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あげちうのブロマガ

とある呪いが始まった日

客観視するとしたら、”そこ”に居た人々は「全員ダメ」ではある。

そこに、どれだけの人が居たか?が、それは問題には成るが。


過去に「誰が」何が筆頭になるか?と言う、日本で、そんな”争い”が有って。

今後の文化的主体だ、テレビ番組か、ゲームか、だ。マスメディアか、それともインタラクティブなゲームか。是非の起点は何処か?ではある、そして、そこに居るのは誰か?だ。そしてその果てに、結論では一度決まった事は変わらないと言うか、マスメディア側の「理想」それは、ある程度の柔軟性を持つファミコン、”それ”に負ける事になった。

ただその際に、マスメディア側の「無理が通れば道理は引っ込む」それは、岡田有希子と言う女性の命を盾にしたかで。その戦い?はそのまま、その女性を死に追いやった、普通と言うか、覚悟と言うか、今までは”そこ”まで押せば通らない物は無かったそれは、そう言う形で否定された…訳だが。

しかしその時、テレビゲーム側であっても、方法論は同じだった、感じはある。相手が死ぬと解っても?「それは態度を変えなかった」のだ、後発の文化ではあるのに。

”そこ”まで行って居たら…両者とも止まるべきだった、ろう。

何故止まらなかったか、そこには両者への、重い過失は見える。


ゲームセンターはこの時、後退している感じはある、「勝者ではない」訳で、それだけに、その後の衰退?は始まる訳だが、とは言え過失はない状態で、今もそこには有る。今、奇妙にゲームセンターを重視しようとしているのは”だから”、だろうか。ともかくこの時、テレビゲームとテレビ局?この両者は恐らくは、「王の権威」当時にしろ昭和天皇だ、その要求を無視した、訳だ。その結果でその過失が発生し、それは両者に深刻な欠落?評価の、”そう言うの”を招いた。その後にゲーム機が乱立していく?のは、その辺の流れだろうか。「ゲーム機は勝った」かもしれないが、”それ”を続ける事は期待されていなかった、他の。


もっと何というか、それは今更ではある?

ともかくその過失を背負い、ファミコンは衰退していく、とは言えアメリカも太平洋戦争での戦勝国である、原爆を使用したとしても、だ。その道理が、ファミコンを王にしたまま、”そこ”に利益性が発生しないまま、平成と言う事態は、重い深刻な欠落を抱えて始まってしまった、そう言う事だろうか?

…まだ、憤り、”それ”は残っている感覚は、ある。

その時、そこに居た加害者”全て”を殺すまで、これは止まらないのだろうか?

不意に。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10771711
https://publicdomainq.net/kuroda-seiki-0019061/

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