なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

一番伸びた時期

2007-06-06 09:53:11 | Weblog
 自分の棋力が一番伸びた時期・・・それはある一定期間の伸び具合の幅であり、グラフ的に言うと勾配という見方もあるかも知れない。
 いずれにしても私の場合ははっきりしている。
  私の場合は大学生の頃21,22、23の頃だった。
 何故はっきりしているかというと、最初に碁を打ったのが中学1年の時で、このときは1局だけです。
 そこから約8年間のブランクがあって、碁とは関係のない植物クラブの部活の後輩で碁を打てるのを集めて勝手にお山の大将でかなりの局数を打った。
 おかげで自称初段の助教授には勝てたり、同じく自称二段の教授には先で良い勝負。
 学生寮に私と同じような囲碁ファンがいて、後輩の紹介で他流?交流戦をしたり
  マア自称初段と言っても実際は3級ぐらいあったかどうかとは思う・・・
 それでも初めの1局を打ったとき・・・ルールを憶えて確か26級だったか・・・1局どうにか打てるところで20級くらいだったろうか?
 そこから8年のブランクのあと3年で3,4級くらいまで行ったということは相当なもんだ(エッヘン!)。
 尤もザルの物差しでの話ですけれど。
  大学をでてから27,8才で囲碁道場なるものに入るまでは先生という人はいなかったのですから、自分で言うのも変ですが良くまあ勝手に伸びたものだと思います。
 それだけに変な伸び方はしているはずですけれど
  それでも未だにザルですから、それが良かったかどうかは全く別問題ではあるのですが、ともかく碁キチには成れた?ということです。

 では充実(ザル碁に充実というのもおかしいですが)したのはいつか?
  囲碁道場で2,3級の頃基本的な部分を教わっていた頃もそういう時期だと思うのですが、自分で一番に思うのは三段の頃だっただろうか。
 自己評価ですから当てにはなりませんし、”充実”などとはトンデモナイ・いまだ熟さず=未熟と言われても”その通りでオマスなのだが。
 この時期は一番棋譜を採っていた時期と重なります。
  丁度その頃K畑師匠が2.3級から初二段のグループに頼まれて、月に二度教室を開いていた時期です。
 私は自称弟子ですからお手伝い
  先生は教材を用意して勉強会を行うと同時に、2面打ちを行います。
 その場合、私はせっかく対局しても打ちっぱなしはもったいないと思って、傍らで棋譜を採るサポート。
 これは最初は手書きの碁罫紙で苦労しました・・・スピードについていくのが大変・・・手を追う勉強なのかも知れないけれど(そういうのがあれば)
 そこでパソコンを使って・・・盤側にキーボード・マウスを置いて棋譜管理ソフトで採譜しました。
 これを局後50手ごとくらいの分譜と総譜を印刷。
  局後の検討で問題になった点を加えてあります。
 これらは教わる人の勉強になった筈ですが、この下働き的な棋譜を採ることも勉強に成ったと思っています。
 棋譜を単に記録するだけでなく、盤上の出来事を考えながら棋譜を採り、局後の検討に参加することが勉強になっていたはず。
 ココで、直接的な敗着とは別に流れを悪くするターニングポイントみたいなことを考えるようになったのも”盤側”での余禄であったように思っています。
 5から7子の碁では、表面的には最後のヨセだとか直接的な捻り合いとかに勝敗の分かれ目があるように見えても、「ココで黒こう打っていれば白は勝てなかった」みたいな、肝心なポイントを黒は逃し続けていたり、決めどころを決めずに先送りにしている結果が・・・
 案外本人が意識していないという点と、割合序盤の早い時期にも問題があるという点でも根が深いと知ったのです。
 それと下手の心理というか気分を実感したのです。
  こういう事が自分では充実の一つの要素だと思うのです・・・

 話が横道に逸れますが、、、昨日職場碁のFさんの心理「5つも置けばそうそう負けるはずがない」はこの時からカナリ見てきています。
 当時教室の生徒さんたちがK畑師範に「7つも置けば・・・」という気分で教わるのを見ていますし・・・「何で勝てないのか判らない・・・」という戸惑いも見ている。
 更に「幾つ置いてもかなわない」的な嘆きも・・・
  いずれにせよ「これだけ置けば・・・」という気分というか態度はダメみたいですね。 
  

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