ノイズでしかない、しかし。
それは理解としては違和感のある光景では無い。
ただ、”その”テレビ番組を、或いは「他者は見ていない」のだ。
その時、その会話は、第三者には疑問しかないし?それを共有してる?と言う”そこ”に、邪も少し、混ざっては来る。その彼らの狭間に有る秘密とは、一体。
「大衆は神である」その思想の帰結として、紛争解決機構、「大賀さん」言えば、「神の意思を再現する構造」それがある、が。現状、表に有るのは「ガンダム」くらい、だ。まだ「電影旅団オーガ」さえも、表には無い時、”これ”に依存する、しかし。
「ユニコーンガンダムってオーバーロードして爆発しそうな感じがねぇ」
「あれじゃあんまり高い戦闘力持てないよなぁ」
アニメで一騎当千の戦闘力を見せる”あれ”に対して、そんな会話に周囲の?同意が無い、それは無視出来ない現実としては、ある。
自身の提案した「ガンプラ査定」で、実際にこの辺がどう査定されているか?は解らないが、前々から「同人っぽい」とか言われるガンダム、似た様な評価に成りそうな部分は、結構有る。一応、「と言う番組を見てる」人々に、”結果は共有されている”訳だが。第三者は、その番組に基本、興味が無いか、或いは敵でさえ有るのだ。
現状、「大賀さんでの決着」に対して、「負けて悔しいので何とかしろ」以上の不満は発生しなくなった、”感じ”はある。その結果に対して有るのは、”単なるノイズ”だ、自分の願いを妨げるその壁は邪悪だ!に対して、道理はほぼ無い。一応、「私は神だぞ!?」に対して、条件を提示できる感じはして来た、「大賀さんの決定に逆らわない存在が神様です」その時、彼らはそうでは無い存在だ、そして、一応はそこに道理が有る。
そんな、「神様」同士の同意?それはでも、最終的には「同じ番組を見てるから」な訳だが。この時ここに、”個人の主観”は存在しない。「自分にはやりたい事が!」そう言うのは、この領域には無い訳だ。利益性、それを目指す時、最後に有るこの世界は理想か?というと、それは少し疑問ではある。
”それ”は、理想的な神様だ。それは無理を言わない、道理に満ちていて、その意向に逆らう必要はなく、従う限り、そこには安定と平和が有る。ただ、結論ではそれにとって有益を目指す果てに、自身の願い、それはどうも、何かの幻影の様には成っていく。
「個性を失った世界」だ。
幸せな光景かどうか、それは解らない。
ともかく、「売れる物」それを目指す時、そこには、その喪失はある。