あげちうのブロマガ

個人の醜聞に執着するそこにあるモノ

考えると本当に、テレビ、或いは芸能界?それは閉ざされた世界、ではある。

未だにジャニー喜多川氏の問題は、明確さも決着の糸口もない、感じ。

 

どっちにしろどうとでも言えてしまう、のだ。加害者とされるジャニー喜多川氏本人はもう他界している、その他に被害届が出てない?としたら、それはジャニー喜多川氏個人の問題ではあり、更に現状上がっている被害者の数値、それはちょっとリアリティがない。一度に数十人とか相手してないとその数に成らないのでは、単に面接で落とされた様な人々をかき集めてるだけ?という、そんな邪推はしてしまう。

我々は精神的苦痛を受けた!

「君らは使えないから帰りなさい」その烙印を押された、そんなその後?とか。

残っているジャニー喜多川氏の足跡というか、それを”見る”と、問題にされていた様な事が行われていた、雰囲気はまあ、ない。これは自身の思想的な問題でもある、大衆は神である。結局、売れたら潔白、問題なし、というその後でしかし、「ゼビウス、実は売れなかったんでは?」とか、これだけ名前残ってるのに主観的判断で言ってしまう、そんな矛盾?もちょっと抱えては居る。ともかくその「売れた人」という視点で今の所、ジャニー喜多川氏の問題?それはどうも感じない。

ちょっと踏み込み過ぎだ、「過去に実刑判決を受けている」それも、何かの作為だった?可能性とかも。

彼のアプローチの多くが、前にも書いたが「希望」というか、運が悪いだけの存在を引っ張り上げる事で現状への肯定とする、「我々は見捨てない」この世界は問題ない、”そう言う安心感”を「タレントに形成する」事で売れていた、訳だ、が。この辺、「会得する」領域だ、古くの子弟制度的な?理解できる奴らはより深く理解し得る様にか?”家族的な環境が自然と形成されて、刷り込んでいく”様な感じには成った訳だが。ここに抵抗感がある、人はまあ、ジャニーズに入れない訳だ。喜多川氏は軍隊経験もある、そうなので。その辺のフィードバックだった、ろうか。

合わない人は、他の事務所に行ってくれ。

結果、”選ばれた”人々しか売れない、という絵は構築された、可能性はまあある。

何処までジャニー喜多川氏は権力というか、それを持っていたか?は、考えるところではある。テレビが重視されていく中で、ほぼ神の様な存在に成ってしまっていた、それは彼自身も感じていた矛盾か何かだったろうか。その、「運が悪かっただけだ」そこからの脱出、に関して。前科がある、というフラグも重要な話ではあり。或いは全くの言い掛かりだったにせよ、彼はそれを受け入れて、そこからの再生を体現しようとした、そう言う感じもない事は、無い?

意味があったか無かったかはともかく。ただしかし、そうすると、冤罪だった可能性もある訳だ、それを司法も含め、有罪にしていた?そんな無法もあった、という事には成る。テレビという領域で、”何処か”が脅威とする過剰な影響力を持った時、無法が通ってしまった…そう言うのは有るのかも。

もちろん、その「何処か」が或いは今、破綻しそう?な事態ではあるのだが。

因縁の様な物は、深く沈んでいく感じはある。或いはウクライナの抵抗、そこにまで、だ。アメリカはディフォルトを回避した、が。それはつまり、新たな多額の借金をする、という宣言でもある。状況はどう変わったのか、それはまだ、結果としては微妙に解らない。

芸能界はもっとシステム化されるべきか否か、そう言う話だろうか。

カウンタ数値が信用できない今、「クビ」その理由は、割と混沌としている。

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