で、経過を見る為にその半年後日帰り検診をオトンは受けた。
テレビではよく内視鏡での手術は簡単だと言われている。オトンは検診の際にポリープが危険だと医者が判断したら切除してもいいという同意書に、深く考えずサインをした。
それから後の腸壁穿孔、開腹手術、腹膜内洗浄は去年の五月の日記にもある通りだ。
この腹膜内洗浄の時、どうやらオトンの体中に癌細胞がばらまかれたらしい。
穿孔は数千例に一度の割合で起きるらしい。そして穿孔後腸壁を閉じられなくて開腹手術になる例は更に少ない。だが、無いことは無い。
しかし、腹膜内洗浄で癌が転移した例は今までないのだそうだ。
東京の癌専門病院の医者は言った。
「何故東京で手術をしなかったんですか」
「何故簡単に内視鏡手術をしたんですか」
あくっまさん達はその時はじめて、内視鏡手術は簡単だというのは思い違いなのだと知った。
そして調べていくうちに、医者のもつマニュアルには専門機関の定めた、ある一定のガイドラインが書かれており、手術はガイドラインに沿って行われているのを知った。
オトンを最初に手術した地方病院の対応は、間違ってはいないらしい。
だが、合ってはいても、やり方があまりにずさんだった。
11月13日、オカンと兄とオトンに手術の説明した際に、東京の医者は取り寄せられたオトンの最初の手術のカルテを説明しながら言った。
「うちの病院なら手術時間と洗浄時間を、あと一時間かけます」
そして、続けた。
「そこが別れ目だったのかもしれません…きっと色んな病院で、あくっま父のような患者が、気付かれぬまま癌が転移しているのかもしれません。」
「だから、訴えてください。その病院のマニュアルを変えてください」
オトンはその病院の手術対応によって、もう一つの弊害が生まれていた。
腹膜ヘルニアだ。
腹膜ヘルニアというのは、臓器が腹膜から飛び出している状態である。あまり想像出来ないだろうが、オトンのお腹は開腹手術後にひどいメタボ腹のように、ポコンと飛び出していた。
元々がっしり体型で痩せ型でもなかったが、臍の辺りだけ飛び出している姿は異様だった。本人も太っているようで恥ずかしがっていたが、開腹したらそうなると言われると、納得せざるをえない。
しかし、後から腹膜ヘルニアという、縫合が甘かったせいで、臓器が飛び出している状態だと知った。
ある医者には、「穿孔された上に開腹させられて、更に腹膜ヘルニアにさせられたんですか!」と笑われた。
腹膜ヘルニアは手術をして臓器を腹膜に入れ直せば治る。しかし、オトンは先の穿孔が起きた手術を連想して恐かったらしく、腹膜ヘルニアで見た目が悪くても死なないのだからと、そのままにした。
甘く縫合された、通常の人より広々とした体内で、癌は通常よりも大きく育ったのかもしれない。
オトンが癌の痛みを感じた今年の秋、癌はオトンの体の中で赤ん坊の頭ぐらいの大きさになるまで成長し、体中を圧迫した。
だから、執刀医の想像以上だったのだろう。
癌は大腸と小腸、すい臓の一部と腹膜に転移していた。
しかし不思議な事に、大腸癌に多い、胃や肝臓の転移は無かった。
まさに、腹膜内洗浄の行われた内部に転移していたのだ。
あの時、あの医者が執刀しなければ。
あの医者が執刀しても、自分の技術以上の大きさのポリープに躊躇して、切除を取りやめてくれれば。
穿孔してもちゃんと医療クリップで閉じてくれれば。
腹膜内洗浄でも、丁寧にやってくれれば。
どうして。疑問は尽きない。
ガイドラインに従えば、腹膜内洗浄を終えれば、一年に一度の経過観察でいいとされている。
しかしオトンは、六月の退院後にCTスキャン、
十月に癌検診を受けて「癌完治」の診断書が出ても、
今年一月に専門病院へ大腸内視鏡検診(ここでも「完治宣告」)、
三月にPET検診(CTスキャンより細かいが何も見つからず)、
六月に腫瘍マーカー、
七月に最初に手術した病院への問診、
九月に地元病院へ問診に行っている。
それでも下痢や腹部の違和感があったオトンがCTスキャンを撮って、ようやく「癌が再発している可能性がある」という診断が下された。
オトンもオカンも必要以上に検査をした。
医者から煙たがれるほど、色んな病院で調べた。
お金も時間も沢山かけた。それなのに、どこの病院のどんな医者も、癌をスルーしてきた。
ガイドラインから外れたオトンは、もっと大きな声でしっかりと、違和感を主張すれば良かったのだろう。だが、大人しいオトンは、医者に言われた通り経過を話し、医者はガイドラインを基本に関係ないと進める。
大腸内にも癌はないので、オトンはただのクレーマーのような扱いになる。
まさか、大腸の外に癌があるとは思わない。外から内部に腸を侵食して内視鏡に映る頃には、末期だった。
オトンには二つの問題が起きていたのだ。
一つはガイドラインに従っているが、ずさんだった地方病院のマニュアル。
もう一つが、それでもガイドラインに従った術後処理や過剰な検診が行われたのに、見つけられなかった再発癌。
その後、インフォームドコンセントの場で、医者は言った。
「ガイドラインは、何十年とかけて作られた本来は正しい物です。ところがあくっま父のような方がいらっしゃった場合、天道説が地動説になってしまうぐらい、僕たちの業界では大激震な出来事なんです」
「今まで内視鏡で手術後経過観察だけだった初期大腸癌の手術が、開腹する大掛かりなものを考慮しないといけない可能性が出てきます」
しかし、何故オトンが最初の一人にならないといけないのだ。
また、腹膜ヘルニアを治した手術でも、執刀医が想像できなかったような事態が起きた。
オトンに化学療法を早く受けさせたいと考えた執刀医は、腹膜ヘルニアを治す為に腹を閉じた。その際、腹膜から飛び出していた胃と小腸の一部を腹膜に入れる作業は、腹圧やら大変な苦労だったらしい。
ようやくオトンの腹膜内に臓器を詰め直したら、今まで以上腸内が圧迫され、オトンは腸閉塞を起こした。
術後すぐ受けるはずだった化学療法も、腸閉塞の為に延期。二週間でうけられるはずが、十日以上の絶食を含め一ヶ月以上遅れた。
なんで、こんな目にあってしまうのか。
腹膜ヘルニアを治した後の経過は予想外にしても、どうしてこんなに医者に裏切られるのだろう。
それでも我々は、医者にすがらないと生きていけない。
盆地の夜は冷える。父の体に冷えは大敵なので、今年の冬は例年より部屋全体を温めている。
オトンが最初の手術を受けたのは、広島県F市。毎年受けている人間ドックの内視鏡検査でポリープが見つかったのだ。
病理の結果、良性という事で、経過を見る為にその半年後日帰り検診をオトンは受けた。
テレビではよく内視鏡での手術は簡単だと言われている。オトンは検診の際にポリープが危険だと医者が判断したら切除してもいいという同意書に、深く考えずサインをした。
それから後の腸壁穿孔、開腹手術、腹膜内洗浄は去年の五月の日記にもある通りだ。
この腹膜内洗浄の時、どうやらオトンの体中に癌細胞がばらまかれたらしい。
穿孔は数千例に一度の割合で起きるらしい。そして穿孔後腸壁を閉じられなくて開腹手術になる例は更に少ない。だが、無いことは無い。
しかし、腹膜内洗浄で癌が転移した例は今までないのだそうだ。
東京の癌専門病院の医者は言った。
「何故東京で手術をしなかったんですか」
「何故簡単に内視鏡手術をしたんですか」
あくっまさん達はその時はじめて、内視鏡手術は簡単だというのは思い違いなのだと知った。
そして調べていくうちに、医者のもつマニュアルには専門機関の定めた、ある一定のガイドラインが書かれており、手術はガイドラインに沿って行われているのを知った。
オトンを最初に手術した地方病院の対応は、間違ってはいないらしい。
だが、合ってはいても、やり方があまりにずさんだった。
11月13日、オカンと兄とオトンに手術の説明した際に、東京の医者は取り寄せられたオトンの最初の手術のカルテを説明しながら言った。
「うちの病院なら手術時間と洗浄時間を、あと一時間かけます」
そして、続けた。
「そこが別れ目だったのかもしれません…きっと色んな病院で、あくっま父のような患者が、気付かれぬまま癌が転移しているのかもしれません。」
「だから、訴えてください。その病院のマニュアルを変えてください」
オトンはその病院の手術対応によって、もう一つの弊害が生まれていた。
腹膜ヘルニアだ。
腹膜ヘルニアというのは、臓器が腹膜から飛び出している状態である。あまり想像出来ないだろうが、オトンのお腹は開腹手術後にひどいメタボ腹のように、ポコンと飛び出していた。
元々がっしり体型で痩せ型でもなかったが、臍の辺りだけ飛び出している姿は異様だった。本人も太っているようで恥ずかしがっていたが、開腹したらそうなると言われると、納得せざるをえない。
しかし、後から腹膜ヘルニアという、縫合が甘かったせいで、臓器が飛び出している状態だと知った。
ある医者には、「穿孔された上に開腹させられて、更に腹膜ヘルニアにさせられたんですか!」と笑われた。
腹膜ヘルニアは手術をして臓器を腹膜に入れ直せば治る。しかし、オトンは先の穿孔が起きた手術を連想して恐かったらしく、腹膜ヘルニアで見た目が悪くても死なないのだからと、そのままにした。
甘く縫合された、通常の人より広々とした体内で、癌は通常よりも大きく育ったのかもしれない。
オトンが癌の痛みを感じた今年の秋、癌はオトンの体の中で赤ん坊の頭ぐらいの大きさになるまで成長し、体中を圧迫した。
だから、執刀医の想像以上だったのだろう。
癌は大腸と小腸、すい臓の一部と腹膜に転移していた。
しかし不思議な事に、大腸癌に多い、胃や肝臓の転移は無かった。
まさに、腹膜内洗浄の行われた内部に転移していたのだ。
あの時、あの医者が執刀しなければ。
あの医者が執刀しても、自分の技術以上の大きさのポリープに躊躇して、切除を取りやめてくれれば。
穿孔してもちゃんと医療クリップで閉じてくれれば。
腹膜内洗浄でも、丁寧にやってくれれば。
どうして。疑問は尽きない。
ガイドラインに従えば、腹膜内洗浄を終えれば、一年に一度の経過観察でいいとされている。
しかしオトンは、六月の退院後にCTスキャン、
十月に癌検診を受けて「癌完治」の診断書が出ても、
今年一月に専門病院へ大腸内視鏡検診(ここでも「完治宣告」)、
三月にPET検診(CTスキャンより細かいが何も見つからず)、
六月に腫瘍マーカー、
七月に最初に手術した病院への問診、
九月に地元病院へ問診に行っている。
それでも下痢や腹部の違和感があったオトンがCTスキャンを撮って、ようやく「癌が再発している可能性がある」という診断が下された。
オトンもオカンも必要以上に検査をした。
医者から煙たがれるほど、色んな病院で調べた。
お金も時間も沢山かけた。それなのに、どこの病院のどんな医者も、癌をスルーしてきた。
ガイドラインから外れたオトンは、もっと大きな声でしっかりと、違和感を主張すれば良かったのだろう。だが、大人しいオトンは、医者に言われた通り経過を話し、医者はガイドラインを基本に関係ないと進める。
大腸内にも癌はないので、オトンはただのクレーマーのような扱いになる。
まさか、大腸の外に癌があるとは思わない。外から内部に腸を侵食して内視鏡に映る頃には、末期だった。
オトンには二つの問題が起きていたのだ。
一つはガイドラインに従っているが、ずさんだった地方病院のマニュアル。
もう一つが、それでもガイドラインに従った術後処理や過剰な検診が行われたのに、見つけられなかった再発癌。
その後、インフォームドコンセントの場で、医者は言った。
「ガイドラインは、何十年とかけて作られた本来は正しい物です。ところがあくっま父のような方がいらっしゃった場合、天道説が地動説になってしまうぐらい、僕たちの業界では大激震な出来事なんです」
「今まで内視鏡で手術後経過観察だけだった初期大腸癌の手術が、開腹する大掛かりなものを考慮しないといけない可能性が出てきます」
しかし、何故オトンが最初の一人にならないといけないのだ。
また、腹膜ヘルニアを治した手術でも、執刀医が想像できなかったような事態が起きた。
オトンに化学療法を早く受けさせたいと考えた執刀医は、腹膜ヘルニアを治す為に腹を閉じた。その際、腹膜から飛び出していた胃と小腸の一部を腹膜に入れる作業は、腹圧やら大変な苦労だったらしい。
ようやくオトンの腹膜内に臓器を詰め直したら、今まで以上腸内が圧迫され、オトンは腸閉塞を起こした。
術後すぐ受けるはずだった化学療法も、腸閉塞の為に延期。二週間でうけられるはずが、十日以上の絶食を含め一ヶ月以上遅れた。
なんで、こんな目にあってしまうのか。
腹膜ヘルニアを治した後の経過は予想外にしても、どうしてこんなに医者に裏切られるのだろう。
それでも我々は、医者にすがらないと生きていけない。