それは、気づくと単に価値観の問題ではある。
ただ、”その”要求が果たして?それは以前にも考えた危機感だ。
ちょっとTwitterに流れてきた新人漫画?に、懸念。しかし、ちょっと再確認出来なくなっちゃったんで、記憶を頼りにプロット。
地球環境の悪化によりコールドスリープを選択した夫婦だったが、目覚めた時、妻は記憶障害を患って、幼児化していた。
それでも夫は妻の介護をしつつ、地上に出てみる。地上は生活し得る環境には成っていたが、生物の多くは異質な何かに変質していた。生存者も居て、彼から生活物資の協力等もして貰える様に成ったが。しかし、有る時襲われた怪生物は、奇妙な生態をしていた。
”死んだ生物の骨”に寄生し、「その生物に成りすます」のだ。そこで不意に不安になった夫は、妻が居たコールドスリープのカプセルを調べる。そこには穴が開いていた、カプセルは随分以前に壊れていたのだ。妻は実は、もう妻では無かった。
夫は選択を迫られる。地上の生存者は妻を殺そうとするが、夫はそれを止める。”二人”は、そのままシェルターの中で暮らす事にした。
この話、「夫は絵本作家だった」と言う話が有って、しかし最後に「ああなっても彼女は僕の読者だから」と、そう言って終わるのだ、が。まあやっぱり「え?」それは思う。
ここで、自分としてはか、何かの道理か言い分が、「こういう姑息な感じは良くないと思う」に成る。何で?の理由が、この作品が以前に創った「猫が寝ている」に乗っかってるから、という判断だ。
その感覚のベクトルでは?一応「解ってない」なのにガワだけ真似た、って言うのが良くない訳だが。しかし状況的な感覚では反発、「”これ”で良いじゃないか」にも成りかねない、また多数派になってもおかしくない。そして、もちろんか掲載レベルで入賞もしている、訳で。
で、そこを直す、みたいな奴を、ちょっと考えてしまった。
最初にコールドスリープを選択したのは夫の方、リスクは語られて妻は反対している。その結果、起きた時に妻は記憶障害と言うか、幼児化?している。
その後何やかや地上に出る、地上は全く違う世界に成っていた、危険な生物も居る。
が?その生物の中に、”死骸”の骨に寄生して生前の姿を模す、という奴が居る。
生物の戦略的には「同類を捕食する為」な訳だ、が。夫が気づく。妻は既にその骨格に寄生した、その危険生物だったのだ。カプセルは故障し、既に死んでいて、そこに。
選択。このまま一緒に居たら、遠からず貴方は彼女に食い殺されるだろう、どうする?
主人公は選択する、「自分の選択で妻は死にました、だから、自分を殺す選択は、妻に委ねたいと思う」と。
そうして、彼らはシェルターの中に戻り、暮らしている。
と、いう感じにする、事は出来るが。
…これだと「解る」のだ、「だからダメ」判断、が今の選抜基準。この場合というか、現状の要求は「解らない」それを押し通す、感じな訳で。
なんで?と言うと、「経済が不味い、何とかするにはどうする?」に、答えられる奴は今の”上”の方に居るのか?って事ではあり。
話はアートの成り立ちにも通じる。施政者が求めるのは自身の現状それへの肯定である。そこに対してこの「解る」展開では、要求されない。責任は取れ、みたいな話に成るから。
求めているのは「解らない」そんな施政者への肯定である…故に、オリジナルは採用された、訳だが。
状況考えるとそう言う事態に対してその選択を責められない、かもしんないのだった。
自分はもちろん、後者、夫は自身の責任を取ろうとした、という方向でオチにしたい訳だが。同時に、「と言う感じにやらなければダメだ」を、その上の人々に要求出来ない状況、説明は通りそうにない、それもまた、感じる。
「面白い話」って、どんなの?
答える奴は、やっぱりかなり、胡散臭い。