あげちうのブロマガ

記録として残す

それは、非常に個人的な意向。

「ガールズ&パンツァー」は、実際には戦争終結後に、「戦争の悲惨さを忘れない為に」提唱された、何かの教育的競技だった、と言う話を考えた事があり。

その情景は今も、個人的には「良い作品」の可能性としては、残る。
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学園艦って何?
大規模な戦争の結果、地表は汚染され、居住区が無くなった結果で、その後人々は、巨大な船を建造し、暫くは、その上で暮らす様に成った。やがて地表の洗浄が進み、居住可能地域が増えるにしたがってその「コロニー艦」は役目を失って行くが。戦争の記憶を伝えんとした時、そこは「学校」教育機関としての保全が決定した。「学園艦」の誕生である。

何故、女生徒ばかり?
結局、放射能などの、生体への汚染を避けつつ、労働力は確保と言う時、男性は外に、女性は内に、と言う方針が取られた結果。その辺は伝統的に今も残っていて。だからか逆に、この時代の女生徒は男性ばりの趣味(車いじりとか)に興じる傾向が強い。

何で戦車使うの?
やはり、太平洋戦争から続く話である時、「戦車」それは一つの主戦力ではあって。この辺の現実を提示する、事が求められた結果、帰結として「戦車道」と言う物が誕生した。特に次世代に対して影響力の強い女性にこそその現実を示す、と言う目的を取る時、それは女性のスポーツ、と言う方向性が示され、それは今に続いている。

実際に撃ちあうんですか?
実際には、「実車を創り、”それ”を仮想現実に持ち込む」と言う手順が取られる。この時代、仮想現実の構築度は現実をほぼ完璧にシミュレート可能に成っていて、現実とのシンクロを盛り込む上で、”実際の戦車性能を用いる”事に成っている。駆動試験などは、実地で行わねばならないのだ。ただ時代的に、パワードスーツ的な物は有るので整備での危険性はそれほどでも、無い。

人間死なないの?
この辺、アバターその再現として「ぬいぐるみ」を用いる事に成っている。プレイヤーが受けた負傷は、そのぬいぐるみが”実際に傷つく”事で示す事に成っていて、それによる「実戦の怖さ」それを試合後に理解してもらう、そう言う方向。なので、試合中はパワー等々は、砲弾を抱えられる位には上がってる。もちろん”実戦”での戦闘で受けたダメージは、ゲーム的なパラメータ変化として反映はするが、グロテスクなイメージはそこでは無い(銃撃を受けて片目を損傷した、などは、その場に「負傷」マークが付き、シンクロが切られる事でダメージ再現に成る)。

何で衰退してんの?
やりたいですかこんな事。油にまみれてなんで戦車弄らにゃ。

何で復活させる事に?
戦争が終わって長くなり、その記憶が薄れつつあった事を危惧しての対策。


的なイメージを投入し、その上でのスポーツ的な物語、に成るが。

何が良いか?と言うと、「実戦の再現」が意外と上手く可能な事だ。踏み潰されたり片腕が吹っ飛んだり?などが、イメージ的には可愛い?まま、再現が可能で、逆にその悲惨さが、妙に強く意識されたり、する。現実的な戦車戦の高揚を盛り込みつつ、悲惨さや反戦的方向性も提示し得る、そう言うのは好感される方向性ではあって。批判を回避する時、この方が問題が低い。


その上で、予定的には主人公の、「練習で潰してしまったタイガー戦車」等の過失やトラウマを盛り込みつつ、いわゆるトラウマ克服しての復帰、それへ向かう話になる、ちうのを考えたけども。しかし、とにかく壁になるのが「戦争は仮想現実でやろう」それへの否定感、だ。このネタでも、「男性は何してんの?」現代兵器用いての”仮想現実での実戦”をしてます、女性らのは、あくまでも昔を忘れない為の競技です、そんな設定は、意外と語りにくかった。

自分の視点では、ネタ的には多少無理矢理感はあるが悪くも無い…しかし。企画原案がその「嘘つき」では、その些細さを覆すのは困難だった…、ろうか。

イメージ的な物を否定し切れないのは、だからかも、しれない。

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