横スカッとジャンパーズ

徒然なる侭に、主にマリノスと日常をくっちゃべります。毒にも薬にもなりません!

怖い事ばかり、悪い事ばかり

2008年05月28日 22時22分32秒 | Weblog
父の熱が下がらない。
手術の時に抜いたのに、腹水どころか胸水まで溜まってきた。
熱が下がらないと抗がん剤がうてない。
抗がん剤を打っても、悪くなる可能性の方が高い。
父が元気をなくして、歩かなくなった。

こんなに頑張っても、頑張った事にならないの。

私達があまりに哀れだったと、医者は言った。
だから手術を受けさせたと。
哀れで医者にも神にも泣いてすがっても、どうして救いの手は差し伸べられないのだろう。
手術までだったのか。

父のへの字の顔が直らない。
どうして、と考えるなと物の本には書かれている。
でも、どうして。

打っても良くならない。
打たなくても良くならない。人の生死って何なんだ。
どうしてあの時、ガイドラインを越えてやってくれなかった。

アービタックスはそろそろ承認される。
サードラインまで攻撃の手段はもてるのに。
誰か助けてよ。
毎日毎日お参りして、お祈りして、勉強して、何でもやっている。
それでも足りないのか。

無事終わった

2008年05月23日 02時44分34秒 | Weblog
午前は通常通り出社して仕事。
午後休を取り、新幹線に飛び乗って父の病院へ行った。
急遽30分早まり手術開始には間に合わなかったが、母と二人で震えながら約三時間待っていた。

私たちにとって手術時間は重要な意味を持つ。
11月の手術では、4時間かかるところを成す術無くそのまま腹を閉じ、二時間で終わった。
あの時を思い出す。予定時刻よりも早い時間帯で終わることは、失敗を意味するからだ。

外で小さな物音がするたびに怯えていたが、予定時刻に無事終了。
原発癌はかなり大きくなって圧迫していたが、小腸と胃にバイパスが出来た。経過が良ければ日曜に水分摂取、来週から食事再開、再来週から化学療法開始になるそうだ。


これでいいのかがわからない。
父は今まで良い経過というものを、経験した事が無いからだ。腸炎や腸閉塞を二年前の手術から起こしている。
その間に癌が急に進行したり、化学療法がやはり出来ないほど副作用が強かったり…恐い想像は止まらない。
しかし父は元気そうだった。


頑張って。私たちも頑張る。

癒し芸

2008年05月21日 23時58分40秒 | Weblog
あくっまさんの隠れた特技がマッサージだ。
人に触られる事が極端に苦手(くすぐったがり)だが、触るのは比較的平気なので問題は無い。

幼い頃から両親の肩を揉みまくった、あくっまさん。気付かぬうちに、指圧だけが高くなった。
ちなみに握力は左17。う~ん、虚弱。

あくっまさんと叔母(母の妹)は何故か腕の形が似ている。すなわち身長の割に腕が長く、指圧が高いのだ。身長が10センチ以上高い人と矢の長さなので、本当に長いのだろう。
叔母とあくっまさんはこの特徴のお陰で、オカン達から『エテ公の手』という不名誉なあだ名をつけられていた。
そうは言われても、両親に頼まれれば断る事はない。天性の才能と英才教育の賜物で、あくっまさんは一家の肩揉み職人になった。



…なんて事を知ったのは、最近。
オトンがオカンのマッサージを断り、あくっまさんをご指名する事に先日気付いたので、何故か尋ねたら「あくっまの方が強い」と答えた。
そこで、会社で肩が凝っている同僚の肩を揉んでみると、大絶賛!!
調子に乗って色んな人の肩を揉み、気付いてしまった。


自分の肩は揉めない。


あくっまさんの肩はかなり凝っているようだが、幸いな事に滅多に肩が凝ったと自覚することは無い。
しかし、他人にやるばかりでなく、自分にもやりたい!


というワケで、楽天で温灸セットを買ってみた。
枇杷の葉に棒状のもぐさを押し当てて、指圧と灸の効果をいっぺんにやるというものだ。
これは良さそうだと試すこと二日。あくっまさんは気付いた。


これも肩まで手が届かない!!


改良の日は続く。

片道切符なんかじゃない!

2008年05月21日 00時29分19秒 | 雑記
昨日、父は母と兄を伴って、名古屋へ旅立った。
正確に言えば母と兄に連れられてなのかもしれない。しかし父は「自分が治療を受けに行く」と考えているので、伴っている意識である。
あくっまさんは木曜金曜と連続で休んだので、月曜は出社した(留守番)

新幹線ホームに叔父(父の弟)がいたそうだ。
元々あくっま家は友人はおろか親戚にも父の病状を語らない。今回は父の余命が2週間という大騒ぎの時に、どうしてもツテが欲しくて両親の兄弟にコネクションを探した経緯があるので、叔父は父の病室に何度も立ち寄っていた。
二人きりの兄弟なのだから、心配なのは当然だろう。

しかし叔父はしきりと「おじいちゃんと一度会ってくれ」などと祖父との面会の事を何度も言い、日曜日になって父も折れて老人ホームから連れ出した祖父と面会させたりした。
父としてはちゃんと東京に帰ってくるつもりだったので大げさにしたくは無かったのだが、案の定叔母(叔父の妻)も連れて二時間もご対面だったらしい。

そして昨日の朝、あくっまさんのケータイに従姉妹からメールが来た。
従姉妹は現在妊娠五ヶ月なのだが、彼女からのメールに「おじさんのお見送りにいけなくてごめんなさい、どうしても行きたかったけど両親に猛反対されて」と書いてあった。

従姉妹は根はいい子なのだが思い込みの激しく暴走しがちなところもあるので、「いやいや、気持ちだけで充分よ。父は元気だけど体力は落ちているから、ちゃんと対応できなかったかもしれないし」とメールした。
このメールで少々不安になったのだが、午後からの母のメールで予感は見事的中。


父の見送りに、叔父どころか叔母と従兄弟(社会人)も新幹線のホームに!


基本的に見舞いも断ってきたのに(叔父本人の見舞いも何度も断っていた)、27歳の従兄弟に会社を休ませてまで、お見送り。
父を勇気付ける為のお見送りなのかもしれない。
だが、今までなるべく身内だけでひっそりやっていた事を、まるで今生の別れのような扱いにされて、母は怒った。
勿論うわべにはにこやかに、そして父にも気配を見せず、兄に対して爆発したらしい。

治療方法のない末期がんの患者が転院する。
そのイメージは、確かに今生の別れなのだろう。だが本人は治療をしに行くつもりなのだ。
今回だけは治療の手立てが必要で、初めてコネというものを探した。その中で母のツテだけが唯一希望となり、転院という運びとなった。
叔父もツテがない中頑張ったと思うが、最後まで「兄貴がヤバイ!」という気持ちの方が先行し、特に母には別れの準備に感じられて大変不快な気持ちになったらしい。

叔父の気持ちもわかるが、ひっそり派のあくっまさんも、そんな大げさにして欲しくないな…と思う、お見送りだった。
いやね、結構体力使うのよ、お見舞い客との対応って。
患者も家族も、時に理不尽と思うほどに。



そんな父は本日、検査した。
その結果、現在のままだと化学療法は受けられないと言われた。
父の受けていたFOLFOXの平均効果期間は約6ヶ月。父は4ヶ月で効果が切れ始め、腸閉塞が起きた。
大腸がんのもう一つの薬、FOLFOLIは、腸閉塞を引き起こす。腸閉塞の患者には使ってはいけない禁忌と言われている。
それを使うなんて、一体どういうやり方なんだろうと思っていたら、知人の医者は両親に向かって「胃と小腸のバイパス手術をする」と伝えたそうだ。
現在腸閉塞の起きている十二指腸周辺を抜かした小腸の場所と繋ぐらしい。

大腸と小腸のバイパス手術をしてまだ3週間と少し。しかもその時バイパス手術をして腸炎を起こしている。危険なのではないかと言うと、医者は「効くか分からないFOLFOXを2ヶ月するより、バイパス手術をすれば治療方法が広がる」と答えたそうだ。

そしてバイパス手術から10日から2週間後に化学療法を行うらしい。
母は「癌専門病院だと4週間は絶対やらないと言っていたのに、なんでそんなに早いのか」と尋ねたら、その病院では術後平均が10日から2週間後に何も無ければ、化学療法を始めるそうだ。
勿論時間を置けば安全だが、早く始めた方が治療成績もいいかららしい。

もし前回の手術から2週間で抗がん剤が再開できたら…そう思うと悔しい。
それが、癌専門病院と総合病院の違いなのだろうか。


癌の手術数は少ないかもしれないが、外科の手術数自体は劣らない。
だからこそ、そんな手術プランが考えられたのかもしれない。
だが、とても怖い。

医者は確かに緩和ケアに回してもおかしくない患者だと言ったそうだ。
それでも、何も食べられないまま緩和へ移行させるのではなく、もっと楽な状態にさせたい。
そして楽な状態になれば、治療に使える薬の数も増えると。
父は手術を受けたいと答えた。



家族としては、とても怖い。
しかし、このまま何もしないでくれ、と言う事も出来ない。
手術が成功しても抗がん剤が効くとは限らない。効いても副作用が強すぎるかもしれない。
何が良いのか分からない。
QOLってなんなんだ。

手術自体は簡単らしいが、会社を休んで応援したい。
そろそろ会社に言い訳するのが辛くなってきた。本日も周りから「二日も休んでどこにいったの?」と聞かれるので「病院です」と正直(?)に答えたら、何もいわれなくなった。
ああ、噂の怖い会社だ。

沢山の否定と、賭け

2008年05月18日 21時44分39秒 | 雑記
怒涛の一週間だった。

セカンドオピニオンへは3箇所行った。
ツテのある医者以外は、どの医者も今の父に化学療法を受けさせるという事は、死期を早めると否定した。
特に父は腸閉塞なので、現在残されている化学療法を受けたら、癌が消す威力よりも副作用の威力の方が早すぎて、残された時間が悪いものになってしまう。
しかし余命など知らない父は、今何もせずじっと死を待つのは嫌だといった。


一週間の流れ
~~~~~~~~~~~~~~~~

月曜日に知人の医者へセカンドオピニオン相談をしたところ、「2週間は言いすぎだ」という事と治療法を書いた報告書をいただいた。
その病院では父の状態でも治療をしているとおっしゃり、家族が慌てすぎないようにと念を押された。

父の入院している病院へ戻ると父は鼻から管が抜けていて、食事を再開していた。形だけでも食事をして、化学療法科へ腸閉塞が解消されて食事が出来ているというアピールをするのだという。
実際、癌の進行が小康状態になっているようだった。
看護婦には「先生方を信じて、そんなに方々へ資料を持っていかないでください」と言われ、余命2週間と言われ私達が急いでやった事が、心象を悪くしていると言われている様で正直ショックを受けた。

しかし、報告書を執刀医に渡したら、「受け入れてくれる病院があるなら、僕の家族が患者ならすぐ連れて行くよ」と言われた。
それほど今の病院では、マニュアル基準が厳しいと言うのだ。
そして昨日、執刀医の予想通り科学療法科の医師に「食事が通るはずもない、1週間試して駄目なら、次の段階を考えてください」と父に告げられた。
またセカンドオピニオン報告書を読んで「僕達はこんなこと怖くて出来ない」と
返された。

父には東海地方の公立の病院に治療の受け入れ先があるから安心して良いよと伝えたが、東京の大病院より知名度が低いので「ジプシーになるつもりはない、ここでやってから考える」と反対を受けた。
父は自分が再発癌という自覚があまり無く、ここでやる、という可能性が低い事があまり理解できないようだった。その次が緩和ケアで、緩和ケアがどういうものかわかって発言しているという事でもなさそうだった。

本を買って冷えとりや温灸の勉強を始めたが、確証や実績が取れていないものに興味が無いのか、私が色々話をしても父はあまり興味を示さなかった。

水曜

父に化学療法科の担当医と部長が来て、今の病院では化学療法は受けられないので緩和ケア科と話をしてくださいと言われた。
闘病生活が半年の父は、まだ他に手があるならと緩和ケアは考えていないようだった。
正直なところ、知人の病院で出された治療法がイリノテカンだったので、腸閉塞を起こしている父にやるのは怖いと家族では思っていまた(化学療法科も話していたが)
今日は会社を休み、都内のある診療所にセカンドオピニオンをして、低容量の化学療法や免疫療法の先生とも話をしてきた。
娘としては、そういう所に通いながら家庭で出来る冷えとりや温灸の自助努力をしつつ、在宅ホスピスのようなイメージで父の病気と闘いたいという気持ちに添っていきたいと思ったが、昨夜の今朝なので父がどう考えているのか。
患者としての父の気持ちを尊重したいと思う。

金曜

他の病院へ受けたら、もう戻ってくる事は出来ないと昨日言われた。
父の状況が良くなれば外来で戻ってこれるそうだが、体調が悪くなった場合は東海地方にいたまま…という事になる。

父は緩和ケアではなく、化学療法を受ける事を望んでいる。
色んな方々からお伺いした化学療法を受けた事の副作用の大きさを考えると躊躇してしまう…今日の家族会議で、意見を一つにまとめようかと思う。

今日も会社を休み、セカンドオピニオン相談をしてきた。
父の症状は進みが早いのでこれ以上の回復は望めない、父の状態で化学療法をするというのは禁忌と言われるやり方で、重篤な状態になる可能性の方が高いといわれた。
父の執刀医は回復を願って、随分と積極的に手術をしてきた、この治療過程は悪くない(むしろ頑張っている)と言われた。
もどがしい。

土曜

本日、家族で話し合った。
父は今のまま緩和ケアを受けるという気持ちは無く、化学療法を受けたいという話をした。
今の病院の方が治療実績もある。東海の病院もがん診療拠点病院だが、色んな本で名医と書かれるレベルの人が、今の病院の執刀医(外科)だった。
父が執刀医に化学療法を受けたいという気持ちを今朝告げたところ、「ちゃんとした病院で化学療法が受けられる、一か八かもしれないけれど受けなさい」といったそうだ。

父はその執刀医の決断力を信じていて、確かにあまり恵まれない父の病歴の中で、外科の手術だけは成功している。
家族としては、この状態の化学療法は危険もかなり高く、何かあっても子ども達が駆けつけられない転院は怖いという気持ちを正直に告げた。
それでも父は、一度でいいから試したいと話した。試さないと、このまま緩和ケアへ移行するのは納得できない、それが父の答えだった。

患者は父自身で、治療を選択するのも父の人生で…色んな方々が辿った話を思い出すと、怖い気持ちの方が強い。
勿論、検査入院をして実際は受けられない可能性もあるが。

自分達が探した、都内で受けられるような低容量の化学療法の診療所については、やはり受けられないといわれた。
理論は分かるが、論文も学術も無いのは怖いと。
病院の先生達にも相談したらしく、押並べて「知人の病院にしなさい、そういう民間療法はやめなさい!」だったらしい。
仮に効果があっても、未承認薬を使い続ける金銭的負担は大変で、続けられなくなったほうがもっと悲しい。
また、重篤な状態になっても、診療所レベルでは緩和ケアを行わず、ほっぽり出される患者達を沢山見てきた、と医師たちは言った。
そうなっても、一度出てしまった患者達を今の病院は受け入れられないそうだ。
化学療法科の診断を否定して、他の病院の治療を受けたかららしい。

知人の病院は最後まで父を見ると言った。
父は、良くなってまたこの病院に帰ってくると言った。

兄も私も母も、不安を思い切りぶつけた。父自身も回診に来た化学療法科に、何度も質問したようだった。
副作用や合併症の高さもたくさん言われたらしいが、ここでは何も出来ないから受け入れ先があって奇跡に賭けたいなら、受けてきなさいと最後に言われたそうだ。
誰にも止められるが、それでもやらないと踏ん切りがつかないのだと思う。
大腸がんステージ1での5年生存率が98.3%で、今のままだと父は1.7%に入っている。それも本当に奇跡のような確率だ。
今回は良い奇跡が起こる事を願っている。

日曜

今日も家族全員で集まってきた。
私は普通の人より指圧があるのか、マッサージをすると喜ばれるので父にやる。

色々な民間療法を調べた。
眉唾物もたくさんあった。効果があるかもしれないとすがりたくなるものもあった。
とりあえず、冷えとり療法と枇杷の葉温灸は昔からある理論なので、やってみようと思った。
ネットで靴下重ね履きセットと枇杷の葉温灸キットを注文したが、肝心の枇杷の木がそばにない。
周りの人に聞いてみると、クラブの先輩の家の庭にあるらしく、すぐに送っていただいた。人の優しさが身にしみた。

今日は枇杷の葉を持っていったが、冷えとり療法がいい、ツボマッサージがいいと最近やっているせいか、理詰めの父は納得できないらしく、宗教にはまってしまいそうだと両親に注意された。
そういう噂は一瞬で広がって、癌に効くからという名目で色んなものが押し寄せてくると。
それで喧嘩してしまい…あくっまさんが一番いけない。癌患者にとってストレスを与えるという事は。
自分だけ空回りしていて、父にも他の家族にも迷惑をかけている。

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慌しい十日間だった。
父と母と兄は、明日東海地方へ行く。
あくっまさんは、木金を休んだ影響で、明日は留守番。
最初は検査入院だから、無理して付いていかなくていいと言われた。

家族一枚岩にならないといけないのに、あくっまさんだけ空回りしている。
笑っていないといけないのに。
頑張らないと。


頑張った人に奇跡が起きるのなら。
頑張る量を、頑張る質を教えて欲しい。
それを越えて頑張るから、奇跡が起きて欲しい。

褒めて褒めて☆

2008年05月12日 17時58分40秒 | Weblog
昨日は朝から雨が降り続いていた。
カミナリ以外はやるのがアーチェリー。
学生時代なら「こんな雨、ただの霧雨だよ」と言っていただろうが、鈍った社会人アーチャーには辛い雨試合だった。

午前中は予選の30メートル1ラウンド一回勝負。ガクガクと震えながら、275点という、まさに目が点な点数に。

それなのに団体予選二位!
…はい、うちのチームには個人表彰一位の選手がうちにいます。
足を引っ張る、あくっまさん。
午前中は弓に集中出来なかったが、午後は雨がやんだ事もあり、気合を入れ直してトーナメント戦へ。


そう、トーナメントは変則オリンピックラウンド形式で争われたのだ。

30メートル2分一人2射計6本完射!

3分3射9本完射よりスピードが必要で、寒さもあり矢がスムーズに番えられない!

しかし、うちのチームは優勝候補だったらしく、それなりの成績を納めて三位になった。
わー凄い。


団体戦は楽しい。
三番目だったので皆の注目を浴びるのだが、金的当てて拍手や感嘆の声が上がるのは気持ち良い!
…逆に青なんてうっかり射とうものなら(30メートルでやったのがショック)、落胆の声があがるのだが…。
個人競技アーチェリーでは珍しい団体戦は、なかなか良かった。

ちなみにこのトーナメント、五年後の国体に向けて審判講習も兼ねているらしい。
…あと五年も続けるんかいな。
一回戦で負けたら、つまらないだろうなぁ。

あくっまさんだけ幸運続きで、ちょっと恐い。

最悪の予後

2008年05月10日 01時28分04秒 | Weblog
父のバイパス手術から二週間。
食事も再開し、今週末には退院して、このまま二週間後には化学療法を受けると言っていたのに。

家族から見たら父の調子は悪く、熱も高い。こんなに頻発して撮る人はいないと嫌がられながらも、今日CTを撮ってもらうと、癌が進行していた。
十二指腸やすい臓まで癌の播種が進行し、圧迫。
病院の方針で、術後四週間は化学療法を受けることはできないので、このままだと余命二週間だと言われた。


外科の担当医はこの状態で死んでしまうと術後死亡となり、外科の責任になる。
それは避けたいので、化学療法科にはなるべくかけあうという事を、ずっと言っていたそうな。
自分達の保身ばかり口にしていたらしい。

大病院特有の縦割り社会のため、緊急で化学療法が受けられるかを決める会議は火曜になると話していた。
余命二週間の患者に、火曜まで待てと。



私たちはセカンドオピニオン外来の準備をするため転医先の病院のリストアップ、最悪な場合のコネを使った東海地方への病院への連絡をした。
コネの医者は父を連れて来たらすぐ化学療法を受けさせると答え、私たちが今診療を受けている病院は特殊だから、緊急の化学療法をすぐ受けさせられないのだろう、と付け加えたそうだ。


酷いを通り越して、辛い。
なんで人の命がこんなに短くなるの?

揺れるマンション

2008年05月08日 02時49分18秒 | Weblog
先程の午前1時45分に発生した地震。
茨城震度5弱、あくっまさんの住む東京23区は震度3。


しかし。
あくっまさんの住まいのマンションは免震構造の上部階。通常よりゆ~っくり大きく揺れる。
思わず飛び起きたあくっまさんは、小学校で習った
「火事では窓を閉める、地震は扉を開ける」
の通りに、玄関を開けた。
三つ子の魂百まで。

すると聞こえてくる金属音。
『ミ~ッシ、ミ~ッシ』渡り廊下をぐるりと囲う手摺りが軋む音だった。

ぐら~りぐら~り揺れるマンション。
免震構造だと地上より大きく揺れるというが、震度5だとどうなるのだろうか。

あく「オカン、どうなっちゃうの?」
オカン「立てなくなっちゃうんじゃないかな…だからお母さん、いつでも逃げ出せるように、先に下着付けて寝るね!」

東京にきていたオカンは寝ぼけていても、しっかり者だった。
もう揺れないから寝よう。

服が買えないので

2008年05月06日 17時54分13秒 | Weblog
元の体重に戻るまで、服買わない!
と、宣言して二ヶ月。お蔭様で服を買わないまま初夏になってしまった。

素敵な春物、さようなら~。
しかし購買意欲はあるもので。
服の代わりをしっかり見つけてきた。


1.ピンキーリング
幼少より「烏のあくっま」と呼ばれ、硝子玉やオカンの片方だけのイヤリングを貰っては、喜んでいたあくっまさん。
宝石に関する本を集め、一時はディアゴ○ティーニにも手を出し、安ピカ物は自分で買っていたが、いつしか夢は「オーダーメイド」へと膨らんでいた。

「それなら、婚約指輪をオーダーメイドにすればいいじゃない!」

当分予定がないので不正解!

というわけで、屑裸石を偶然手に入れたあくっまさんは、四年ほど悩んで思い切ってピンキーを作ってみた。それが写真のアメジスト(と粒ジルコニア)。


…ああ、高かったさ!どう見ても二千円のピンキーが十倍さ!!
でもいいんだもん、一度でいいからオーダーしたかったんだもん!


2.イヤリング
ゴールデンウイーク、友人とサントリー美術館に行った帰り道。
ぶらぶらと東京ミッドタウン(サントリー美術館は三階にあるのだ)を歩いていたら、庭で若手デザイナーによる作品発表が行われていた。
そこであるブースを覗いたら、イヤリングが飾られていた。一瞬足を止めた直後、物凄い美人が声をかけてきた。

「このイヤリングは全部、私が作ったんですよ」

ヨッシャー、おばちゃん買うたるでー!

あくっまさんは女性に弱い。特に美人に弱い。
最近イヤリングを立て続けに落としていた事もあり(じゃらじゃらイヤリング好きの宿命)、あまり深く考えず購入する事にした。

「ありがとうございます、5200円です」

…そうか、ここに表示されているのは片方だけの値段か。予想外の出費だ。


3.パーマ
先日、行きつけの美容院からハガキがきた。宣伝かと思って読んでいたら、担当の美容師が寿退社するらしい。
半年前に結婚式の写真を見せてもらった以降、カットして貰っていなかったので(半年行かなくて行きつけというなって?)、東京ミッドタウンでマカロンを買って最後の挨拶へ行った。

美容院に行って驚いたのは、立っている美容師のお腹がすっかり大きくなっていたこと!

「結婚してすぐ出来ちゃったー!」

来月末出産予定の妊婦が屈んで髪をカット!
こんなに元気な妊婦は、マイミクすみす嬢以来だった。

七年切って貰っていたので寂しいが、マカロンを喜んで受け取って貰い、自分も嬉しかった。


そんなわけで、最後の切り納めと三年ぶりのパーマ。悲しいかな、写真ではあまりわからない。


そこにやってきたのは、資格試験受験料のお知らせ。

「ありがとうございます、9000円になります♪」


服飾費減り、出費増える。