「王の権威」昭和天皇が密かに持っていた権威の意味、その後継者が言う「理想」は、幾分システマティック、だ。
創作の需要、必要性それは、内需の拡大にある。”利益を得られる創作”を創らないと経済は今、維持出来ない。それは現状、重い「独裁性の否定」その壁にぶつかっている。”それ”を回避する為に「ストリードの連携」と言う形式が必要だ。現場は、外部が提供する「ストリード」それに類するモノ、それと契約し規約に則り製作しなければ、創作での利益性は今、期待出来ない。独裁性に拘る結果、創作は売れず、経済も回復しない。創作は必需であるが「仕事の一種」である。作家性など必要は無い。
…対して、「中華思想の皇帝」それはそこに、異を唱える。
自分が良いと思った創作がちゃんと売れればそれが一番良いだろう?!誰か金持ちが金を出せば!それで良いんだよ!!
同意は多々、だ。前者は、面倒だ。いちいち外部から、ネタを探さねばならないし、大概は…気にいる様なモノじゃない。「シングルマザーが子供を見捨てない様に」そんなの、自分には全く関係ないではないか?自分に今必要なのは!何で自分がそんな絵を描かねばならない?
後者はテレビの理想でもある、しかし。ちょっとウケた作家が時々やってしまう、アイタタな作家性ごり押しの創作、それは大概利益には成らない、重い損失と後悔を残す。今までどれだけの会社が”それ”によって潰れたのだろう?そこはそことして、「何故だ!?」重い疑念と社会への否定感が発生し、中華思想の皇帝を呼んでしまう。しかし。
”現実”は、一切表情を変えようとしない。
「独裁創作は利益に成らない」のだ。表面上売れた様に見えたとしても、それへの広告費が売り上げを超えているとか、違う会社が何故か倒産するとか、最早「絶対」と言って良い、社会的な利益性が、無い。それを優先する限り、容認する限り、社会は異様に急速に衰退してしまう。東芝が何故ああなったか?大きな会社での「独裁性」それは、否定出来ない何かだからではあるまいか。特に東芝の場合、「課長 島耕作」そう言う漫画もあって。何か一人のスーパーサラリーマンが何とかしてくれる、妙な期待は、昭和のそれだったのだろうか。その結果は帰結で、巨大な会社その物を、立ち行かなくさせてしまった。
結局?バンパイアハンターがドラキュラを倒したとしても、「自分の創作が売れる様には成らない」訳だ。その為に超えねばならない壁は、あくまでも「仕事」その形式への適応であり、それは或いは自身の身の内にこそ問題はある。適用出来る状態で「皇帝が邪魔をしてくる」なら、それは皇帝を倒さねばならない!が。実際問題、末端、同人レベルでは…殆ど関係ないのではあるまいか?技術力は高くても、ストリードの連携をするほどの本気度は無い時、それはどんなに高度だろうと、売れない。
そしてそこに発生する「何故だ」そこに、旧「皇帝」は忍び寄っていく、訳で。