特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

「災害救援」(野田正彰著 岩波新書)は、災害救援の教科書

2013年04月16日 13時47分29秒 | スタッフのつぶやき

久田です。災害ボランティアの教科書とでもいうべき本を紹介します。

「災害救援」。この本は阪神大震災直後の1995年7月に発行されました。
筆者の野田正彰氏は精神科医として各地の被災地で活動してきました。
発行直後に読み、感銘を受けました。
18年たって、何か違いがあるのだろうかと思い、読み直してみました。

驚きました。ほとんどそのまま今もあてはまるようなことばかりです。
多少はどうかなと思うこともあるにはありますが、それはたいしたことではありません。

 

私たちは、戦後、被災者の悲しみに寄り添い、絶望のなかからも社会への信頼が芽ばえるような災害救援を創ってきただろうか。(6ページ)

ここでは身体医学的救急と物質的援助は過剰なまでに行われていた。だが、それら眼に見える物の援助は過剰なまでに行われていた。だが、それら眼に見える物の援助に没頭することによって、かけがえのない人や身のまわりの大切な物を失った被災者の心の傷は、意図的に無視されていた。
被災者は、愛する家族やかけがえのない家や物を喪失した悲哀に十分にひたることも許されず、再起できるのだろうか。(14ページ)

被災者は、災害によって粉々になってしまった生活の秩序を、もう一度、生きる意味を発見することによって再構成しなければならない。もし、それができなければ、たとえ命が助かったとしても、自己破壊に向かって進んでいく場合が少なくない。耐えがたい心的外傷を負った後、離婚、転職の繰り返し、失業、慢性アルコール中毒、交通事故、自殺などが多くなる。緊急の外傷への手当てと物質的な救援は、被災者たちが再び精神的に立ち直ることができてこそ意味を持つ。(中略)被災者への物質的援助も、被災者が精神的に癒され、生きる目的を見つけていくための補助にならなければならないはずだ。(18~19ページ)

事前の予防対策とともに、災害救援の文化を創っていかねばならない。精神的な支持を中心とし、物質的援助をそのために補助と考える災害救援の文化が創られるならば、不幸な災害を通してでも、人間社会を信頼することができるようになる。災害の受けとめ方に、私たちの社会のやさしさが表されるからだ。(32ページ)

本当のいたわりは、救援の騒がしさが去り、家族が離れ、地域の結びつきがゆるんだところから始まる、と思った。(46ページ)

子どもの心に残されるのは、人間の無力感、大人よりももっと弱い者のもつ無力感である。(中略)災害を救援する「外の社会」は、子どもたちの、こんな無力感に無視した。学校の先生は生徒に津波の絵を描かせ、作文を書かせた。だが、それは全国からよせられた励ましにこたえるためのものではあっても、子どもたちが自分の無力感について話しあうための糸口としてではなかった。傷ついた心について語りあうことを許さず、「強くなろう」、「災害に負けない子どもになろう」と励ました。(51ページ)

被災者にとって、再建とは旧に戻ることではない。喪った家族は絶対に戻ってこない。立ち直るには理想がなければならない。災害にあったが、人と人とのきずなは、この社会は、信じられるという思いが不可欠だ。救援者が贈ることのできる最高の贈り物はその思いである。(58ページ)

(奥尻災害の)救援物資のうち1200トンをこえる衣服が焼却され埋め立てられ、その保管料に1億2000万円かかったという。(53ページ)
奥尻災害では救援物資の保管、仕分けに膨大な費用と労力がとられた。(75ページ)

傷ついた人こそ、自分を尊敬してほしいと思っている。ボランティアの真の仕事は、被災者一人ひとりの内に人間の尊厳を見出すことである。(76ページ)

外から救援に入ってきた者は、「してあげる行為」はすべて善だと思っており、被災者と自分との関係そのものを反省的に見ない。その結果、マスコミを含め、外から関与する人は一方的な救援者の役割に酔い、被災者を受け身の人々に変えていく。その誘導をするのはテレビや新聞である。(102~103ページ)

精神的外傷を受けるような体験は、たとえ苦しくとも意識的に想い起こして分析し、巨大な短絡路(バイパス)のなかに再び細かい思考のネットワークを築いていく必要がある。分析し整理していく方法として、よく理解してもらえる人に向かって話し、聞いてもらい、その過程で思考の道筋を自ら再生していくのである。災害体験について話すことの有効性は、以上の理論的考察からわかるであろう。(141ページ~142ページ)

復興と喪の作業は被災社会が荷なわねばならない二つの課題である。復興は喪の作業に支えられてこそ、奥行と潤いを持つ。(210ページ)

第一に、救援プログラムを被災者の精神的配慮の視点から組み立て直すこと。被災者の能力を尊重し、被災者の自己決定に向かって援助していかねばならない。災害時の急性ストレス体験をできるだけ表出できるように、災害精神医学的援助を行う。
  第二に、外部から援助に加わりたいと思う人は、被災者の顔の見える交流と援助を創意工夫する。救援の文化は個々人が創っていくものである。まず自分らしい創意があって、経済的援助はそのなかに包含されるべきである。
  そして第三に、援助の最終目標は、人間社会への信頼回復、被災者による新しい地域社会のイメージ形成であることを忘れてはならない。亡くなった人、失った家財は復(かえ)ってこないけれど、災害にもかかわらず、人と人とのつながりはすばらしいと思え、他者の信頼にこたえるためにも自立していきたいと被災者が考えるならば、それは意味ある援助といえる。(212~213ページ)

 

18年前の文章ですが、今も光を放っている文章だと思います。「人間社会への信頼回復」は被災者だけではなく、応援者である私たち自身にも必要な目標でしょう。
  愛知ボラセンは、「人と人とのつながり」がすばらしいと思える状況を、この2年間で創りだしつつあるといえると思います。「救援者役割」に自己陶酔することなく活動を展開し、皆さんとともに「災害救援文化」を創っていきます。

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1 コメント

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Unknown (かほ)
2013-04-17 21:58:35
素敵な本の紹介有難うございます!
ご紹介頂いた本に付いて今まで知らなかったので、読んでみたいと思います。
支援したいという気持ちが空回りしたり、折角の気持ちがお仕着せ(相手に対する無理強い?)にならないように。

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