横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

会社に言えない

2008年07月30日 22時14分09秒 | Weblog
この時期土建屋さんは暇なので、半休を取りながら父の看病をしている。

といっても、あくっまさんは父の看病がほとんど出来ない。
それほど父は衰弱し、すべての作業が専門家による大掛かりなものになっているのだ。
先週は肩を貸しながらも一人でトイレに行っていたのに、今は寝たきりだ。食事も取れず、体を起こすことも出来ない。

毎日心搏数が10ずつ上がる。

膿や便が大量に出て、処理だけで父は疲れ切る。


夜が怖い。電話の音が怖い。ケータイが身近にない時が怖い。

いつかがいつくるかを考えて、怖い。

毎日悪化する

2008年07月30日 00時42分44秒 | Weblog
手術の傷口が開いて、膿が出てきた。
感染症が起きたそうだ。自己治癒力も落ちて、投薬しても体が反応しない。衰弱しているらしい。

家族は心肺停止後の措置をどうするか判断しろと言われた。
延命措置をするなら肋骨が折れるまで心臓マッサージをするが、末期癌患者は殆ど蘇生しないし、患者は苦しいと言われた。

最悪の事態を考えないといけない時になった。


病室では父と話す。殆ど声が出ないほど擦れたが、父はしっかり意識を持っている。
会話に微かに笑ったり、頷いたり首を横に振ったりする。
それでも一昨日より昨日の方が声に力が無くなった。昨日より今日の方が呼吸が荒くなった。
良いところがどんどん無くなっていく。衰えてくる。


医者に今日でも明日でも何が起きてもおかしくないと言われた。
夜中に呼び出すかもしれないと言われた。

ケータイ電話が手放せない。
自宅電話の音が怖くなった。


神様、酷いです。

ひどいよ

2008年07月25日 18時21分28秒 | Weblog
今朝オカンから電話があって、父が目覚めないと泣いていた。
あくっま兄弟は慌ててタクシーで向かったが、父は極度の低血糖になったらしく、注射一本射つとけろりと目が覚めて、私たちに手を振って出迎えた。
その後は安心だと兄が会社へ行くと、朝食を取りながら父の目が虚ろになり、視線が合わなくなった。力がなくなって明らかに様子がおかしいと看護師を呼ぶと、またも低血糖に。また注射を射ち、Folfoxが三時間残った点滴を取り上げた。

これを射ってもらうために、手術を二度もしたのに。

父の白血球数は400に下がっていた。
もう化学療法は出来ない。


父の状態が落ち着いてきたので、会社に行くと、オカンから電話があった。
父の熱が38度を超えたらしい。白血球低下による感染症だ。
今すぐではないが、いつ何が起きてもおかしくないから、覚悟するようにと言われた。


会社でも一目を憚らず涙ぐんだりしてしまう。
折り悪く誰かの訃報を打てと言われたので、忙しいと怒って会社を出た。


頭がに血が回らない。
どんどん希望の値は下がるのに、どうしてこんなに何も叶わないのか。

情けない

2008年07月23日 23時34分23秒 | Weblog
日曜と月曜に足腰の立たなくなった父の支えをした。
昨日から、股関節が痛くなってしまった。
情けない、実の父を支えられないなんて。
父が化学療法を受けるために入院したら、見舞い以外では父を支えないので楽になった。
今のうちに治さないといけない。しかし仕事中は重たい物の持運び、お茶汲みで立ち座りが激しく、業務中が一番痛む。

実の父なのに。なんて娘だ。

そんな事言わないで

2008年07月22日 12時51分27秒 | Weblog
父が来て、1ヶ月。
変わらないと思っていた父の病状だったが、先週中旬から1人でベッドから立ち上がるのが難しくなった。
親として弱っているところを子どもに見せたくないという考えの父は、母の助けを借りて何とか立ち上がっていた。

枇杷の葉こんにゃく湿布を当てたり、体をさすったりしながら、良くなればと念じながら二週間近く。
それでも緩やかに父の体調は悪化し、とうとう日曜の午後には1人で椅子から立ち上がれなくなった。
父は私や兄に介助されながら、トイレや椅子での立ち上がりをし始めた。

そんな中、父は祖父(今年91歳)の遺産の分配について、日曜に叔父と話し合いを行った。
母はずっと押し黙っているのに叔父の嫁が何度も口を挟むという、所謂遺産争いが起きたらしい。
我々は兄弟は別室で控えていたのだが、一時間あまりの長い話し合いの末、父は祖父が望んだ遺産分与を、父が何かあったときは兄が代襲相続するという形でなんとか叔父夫婦に納得して貰った。

叔父が相続したら、祖父の大事な土地や家を売り払ってしまうからだ。
親元を離れた後も、叔父達が家や墓の購入には祖父の資金援助があった事は、我々は知っている。祖父自身も父にそのような特別な援助をせず、両親が自分達の貯金でやってきたのを知っていたから、父に土地と家(家督)を、叔父に株や現金を残すと常々言っていた。
しかし叔父の嫁が「半分こです、全部半分こです!」と主張し、叔父も「(土地の方が財産価値があるから)そこで俺達も住むから」と…。

父に何かあったときは兄が代襲すると決まり、兄が叔父夫婦と交えて話し合う時も、兄と入れ代わりながら、
「あくっまはいいよね、お母さんのお家で」
と口にしていたので、「…わたしゃ何でもいいよ」と答えた。


その話し合いから帰ったら、父は1人で立てなくなった。
翌日月曜、父はテレビを見ているから買い物に行っていいと話したので、食材と近所のお寺と神社にお参りして帰ったら、居間で父が倒れていた。電話が鳴ったから出ようとしたら、倒れたそうだ。ぴくりと動かない父を見て、叫んでしまった。

幸いなことに父はこめかみを浅く切る程度で済んだ。しかし倒れた父を起こすのは一苦労で、体育座りまではあくっまさんの力で出来たが、起き上がらせるには兄が帰ってくるまで出来なかった。

それから父は1人で歩くのを嫌がり、家のなかでも家族の支えを必要とした。
今日また化学療法を受けるために入院するので、1人で立てない父を支えるために会社を半休した。

先週までは何事もなく母と二人で出かけられたのに。

骨と皮になり、身体中から何もかもなくなってしまった。お腹だけ腹水で少し腫れている。
好転する事がないのは分かっている。現状維持でさえもこんなに難しいことなのか。

十年ぶりに家族一緒に過ごして1ヶ月しか経っていない。
叔父一家に最後の別れのように品川駅で見送られて、2ヶ月。

「東海地方は二人が出会った土地だから良い事あるよ」「お母さんの病気も治ったしね」

両親の言った通り、父は物が食べられて化学療法が受けられる体になって帰ってきた。
しかし、帰宅する事になり近所にある雑誌『安心度病院ランキング』上位に掲載されていた大学病院に転院したら、あまりに古い設備や治療法(前にいた日本有数の専門病院だけでなく、東海地方のランキング外のような地方病院でもやっていた、スタンダードな療法)、高い個室料金のわりに酷い部屋や看護婦の不勉強等、まさに「聞くと見るではまるで違う」病院に行くこととなった。
切羽詰まっている我々はお金で解決するしかない。
「病室が空いていない」なら差額ベッド代を払って個室を、治療費を、全て払った。
必要が感じられない入院が何日も続いたときは文句を言っても受け入れられず、毎日差額ベッド代を払った。


だから、お金が大切なのはよくわかる。
何かあったときに命を繋ぎ止められるのは、金だ。

それで、財産放棄をしてもいいと言う家族の言葉に耳を貸さず、父は必死に遺産権利をもぎ取ってきたのだろう。
…所詮口約束だから、いざ遺産配分になり父がテーブルにつかないような事態になったら、あっさり覆ってしまうかもしれないが。


「お母さんさんのためじゃない、お父さんは子どもの為に頑張って話し合ったんだよ」
既に老人ホームにいる祖父の空き家を、父と母が楽に住めるようにリフォームの注文をしている。
父に何かあったら、母はそこで暮らしながら家賃収入で細々食べていく。
今の四人で住むには小さな家でなく(何せ座敷牢のような四畳半で父が、居間で母が寝ているのだ!)、もう少し広い家でゆったり暮らさせてあげたい。


二週間と言われた余命宣告から2ヶ月経った。
しかし、治療が出来ない二週間と治療が出来てからの2ヶ月は違う。
たった2ヶ月だ。

あの時癌研の医者がマニュアル通りではなく融通をきかせて抗がん剤をうってくれたら。
あの時色々検査したたくさんの病院で、父の癌の再発に気付いてくれたら。
そもそも、最初にあんな研修医上がりが父の担当にならなければ。
あの医者達がちゃんと時間をかけて父の体を洗浄させてくれれば。


ご飯を食べながら母が「どうしてこうなっちゃったんだろうね」と言った。
食事に味がなくなった。


そんなこと言ったらどうにもならなくなる。前に進めなくなる。
だが去年の今頃は、三連休でユーミンのコンサートを取ったと話していて、誕生祝いに皆でランチしようと話していて。
どうしても我々は去年に返ってしまう。こんなはずじゃなかったのに、なんて話すと。


今の我々にとって、一日一日が宝石のように輝いていて、貴重な宝物なのだ。

もんじゃ!

2008年07月17日 23時33分27秒 | Weblog
昨日は学生時代の友人が外国へ行くので、送別会だった。
花嫁姿を見せてもらったり、初々しい新婚エピソードを聞いたり、仕事の悩みを打ち明けたり。

ほら、そこのあなたよ!

楽しい時間はあっと言う間だった。
送別会はもんじゃ屋だったのだが、人生四回目のもんじゃは、「参加する事に意義がある!」とばかりに食べるだけ。難しい…。


敗因は手つきに見入ってしまうからだろうか。
いつもおっちゃん達の食べ物の取り分けを嫌々やっていたが、友人達に分けてもらうと「女子に分けてもらうのって楽しいなあ」と思ったのは、ここだけの話。


皆社会人六年目になり、人生の新たなステージに向かっている。あくっまさんは新たなステージに行っているのか、今のステージでレベルアップしているかはわからないが、昔の間柄に戻れる友人がいるのは嬉しいなあと思う、昨晩だった。

七回目ぐらいでもんじゃをマスターしてみたい。

SNOOPY Cafe

2008年07月14日 08時29分40秒 | Weblog
昨日は友人に誘われて、横浜にあるSNOOPY Cafeに行って来た〓
ご飯もスヌーピー、食器もスヌーピー、販売グッズも限定スヌーピー〓
全部スヌーピー〓

夢の時間だった…。
ドーナツ抱えたスヌーピーグッズを購入(その後オカンに「これお母さんのお土産?」と無邪気に聞かれたので、心で泣きながら渡す)

その他のショッピングモールに入っているお店も安可愛いものばかりだったので、今流行のサブリナパンツより丈が少し長いパンツを購入。

…ふくらはぎ丈は足が一番太く見える気がするのだが、何故流行するのだろう?(買って言うのも変だが)

お土産にドーナツも買って、帰宅。スヌーピーのドーナツにはピーナッツクリームが入っているそうだ。

さて、超初級問題。
スヌーピーやチャーリーブラウンが出てくる漫画のタイトルは?







答・PEANUTS

五百円玉貯金

2008年07月11日 09時04分51秒 | Weblog
一年経って、今年も貯金箱を開ける日がやってきた。
今年も133枚、66500円が貯まっていた。どうやらあくっまさんは毎年六万円ぐらい貯められるようだ。
去年はヨーロッパ旅行にと両親に進呈したので、今年は自分のために使う。


というわけで、今から自腹切って、人間ドックを受けてくる!
うーん、究極の自分探し(-ω-)

四回目幹事終了!

2008年07月05日 22時21分30秒 | Weblog
本日は友人の結婚式二次会に出席した。
幹事四回目ということで、準備は慣れたものだが、当日緊張するのは変わらない。
今回の新郎新婦は新郎自身も幹事経験者という事もあり、準備も協力的で非常に楽な幹事だった。

四回目ということで、マンネリ化していないか、内輪ウケしていないか、終わった後でも色々心配になる。

そろそろ年齢も考えて、引退だろうか。
ただ、四回というのは数字のうえでも縁起が悪いので、ご(五)縁のある幹事をして卒業でもしようかと考えている。


今のところ、あくっまさんが幹事をやった夫婦は家庭円満だ。

先着一名様に限り募集中!