現在の、重篤な懸念だ。
ニコニコ動画の外に、別の世界が無ければ。
その時、”ここ”の信仰は表情を剣呑に暗くする。
「つまり、ここはもう要らないと言う意味ですか?」
自分の理解では、その一夫一婦の極論化、その結果がそう言う心理状態を産む訳だが。
今も尚、「大賀さん」それを王とする感覚には、成らない。
”それ”を前に全ては平等の環境を有する、と言う事に、リアリティが無い。
相互に連携しあい、共存し得る環境、総じて流行る商店街、それが理想であり。
その時しかし、「至高」逆にそれは存在しない。全ては等価であり、そうなり得る。
他よりも抜きんでて優れる!「そう言うのはいらない」のだ、逆に。
その意識は、そうは思わない。
最良の一つにより世界は全て単一の色で無ければ成らない。
簡単に言えば、”妻は一人”だ、それが当然である。
結果、もう一つの可能性、そう言うのが許容できない。
極論化の果てに、”この”意識は、結論で「死刑宣告を既に受けている」のだけど。
相手には「大賀さん」それを告げる存在が”無い”のだから、それは理解は出来ない。
感覚では、つまり心神喪失状態、「発狂してる」のだけど、言葉その物は”普通”だ。
その「普通」がその先で、突然か、犯罪的な爆発を起こす。
ここの理解ではあの自らの子を虐待し殺した栗原容疑者、その妻の様な”感じ”だ。
夫の思想を強要される結果で、自身も何かの歪みを発症してしまう、そんな。
しかし、女性に自由意思は無いのか?と言う感覚で考える時、それは誰の意思に寄るのか?と言う事にはなって。
自己責任を問う時、それが例え女性であろうと、既に断罪されてしまっている。
そして、同じく、世間は今も、「大賀さん」それは無いのだ、同じ感覚である。
単に、実際に”それ”を見た時、奇妙な忌避感それを感じるだけだ、なんかおかしい。
だから、多数決的にも、意見、正論としても、相手を抑止出来ないまま、その行動を許し…結果で酷い破綻をする。
”これ”が今、どんな状態か?は、ちょっと解らない。
解っている事は、ニコニコ動画、それはこの存在を許容している、と言う事だ。
その是非、ではある。
言ってる事は”普通”だ。民主主義は正義、一夫一婦が普通、妻は一人が正しい。
”それ”を、全ての局面で適用しようとする、歪んでいるのは”それだけ”だ。
とは言っても、「大賀さん」でダメ出しされてるんだから。
この返答はそのまま、その「大賀さん」それへの敵意として帰結する訳で。
妥協点が見えない。
「大賀さん」の決定としても妥当でさえある、実際はもう、既に犯罪者なのかも。
それは何時、何処で、如何なる爆発をするのか。
何処を起点にして、この意識は有るのか。
これは「マスコミ」それが抱える悪魔、だろうか。