打開を求められても、困る。
何となく、一時的にでも、ともかく「神様は誰?」に、一応の返答、それは出来る状況は出てきた?「”大賀さん”の決定に逆らわない人です」条件を満たすなら誰でも神として適当、後は任意で。その、最終的な責任が全部”ここ”に廻ってくるとしても、自分も言う事は同じだ。
「大賀さんの決定に従って下さい」
ワンクッション置いて、ともかく神様は居て、「大賀さん」それを神にはし得る。
従うのが善、逆らうのが悪、だ。悪は滅ぼさねばならない。
”これ”が意味があるのか否か、まだ解らない。システム2、その基盤(の外)に有るバグ?その補正が、時代の歪み、その補正に繋がる、かも?と言うニュアンスから色々考察は続くが。”これ”が想定通りに、特にシニア世代の?精神に対する重要なパーツだったとした場合、その導入は、以前の様なか、何かの期待される統制を呼びはする、訳だ。「神に逆らってはならない」それに従う、それがシニア世代に有る不文律、だったら。少しは後の世代の言う事を聞く様には、成る、だろうか?
ともかく今、形而上か、そのボードに有る「王の椅子」にあげちう自身を置いて、状況を見てる訳だが、結局、そこに浮かんでくる問題は、同じ様な混沌には成る。「神様なら何とか出来るだろう?」犯した罪を免罪するとか、そう言う都合のいい話から始まり、奥底へ向いて行く物は、やがては始まりの時代へと戻っては行く。
当時の時代背景か、要求?は面倒だ。
売春婦を必要としない世界を。
システム2の所有者、その椅子に座る存在には、”それ”が求められた、そこに座る存在は仮面ライダーで無ければ成らなかった、しかし当時、そこに座ったのはむしろ、それが倒さねばならない邪悪その物ではあり…そして或いはそれは、最愛に近い、自分の内輪だった。そして、そこにそれを座らせたのは、他でも無い。
不意に、当時の、朝日新聞社社主、村山美知子氏の絶望?それがそこに有った、かもしれない事に…少し。
理不尽と言うべき、だろうか。想定だけの悪夢、だろうか。その後の経緯を考えるに、”それ”は様々な問題を引き起こし、経済も含めて体制は崩壊していく事には成った。代わりに台頭したのが「新世紀エヴァンゲリオン」それを掲げる人々ではあり…平成は彼らを軸に進んでしまった。それもまた、一時の栄華の末に問題を発生させ、静かに崩壊していく事には成る、後には最初の問題が残った、システム2、その何が悪かったのか?
”それ”は、過ぎた願いだったろうか。
許し難い罪状と共に、疑問は今も、宙に浮いたまま、だ。