孫崎享氏ツイログから転載します。
11日分
原発:
日本はG-8等で地震を踏まえ万全の安全基準を約束。しかし今の保安院基準は事故前に制定の基準。事故を踏まえ地震の危険を織り込んだ基準の検査でなければ意味がない。これをしなかったことが経産省、保安院のサボタージュ。
11日北海道新聞:泊原発3号機の最終検査 保安院”問題なし”
週刊金曜日:ある編集者より8月5日週刊金曜日を受理。
ここで佐藤優氏が「丹波実元外務審議官による孫崎享批判の陰険さ」を掲載。
私は『日米同盟の正体』『日本の国境問題』と外務省の現在の政策を批判しているが、外務省は基本的に無視。この中で、丹波氏は自著『わが外交人生』で私の『日本の国境問題』を激しく批判。「孫崎さんの近著『日本の国境問題』を一読して吃驚した。
北方領土問題、日米安保問題について誤解をしているとしか思えない。言葉が悪いが、偏見と無知によるとしか思えない問題提起である。孫崎さんに反論しなければ、日本国民に大いなる誤解を与え、日本の将来を誤らせることになりかねないと憂慮を抱いた」という記述に佐藤氏がコメントを書いたものである。丹波実元外務審議官は外務省で「日米安保村」の重鎮、最大の論客の一人と見なされている。その人の私の北方領土問題、日米安保問題批判であるから私も大いなる期待を持って彼の著を読了。
要は「偏見と無知によるとしか思えない問題提起」と記述したことにみられるように、感情がこみ上げている、しかし批判の一つ一つを見るとこの程度の批判しかないのかと逆に驚いた。私の問題提起の本質には全く言及していない。そして断片的な記述をさも間違いを犯しているように批判する。人を批判する時の典型的な官僚手法である。「日本国民に大いなる誤解を与え、日本の将来をも謝らせることになりかねない」の逆で、「日本国民に是非読んで貰い将来に参考にして欲しい」と自信を深めた次第である。
昨日加藤陽子著『それでも日本人は“戦争”を選んだ』は三〇万と聞いた。著者がいうのは僭越だが、それ位の読者に読んで戴きたい本と思っている。しかし書店にあまりなければしようがない。その中で佐藤氏が週間金曜日で発言した。誰かがある問題提起をする。これに批判がなされる。そしてこの応酬に第3者がコメントする、こうした論議で問題点が鮮明になる。
一九六〇年代、七〇年代には日本の論壇でこの応酬があった。しかし、今日、北方領土問題、日米安保問題でこの応酬があまりになされていない。私の問題提起について外務省が基本的に無視することで対処している中で、これまで私の論を真っ向から取り上げたのは岡崎久彦氏と丹波実氏である。さすがに論客と言われた人々である。しかし正直、この人々の論に接し、ますます自説の正しさに確信を持った。第3者的に言うと、『日米同盟の正体』や『日本の国境問題』はもっと読まれるべき本と思う。佐藤氏論評が関心を呼ぶ契機になってくれれば幸いである。
12日読売社説批判:
「党代表選 民自公路線か否かが争点」「政権公約の見直し是非の争点は許されない」「時計の針を戻すような代表を選べば、大混乱」。読売、 自公路線回帰こそ”時計の針を戻すこと”という表現ぴったりに気付いている?。読売って偉いんだ。”許されない”、米国の台詞の様
転載終わり
米国が戦争拡大路線により国家債務を増大させるなか、日本に債務の肩代わりをさせようとするため、次期首相には増税、TPP加入、米国債債権放棄を強要してくるだろう。
オリジナル民主である現内閣は、自公と連立して原発推進を御旗に米国の要求を呑もうと目論んでいる。国民の命軽視、米国追随路線の継続である。
国民も原発事故で国民を見殺しにした現政府の企みにきずいて欲しいものだ。