本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

子孫が明かす「真説・明智光秀」。大河ドラマ『麒麟がくる』主人公の「謀反人の子孫」と呼ばれた少年時代と、衝撃の新事実!

2020年09月11日 | このブログのガイド
 「子孫が明かす「真説・明智光秀」。大河ドラマ『麒麟がくる』主人公の「謀反人の子孫」と呼ばれた少年時代と、衝撃の新事実!」と題するニコニコ・ニュース記事です。

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 明智光秀についての研究用の情報をご提供する一般社団法人明智継承会のみつひでDB>の中に光秀についての質問に答える「みつひでQA」を開設しましたが、光秀の四国へ逃れた子の末裔と伝わる歌手明智ガラシャさんのホームページに私がガラシャさんに質問に答える形式で、あまり予備知識のない方にも丁寧にご説明した「教えて憲三郎先生!!」コーナーが開設されました。ご覧ください。
 なお、みつひでQAも教えて憲三郎先生!!も順次質問を増やしていく予定です。


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 「藤井四段に織田信長を考える」という記事を投稿したのが3年前。「藤井八段」に書き換えて再投稿です。相変わらず、将棋で言えば定石も知らない素人が藤井八段の将棋を論じるような織田信長論が世の中にあふれています。歴史素人の脳学者を名乗る人が「サイコパス」などと決めつけています。歴史学者・研究者も代わり映えしません。孫子も呉子も、張良・陳平も知らないで信長の戦法を語る愚を犯し続けています。それで信長を語るなんて無理ですよ!拙著「織田信長 435年目の真実」幻冬舎文庫を読んで勉強してほしいですね。


【2017年6月21日記事】
 14歳の棋士の28連勝はとても凄いと感嘆します。彼の頭脳には将棋の棋譜・戦法が山のように詰まっているのだと思います。
 そして、次に思ったのは織田信長です。彼の父親は尾張の守護代の奉行に過ぎなかったのに三河松平・駿河今川・美濃斎藤と戦った強者です。その父親が病没して信長が家督を継いだのが18歳(数え年)のとき。現代でいえば高校生です。
 そこから彼は身内の反抗を抑え、尾張の守護代・守護を破って尾張統一。足利義昭を担いで上洛。そして天下統一へと進みます。
 現代人は14歳の棋士の頭脳のすごさは想像して敬意を払いますが、400年前の信長の頭脳の中身には想像も働かず、敬意も払わないようです。歴史学者が軽々に「信長がそのようなことを考えるはずがない」「信長だったらこう考えたはずだ」などとおっしゃっています。信長の頭脳の中身を知らずして、そのように考えるのは随分不遜なことだと思います。
 信長が戦乱の世を生き抜くために中国の春秋・戦国時代の兵法やその後の中国の歴史の知識を大量に頭脳に詰め込んでいた、そしてそれを駆使して天下統一の戦いに勝利していった、と想像できないものなんでしょうか?それも知らずに「歴史に学ぶ」といえるものなんでしょうか?
 14歳の棋士をすごいと思って彼の将棋に学ぼうとするのと同じスタンスで、「(信長を論じる前に)信長に学べ」と思います。
 信長の頭脳に詰まっていたものが具体的に何だったのかは拙著『織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』幻冬舎をお読みください。
 >>> 「桶狭間の戦い」の勝利は偶然か?

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 amazonカスタマーさんの「論理的な歴史の解明は画期的。加えて、現代にも通じる教訓がここにありました」と題するレビューコメントです。
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 この本が画期的なのは、信長をはじめとした戦国武将たちが、
・どのような事情に置かれ、
・どのような価値観を持ち、
・どのような考え方を学び、実践したか
について先ず丁寧な解説がしてあることでしょう。
 当時の人たちの考え方を念頭に改めて史実を再構築した研究家は過去にはいなかったのではないでしょうか
 その上で膨大な文献の読み込むことによって、いくつかの古文書にある記述が、その時代の支配者によって意図的に歪曲され、ねつ造されたものであることさえ暴いて見せている事は圧巻と言ってよいと思います。
 当時の人たちの考え方が理解できる素地が整った所で、いよいよ本能寺の変の謎解きにかかります。
著者が少しづつ提示していくヒントを辿り、自分でも推理しながら読み進めていく面白さは過去に経験したことの無いものでした。
 人は歴史から学ばなければなりません。著者は、今、日本と世界が置かれている状況は、当時の戦国武将の置かれた状況に近づいてきていると鋭く指摘しています。傑出した才能の持ち主であった信長と秀吉は、結局運命づけられた滅亡から逃れる事ができませんでした。対して家康が300年の平和支配を築くことができたのは、それまでの利益を追及する価値観から仁・義・礼・智・信を善とする価値観への転換を成し遂げたからであったという指摘は、競争がし烈、過酷を極めている中にいる現代人こそ学ぶべき教訓ではないでしょうか。

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