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あげちうのブロマガ

絵に描いた視線の先にあるモノは

何処まで言っても、”それ”は不可侵な脅威、壁として存在はする。

「独裁創作は売れない」それをそうしている存在が居る。「物理」と言う名の壁は、今も健在だ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「漫画だから」と言うその先にあるモノは、本当に?

 

「納得できない」と言うそれもまた、同じような物、それとしてあるのだろうか。

ともかく能登半島大地震、それを引き起こした犯人は?というと「物理」自然現象、ではある。気の迷い、という物であっても最終的にはそれだ、不意に何かに憑りつかれた、様な。「魔物」魔が差した、なんでかうっかりした、そう言うのも全て、世界に存在する”魔物”の責任と言うか原因、ではある。ただ…それを「倒す」消す、事は最終的には出来ない。”それ”は他の世界から来る「仕事」の様な物としてあって、それが有るからこそ、この世界は存在し、発展していく原理となっている。

羽田空港の衝突事故も、海保機側の機長が責任者として、何かの勘違いをした、という帰結の様ではある。

現実には「0」が、「ある」と言う言い方には成ろうか。「それは無い」のだ、他の世界にはあっても、この世界にはない物、それが「0」ではあって。逆に言えば?「0」の向こうは他の世界と繋がっていて…現実には無いけど、他の世界なら存在する物それが、そこに映っている、という事も言える。”それ”を「ある」と認めていないと、意識の中には何かの欠落が発生する事にはなる、全ての計算を1~9の数値表現だけで何とかしようとする、様な事には成る、それは深刻な計算ミスを起こす原理には成る訳で。現実的には”それ”をどう倒すか?「無い」を「ある」と認めつつ対処する事を考えていないと、それは現実の魔物として起こりうる。

そんな、何かの想定外、その帰結だったりしただろうか。

現状はまだ、「戦犯ちゃん」とか言う萌えキャラをネタに、騒乱中の現状ではある。現状を「しょうがない」的に諦める、という感じには成ってない、そう言う感じ。永遠に無理なのかもしれないし、魔に憑りつかれた、そう言う事かもしれない。ウクライナは負け、それが負った負債の一部、7000億円を日本は背負う事になり、それが人命を伴う物だったからこそ、「応報」と言う帰結に成った。今までの天変地異も似たようなものだったのかもしれない。人命に関わる「無理」の先で、それに金を払った応報は、相応の帰結に至る訳だ。東日本大震災で逃れた機体はでも、結局は大破してしまった。

何を、それは残していったのか。

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