本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

本能寺の変、その「うんちく」間違ってます!

2020年09月12日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
 本能寺の変について「うんちく」を傾ける人は実に多いですね。Yahoo知恵袋などにもいろいろ書き込まれています。でも、本能寺の変について世の中に広く知られていることはすべて史実ではありません。後世に書かれた軍記物という物語や現代の歴史小説が創作した作り話に過ぎません。
 このような話をすると「歴史は面白おかしく楽しめればいいんだ!史実か創作かなどどうでもいい」とおっしゃる方が多いです。物語を物語として楽しむのは構いません。でも、物語の話を材料にして歴史(史実)を推理するのは愚かなことです。決して正しい答えは出てきません。労力の無駄です。加えて、世の中に軍記物依存症のウィールスをばらまくことになります。これ以上、軍記物依存症を増やすのはやめましょう
 >>> 軍記物依存症の判定法
 本能寺の変についての間違った「うんちく」を傾けて恥をかく前に、この本を読んでおくことをお勧めします。 『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』明智憲三郎著・文芸社
 ところで、あなたは次のようなことを語ったりしていませんよね? えっ、もう語ってしまった! でも、遅くはありません。正しい「うんちく」を傾け直してください。きっと、本当のことを聞かされた皆さんは驚くと思います。青色の行をクリックすると『「本能寺の変」は変だ!』の該当の章の抜粋がご覧いただけます。
・信長は光秀を苛め抜いた
・光秀は信長を怨んでいた
・光秀は天下が欲しかった
・信長のせいで母親が八上城で敵に処刑された。
・近江・丹波の領地を取り上げられた
・諏訪の法華寺で欄干に頭をぶつけられた
・朝倉義景の頭蓋骨で作った盃で酒を飲まされた。
・頭を叩かれて付け毛が落とされた
比叡山焼討に反対したので信長が怒った。
恵林寺焼討に反対したので信長が怒った。
金柑頭と呼ばれた。
・家康の接待の料理が腐っていて信長が怒った。
・家康の接待が立派過ぎると信長が怒った。
斉藤利三を元の主君へ返せと信長が怒った。
秀吉の援軍に行けと命令されてメンツが潰れた。
長曽我部との取次役を外されてメンツが潰れた。
・光秀は「敵は本能寺にあり」と言って出陣した。
前日の夜まで重臣たちにも謀反の決意を隠していた。
・信長は光秀の謀反と知ると「仕方ない!」と言った。
・信長が討たれたのは油断したからである。
・羽柴秀吉は光秀謀反を知ると中国大返しの神業で戻って光秀を討った。
・山崎の合戦は天王山の取り合いが勝負を分けた。
・光秀は小栗栖の竹やぶで百姓の鑓で刺殺された。
辞世「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」

・徳川家康は光秀討ちの出陣にもたもたしている間に秀吉に先を越された。
・光秀は鉄砲の名手で、その腕を買われて朝倉義景に仕えた。
・光秀は朝倉義景に仕えていて、上洛前に信長に仕えた
・光秀は明智城落城の際に逃れて朝倉義景に仕えた。
・明智左馬助光春 (正しくは明智弥平次秀満)
・森丸 (正しくは森乱丸)

 『「本能寺の変」は変だ!』の抜粋をこのブログに連載していますので、ご覧ください。第1回から各回へのリンクが貼られています。
 >>> 『「本能寺の変」は変だ!』抜粋の連載第1回へ
 >>> もはや本能寺の変に謎は存在しない!利休・秀次切腹事件にも!

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 >>> 『「本能寺の変」は変だ!』エピローグ

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【2020年9月追記】
 「NHK大河ドラマ麒麟がくるのファンのfacebookグループに以下の投稿がありました。典型的な例なのでご紹介します。軍記物の作り話をとくとくと述べています。そのうえで、許しがたいのは、それを論拠として史実に言及していることです。これはほとんどの歴史学者のやり方と同じです。困った風潮です。
明智光秀の母・お牧の方のお墓は墓石はなく、地元の人がこの地の槇の木をお墓に見立ててひっそりと供養していたそうです。「敵は本能寺にあり」の石碑は ずっと後代の作です。
丹波攻めにおいて光秀は、互いの被害を抑える為、八上城を開城すれば城主も家来も安堵するよう信長に諮ると申し入れ、お牧の方を人質に入れます。お牧の方も平和な世が来るならと喜んで人質になったそうです。
ところが信長は、波多野兄弟を磔刑にしてしまいました。報復としてお牧の方も磔にされました。この時の怨みかどうか、本能寺の変は3年後に起こります。


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 本能寺の変研究の欠陥を暴き、「本当の歴史」を知る面白さを説く!
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