打越通信

日記ふういろいろ

たまにはコンサート

2018-07-08 21:10:11 | イベント
台風7号が通過し、その後の豪雨の影響で福岡でも川の氾濫や道路陥没の被害が出ている。
熊本に帰る時によく利用する筑紫野ICも付近が道路陥没の影響で利用できなくなっていると聞く。
今日も午前中は食料品の買い出しやいろいろな事務手続き(ほとんどが支払ばかり)で時間が過ぎた。
平日はなぜか疲れていて、そんな書類(おもに請求書)に目も通したくなく溜まってしまっているのだ。
午後3時からは待ちに待ったコンサートだったので出かけることにした。
雨が降る可能性もあり、コンサート後もちょっとした用事があったのでクルマで出かけることにした。
会場のアクロス福岡の駐車場まで来てみたが満車の赤い電光掲示板が目に入る。
付近の駐車場も何件か探してみたが空いていない。
自宅まで戻ってバスで出直そうと思ったが、それでは時間が間に合いそうになかった。
渡辺通りから日赤方面に向かうとすぐに駐車場が見つかったのでそこにクルマを置いた。



そこからテクテクと歩いていると飾り山笠があった。
台風の影響も大雨の影響もなかったようで周りにはたくさんの人が集まり写真を撮っていた。
「第十四番山笠 渡辺通一丁目」の山笠だった。
クライマックスの追い山は15日なのであと一週間となる。
博多の町は山笠祭りの真っ最中だった。
雨も降りそうだったので地下街を通り会場を目指した。
開演まであと5分というギリギリで滑り込んだ。
席は今や指定席となりつつある3階の左側、一度は一階正面の席で聞きたいものだが裕福でない私には倍以上のお金を払う勇気はないわけだ。
席に着くなり演奏が始まった。



今日はドヴォルザークで統一された内容だ。
スラブ舞曲が始まり、次はバイオリン協奏曲と続く。
そして今日のメインの交響曲9番だった。
バイオリンの高く細い音はしびれるほど最高だったし、もっともポピュラーな交響曲の9番は迫力ある演奏だった。
久しぶりの「新世界」の生演奏に思わずスタンディングオベーションだった。



退屈な日常にたまにはこういった感動で刺激をもらうのも良いものだ。

気分新たに

2018-07-08 02:30:40 | 日記ふう
ものすごい豪雨で雨戸に激しい雨が叩きつけられている。
窓を少し開ければテレビの音も聞こえない、緊急車両のサイレンの音が轟音の中にも聞こえる。
ワールドカップも準々決勝の2試合を続けざまに見てしまい、すっかりと午前様だった。
目が覚めたのが正午前というとんでもない時間だった。
雨はすっかり止み、静かで涼しい朝(いやいや昼まえ)、テレビでは大雨の災害情報がテロップをはさみながら流れていた。
雨とワールドカップの影響で今週はすっかりと寝不足気味だったので良い休養になった。
昼過ぎから朝飯なのか昼飯なのかわからない食事をして退屈だったので部屋の模様替えをした。
福岡に出てきてまる二年、掃除もかねていろいろと家具の配置を変えてみた。
家具と言っても小さなタンスが2つと2人掛けの小さなテーブルとイスなので模様替えといってもそうは大きくは変えられない。
2Kの部屋なので片方は寝室兼テレビや電子ピアノなどがあり手が付けようがない。
模様替えをしたのは台所兼パソコンや事務処理をする方の部屋だ。
角部屋なので一方には窓があり、そこにピタリと付けていたテーブルを真ん中に出し、壁際に置いていたタンスを窓側に配置した。
いやいや、たったそれだけのことだが部屋の雰囲気はすっかり変わり、気分も新たになるのだから面白い。

模様替えと部屋の掃除をして久しぶりに読書タイムだった。
村上春樹の音楽に関する短編集「意味がなければスイングはない」だ。
二人のピアニストに関するエッセイで、時代は少し(16年ほど)違うが生まれた境遇も育った背景も似た2人が音楽(ピアノ)に向かう姿勢というのか考え方というのかアプローチが違うわけだ。
練習はあまり好きではないが豊かな才能と技術で不思議な音楽を作り上げる、一方の方は練習はするが派手さもなくコツコツと作り上げるタイプだという。
簡単な旋律でも何度も何度も繰り返し妥協を許さないような音を作り上げるといったものだった。
いずれにしてもピアニストとして名を残した偉大な演奏家だから並みの才能ではない。
明日から再び大雨の予想が出ているし夕方からCDショップとレンタルショップに出かけ探してみたが前者のルービンシュタインのCDは何枚かあったが、聞きたかったほうのぜルキンのCDはなかった。
ダウンロードで探せばあるかも知れないが今日はそこまでだった。

ワールドカップもいよいよ準々決勝のあと2試合と準決勝、決勝となる。
上記二人のピアニストの相違と各チームの相違が重なってくる。
何の世界も一流といわれるにはそれなりの技術は当然だが、紙一重の何かを持っていないといけないようだ。
当然、凡人の私にはわかるすべすらない。
でも、その相違が感動を生むのかもしれないな、などと思う。