嵐山散策から太秦映画村に拘束されホテルに着いた。
京都都ホテルというところだった。
広いのだ、ツインなのだが広い。
そしてホテル10階の窓からの眺めは素晴らしい。
夕刻、6時にロビー集合になった。
バスに乗り、ガイドさんの話を聞いたが、舞妓さん(正確には舞妓はん)は今この京都に50人くらいしかいないそうだ。
京都の料亭に行くことになっている。
行先は「幾松」という料亭だった。
後で調べると大変な料亭なのだが、その時は知りようもない。
細い路地を案内され進んで行くが、何ともわびさびの世界なのだ。
由緒ある雰囲気だった。
歴史を感じた、さすが、京都。
そして、「幾松の部屋」に通された。
重い雰囲気の京間だった。
人数が多いため部屋には入りきれず、案内の人の話は聞けなかった。
幕末当時には、何度も新撰組の切り込みを受けたそうだ。
そのたびに「幾松」は桂小五郎の命を、それこそ命をかけて守った部屋なのだ。
尊王攘夷派と維新派の戦いである。
そういう場所なのだ。
私がここにいて良いのだろうかと思った。
そして、ここでおもてなしを受けるのだ。
宴が始まった。
舞妓さんは二十歳が定年だそうだ。
二十歳を過ぎると芸奴さんになるそうだ。
舞妓さんからのお酌はたぶんこれが最初で最後だろう。
そして話をした。
お名前は?
「かのかどす」
どういう字を書くんですか?
「叶果どすえ」
いかにも京都らしい雰囲気なのだ。
出身は山形だそうで、約200名の応募の中から20名選ばれたそうだ。
舞妓になって約1年半になると言う。
今この京都には約90名の舞妓がいるようで、バスガイドさんの説明と少しちがっていた。
休みは月2回、家元で生活しているようだ。
今日は2人の舞妓さんが来ているが踊りについても流派があり、少し違うと言っていた。
そして彼女らの舞が始まった。
優雅だった。
二十歳にも満たない舞妓さんが一生懸命に舞っていた。
外に出た。
鴨川に月が出ていたのだ。
至福の時とはこういう時を言うのか・・・。
京都都ホテルというところだった。
広いのだ、ツインなのだが広い。
そしてホテル10階の窓からの眺めは素晴らしい。
夕刻、6時にロビー集合になった。
バスに乗り、ガイドさんの話を聞いたが、舞妓さん(正確には舞妓はん)は今この京都に50人くらいしかいないそうだ。
京都の料亭に行くことになっている。
行先は「幾松」という料亭だった。
後で調べると大変な料亭なのだが、その時は知りようもない。
細い路地を案内され進んで行くが、何ともわびさびの世界なのだ。
由緒ある雰囲気だった。
歴史を感じた、さすが、京都。
そして、「幾松の部屋」に通された。
重い雰囲気の京間だった。
人数が多いため部屋には入りきれず、案内の人の話は聞けなかった。
幕末当時には、何度も新撰組の切り込みを受けたそうだ。
そのたびに「幾松」は桂小五郎の命を、それこそ命をかけて守った部屋なのだ。
尊王攘夷派と維新派の戦いである。
そういう場所なのだ。
私がここにいて良いのだろうかと思った。
そして、ここでおもてなしを受けるのだ。
宴が始まった。
舞妓さんは二十歳が定年だそうだ。
二十歳を過ぎると芸奴さんになるそうだ。
舞妓さんからのお酌はたぶんこれが最初で最後だろう。
そして話をした。
お名前は?
「かのかどす」
どういう字を書くんですか?
「叶果どすえ」
いかにも京都らしい雰囲気なのだ。
出身は山形だそうで、約200名の応募の中から20名選ばれたそうだ。
舞妓になって約1年半になると言う。
今この京都には約90名の舞妓がいるようで、バスガイドさんの説明と少しちがっていた。
休みは月2回、家元で生活しているようだ。
今日は2人の舞妓さんが来ているが踊りについても流派があり、少し違うと言っていた。
そして彼女らの舞が始まった。
優雅だった。
二十歳にも満たない舞妓さんが一生懸命に舞っていた。
外に出た。
鴨川に月が出ていたのだ。
至福の時とはこういう時を言うのか・・・。
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