横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

誕生日だった

2008年08月31日 23時25分46秒 | Weblog
昨日、8月30日は28歳の誕生日だった。

実は髪型も変えたので、こっそりアップ。
相変わらず人と会う気力はわかないが、あくっまさんは元気だ。

女子サッカーかソフトボールか

2008年08月21日 20時33分08秒 | Weblog
好きなのはサッカーか、ソフトボール(野球?)か。

メダルを見たいのは40年ぶりのメダルを狙うサッカーか、悲願の金メダルを狙うソフトボールか。

かっこいいのは澤か、上野か。


決められない!

そんな訳で、我が家は最初から二画面。
オリンピックを見たがっていたので、遺影をいつもの椅子に置いて、父も応援中。

父の葬儀を終えて

2008年08月19日 08時55分31秒 | Weblog
8月4日に父を看取った。
毎日見舞いに行って、一向に改善しなかった。それでも見舞いは習慣化し、このままいつまでも一緒にいられると思っていた。

8月3日の日曜にも見舞いに行き、夜に帰宅してから一時間後。母から焦った電話がきたので、慌ててタクシーに乗った。
タンクローリー炎上事故の煽りを食らって病院までの道は混んでいたので、裏道をお願いして病院へ。病室で父は本格的な酸素マスクをつけていた。母が父の体をさすりながら、必死に呼び掛けていた。
私が父をさすって目を覗き込むと、父はパタパタと足を動かした。意識はあるようだ。
その日の夜は峠だと言われ、父の弟夫婦(例の叔父)と近所に住む母の妹夫婦(叔母)がきた。その時も父は足を動かした。

前の晩、兄は友人とゴルフに行くのを悩んでいたが、父が行けと言ったので兄はまだ北関東の高速にいた。しかし母からの連絡を受けて、一時間でやってきた。
するとそれだけで父の脈拍と呼吸数は安定。兄が来ただけで安心した。

その日の夜はそのまま家族全員で病室に泊まり、翌日私は出社、兄は夏休みなので帰宅した。

出社したら、さすがに上司に父が危篤だと告げた。病院に行かなくていいのかと言われたが、いつなのかわからないので、今日は出社したと話した。
上司と会話して二時間後、母から電話があった。父の様態は安定しているが、看護師は家族がそばにいたほうが良いと言うらしい。私は上司に一言告げ、会社を出た。

途中で母から急げと焦った声の電話が入った。電車とタクシーを乗り継いで父の病室に飛び込むと、父の脈拍は低下していた。母と二人で泣き叫びながら、兄が来るまで待ってくれ、頑張ってくれと父の体をさすった。
母は、このまま間に合わなければ、兄は一生後悔する、あんたの自慢の息子だろう、お願いだからと泣いた。
二人で頑張って、頑張ってとずっと叫んだ。
警報アラームがずっと鳴り響いたままだった。父は最後に二回、歯を食い縛った。

兄はタンクローリー事故の余波を受け、予定より遅れてついた。兄が部屋に駆け込んで父に呼び掛けると、呼吸数が上がった。
だが、すぐに0になった。
8月4日13時03分、父は死んだ。
晴れ男にふさわしい、夏の晴天だった。


お通夜の晩は斎場に泊まってお守りして、告別式も終えて父と一緒に帰宅した。
どこかで四のつく日に亡くなった人はお地蔵さんになると聞いた。ずっと巣鴨のとげぬき地蔵に祈っていたからだろうか。
百度参りなんて数をとうに越えて祈ったのだから。

余命二年の宣告を、あんなに慎重に検査して、勉強しても10ヶ月にしてしまったのだから、神も仏もまだ祈り足りないというのだろうか。お地蔵さんにしたのは、せめてもの慈悲なのか。


まだ父がいなくなったことを実感出来ず、厳しい闘病生活だったので痩せこけて最期は目蓋も閉じられないほど目が落ち窪んだ父の姿が目に焼き付いたためか、遺影の頃の父を思い出せず他人を見ているようだ。


まだごく親しい友人や、こんな急に逝ってしまうとは思わなかったので遊びの予定を入れていた友人にしか、父の事を告げていない。


そんな中で葬儀に駆け付けてくれた友、弔電や香典を送ってくれた友、手紙や私の好きなものを送ってくれた友、改めてありがとう。

もう少し元気になったら、また会って欲しい。今の私は、母を一人に出来ない。

もっと気力がわいて整理が出来たら、父の事をたくさんの人に伝えないといけない。



ただの健診の事故からすべて始まったなんて、信じられないでしょ。
そんな人を増やしてはいけない。

貴様、客商売だろ?!

2008年08月02日 15時25分34秒 | Weblog
あくっまさんは、とっても短気だ。
短気は損気、いつも言われる。
そんな損するあくっまさんの話。


あくっまさんは総務だ。会社の事務手続きの窓口である。
そんなわけで、社外の人とも何かと接触がある。例えば、前職だった保険業の方とも何かと会う。

あくっまさんの保険営業の方との基本スタンスは、「愛想が無い」。
各社の営業に愛想よくしていたら、毎回保険営業を受けてしまう。それはとても厄介だからだ。
まさに事務的対応というやつである。


そんなあくっまさんの前に、某保険会社の若い女性営業がやってきた。
新卒採用で研修を終えたばかりなのだろうか。非常に情熱的な営業だった。
言い換えれば、しつこかった。


終業時刻に出入口に張っていて、走って追いかけてくるのである。エレベーターホールでもしつこく保険の話をマシンガントーク。
階段で帰ろうとすると走って追いかけ、トイレに逃げ込むと男性トイレでも入り口でまっている(戸口ではないが)

しかも、すぐ人の顔と名前を忘れ、何度も名前を尋ねたり…。

社内でも文句が多くなっていたので、いい加減クレームをいれようかと思っていた矢先だった。
彼女が新しい契約をゲットしたらしく、電話がかかってきた。

あく「保険担当のあくっまです」
保険「あくっま様ですね、よろしくお願いします」

いや、そんな初対面みたいな事を言われても、あんた何度も挨拶してるって…。あくっまさんの本名は珍しいので、大抵の人には忘れられないのだが。

相手に合わせて初対面の挨拶をしていると、彼女が電話口から話しかけた。


保険「御社の従業員の方からご契約いただきましたが、最初に何をすればよろしいですか?」

Σ( ̄□ ̄;)

なんであくっまさんがおたくの仕事の指示をしないといけないのだ。
しかしあくっまさんは優しいので、動揺しながらも「…多分○○という書類をうちの会社が記入しないといけないんですよね」と答えると、わかりましたと返事があった。

保険「ではお昼休みにお伺いしますので、受け取っていただけますか?」

いや、お昼休みはあくっまさんも休みだから。

記入する課長が夏休みなので、受け取ったら翌日記入してもらって渡すと答えて電話を切った。

そしてあくっまさんは昼休み後に書類を受け取った。すると彼女は「今日書いていただけるんですよね」という。

あく「電話でもお答えしましたように、本日課長は夏休みなので翌日で」
保険「ぇ、今日と聞いたのですが」


( ̄□ ̄;)!!言ってないよ

もう一度同じ事を繰り返すと、彼女はようやく納得した。が…。

書類に訂正印忘れ、保険会社側の記入忘れ発見!

これでは受け取れないと書き直してもらい、仕事だからと感情を抑えて書類を手に入れた。


そして翌日。

昼休みを過ぎても、彼女は来ない。
夕方あくっまさんが席を外しているときに一度電話がかかってきたそうだが、また連絡すると彼女は言って受話器を置いたそうだ。


遅れてくるのか、とあくっまさんは終業時刻を過ぎても辛抱強く待った。なにせ昨日あれだけ急かしたのだから、書類がすぐ必要なのだろうと気遣ったのだ。

だが30分を過ぎても彼女は現れない。
電話も来ない。

堪忍袋の緒が切れたあくっまさんは、彼女のいる営業所に電話をした。


すると。


保険「あくっまさん、お電話ありがとうございます」

ちょっと待て。


あんたなんで、うちの会社から30分かかる所にいるんだ。


あく「あの、今日いらっしゃると昨日おっしゃっていましたよね…?」


保険「はい、今日お伺いしますと言っていましたが、月曜日でもいいですか」


ちょっと待て(再度)。


この書類、あくっまさんにとってはどうでもいい書類で、むしろ貴女があくっまさんに頼んでいるんじゃないのか、コラ。
あくっまさんの声が刺々しくなっているのに、彼女は気付かないらしい。「それではよろしくお願いしますね」とにこやかに言って、彼女は受話器を置いた。
ガチャン、ツーツー。

その後のあくっまさんの怒りっぷりは、リアルあくっまをご存知の方は想像に難くないだろう。



あたし、あんたのなんなのさ!