昔は、「正義のヒーロー」が、悪の怪人を倒す事に何の疑問も無かった、が。
それでも昭和の終わり頃には、時代劇で切り殺されるであえの手下、それに同情はし始めていた。
本日のダイス
白:3,4:7
黒:4,5:9
黒9 4534
単に命令でそこに居て、そして命令で戦わされ、そして切り殺されてしまう時、彼らに罪は有ったろうか。
結果の様な物は出たのだろうか。雰囲気だ、「元凶」は女性にAV出演を強要し、そして重い苦痛を与えて心の傷を残した。”それ”を訴えられ、犯罪として認定され、それは罪人となった、気がする。ただ結論的にはこの時、その「強姦された」に近い心の傷は、その元凶が死なない限りは癒える事はない。現状の法律ではそこまでは出来ない事が、まだ何かのしこりを残しては居るが。
ともかく今、以前の様なアダルトビデオ、それは犯罪には成っている、もう撮れない。
筈。
感覚で大分、懸念は薄れては居る、しかし。元々何故?と言えば、そこに需要があった訳じゃなく「切り捨てを処理する必要があった」そういう感覚の帰結として、ではある。経済学の足場としての金本位制、それは安定はしていても「増えない」と言う病理を抱えたまま、利益を他者からの略奪に求めていて。その結果、どうしても「養いきれない人々」と言うのが発生、それを切り捨て続けて”発展”を続けてきた。そういう感覚、AVへの要求?それを否定するには、金本位制の問題を打開する必要があり、しかしその為には「独裁者の存在」それを否定する必要があり、それは同時に「作家性」今まで言うアート、そう言う価値の否定にまで踏み込まねばならず、ともかく理想論だけではなく現実的に利益、それが発生する必要が有って。ただ、表面的な利益それは、お金持ち?が払ってしまえばそこでは発生した様に見えてしまう訳だ。そういう極論の壁を現実に超えないと、それは言えないという、面倒な深淵の中にあった訳だが。
過失が問える様になったなら、「元凶」への否定、それも同情には変わる、部分もある。ただもちろん、犠牲者の方がより同情と救いが無ければならないが・・・そこも面倒な絵ではあるのかも。
当然か、多くが「不良」そういう領域の女性ら、ではある。想像するに、社会的な否定の中で生贄の様にそういう領域へ入っていき、そして最終的には家畜の豚として”処理”される、様な果てにこの話はある。マクロで言っても、その辺を世間は「言う事を聞かない無学な連中」と言う評価かで切り捨ててきた経緯はあって。インターネットはその辺の「自然な訴え」愚痴、呟き、そう言うのを拾う様になって、状況は加速度的に悪化した、そう言うのは多分ある。ここまで考えちゃうと、何が悪かったか?はもう、個人の視点ではどうにもならない。ともかく、いわゆる「アダルトビデオ」は制作そのものが禁止され、元凶は或いは罰せられた?状況は多少の改善とは言えるのだが。
夢魔に残る感覚はある。自身をあざ笑いつつ輪姦した奴らがまた、同じように自分の前に現れる可能性。
”この”夢魔を払う術は今の状況では、「元凶」その死にしか、無い。「いらない人間」として処刑されない限り、この夢魔は自身の感覚では、晴れない。しかし、上記の様に、”それ”が残ってた理由は、世界全域を覆う「金本位制」そのバグの様なモノとして、だ。価値観ではある、その結果で悲痛な事故の犠牲者が出るのと、一人の女性が輪姦されるだけで終わるのと、どっち?しかし違う価値観では、前者は運が悪かったで終わるが、後者は「なんで自分だけ?」そんな遺恨を残すのだ。
現状、状況は前者に成りつつある、気はする。
キャンプ場で、夫婦のテントにピンポイントで倒木、死傷するという事故があり。自衛隊のヘリ墜落事故のそれもあって、因果の発露がそういう形になっている、という事を少し想像はする。結局、今もまだ、誰かが犠牲になる、という”道理”は残って居るのかもしれない。何処かの誰かの”無理”を許せば、因果は巡り、必要な犠牲を人間には理不尽な発露で奪う事には。
無理をするな、しかし。
自身もかなり、取り返しのつかない喪失と共には居るのだ。この現状は、果たして。