なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

大外れの日

2009-08-05 14:26:42 | Weblog
 今日は生活習慣病クリニックでの今月の定期検診日。
  指定された予約時間が朝11時・・・これは中途半端な感じで、本当は他の時間に変えてもらいたいところですが、マア午後を指定されるよりは好いし、どうせ暇なのは見透かされているので黙って予約していました。
 仮に朝9時半ごろの予約ですと、診察が終わってからの時間の余裕が違います。
  例えば検診の後で駅中の大型書店で時間をつぶし、駅前の海鮮食堂などをリサーチして、ベーカリーみたいなところを覗いてから駅前ロータリーから帰りのバスに乗る・・・そういう感じで家に1時前には着きそうです。
 
 そうはいっても予約時間は動かせませんから、ちょっと工夫して手順を変えてみました。
 初めに本屋さんに寄ってからクリニックに行き、診察が終わったらその裏のビルにある食堂を覗く・・・これで上手くいくはずでした。

 本屋の方は予定の手順通り、本屋さんの開店時間を少し過ぎた頃に行けました。
  但し、囲碁の本は背表紙を確認して、数冊パラパラとめくっただけでした。
 イヤ、「囲碁戦術」とか「囲碁戦略」の本は買おうかなと思いましたが一歩手前で止めました。
 本の内容が悪い訳ではありません。
  むしろポケット版で鞄に入れやすいし、値段の割には厚いし・・・(紙の質が悪いので枚数に比較して厚くなるようです・丁度ペンギンブックスのイメージ)
  本を目方で買う分けではありませんが、貧乏性というか本の厚さと、値段をついつい比較してしまいます。
  この本を見送ったのは・・・
 「戦術」「戦略」というのは私みたいな永久発展途上人にとっては永遠のテーマですから、こういうテーマの本は直ぐに食いつきたくなります。
 但し、今日は自分の中で「待てよ」とストップがかかりました。
  戦略・戦術というものは当然有るはずですが、新戦略・新戦術というものはどのくらい有るものか?・・・”ある”として、ザルの身で有ってみればそういう「新」の持つ意味がどれくらいの重みがあるのか?・・・
  仮に「新」では無くて「従来」のものを基本としたら未だ基本が出来ていないのに「新」に振り回されているのは滑稽ではないのか?と考えたのです。
 考えてみればこの手の本は手元にも何冊もあるはずです。
  切り口を変え、説明調のものからテストスタイル・・・手を変え品を変えと言うと失礼かも知れませんが。
 もしかして、浅くても良いから広くという意味で、こういう本が出るたびに購入して1,2回読み、読み終わったら次の新しい本に移る・・・そう言うのもあるかもしれませんが、逆に本の種類は少なくても何度も繰り返し読むのも大事かも知れない。
 要は知識が確実に身に付くにはどちらが自分に向いているか?
  それと繰り返し読むほうが予算的には楽ですね。
 もう一冊「イ・チャンホ囲碁ファイル」だったか、タイトルは曖昧ですがマアそのような名前の本・・・これは”どうしようか”迷いましたが、もう少し立ち読みの時間が足りないため、確認作業は次回に見送りしました。

 さて生活習慣病クリニック・・・入って見てびっくりです。
  待ち合い室に7,8人待っている・・・予約制なのにこれはヤバイ。
 考えてみれば、今日はお盆休み週間の約1間前ですから、普段ですと来週診察の人が前倒しで来院しているらしい。
 お盆休みは関係なくカレンダー通りに暮らしている身としてはなんだか煽りを食った感じ。
 マア、これだけならまだ良かった。
  本人には気の毒だけど、緊急来院の患者さんが一人、それに待ち合い室で立っていられなくなって倒れた患者一人・・・まことに気の毒なんだけれど、ここは先生は一人しかいません。
 自分勝手に、『今日はついていない!』

 結局、薬局などに寄って家に帰り着いたのは1時半。
  これから昼ごはん・・・どうでもよいような感じですが、朝からろくに食べていないし食事も不健康な感じです。