問題が分散していく感じはする、特定し難い状況。
問題と言うべきなのか、妥協すべき部分か、まだ確定してない感じはある。
「昭和天皇が市場に介入してる事を公示する訳には行かない」それは、当時にしろ…道理としてある。今の?問題の多くは、実際には「王の権威が民間人だ」と言うそこにしかない。何の問題も無い一般人を不当に隔離する事に、倫理上の問題が発生する事が、全体に深刻さを載せている。とは言え、何の罪もないむしろ世界を護らんとさえしていた(だろう)昭和天皇を悪の枢軸にしてた昭和、でもある。その時だって、それ以上の問題は実際は有った訳だが。
その視点で、あの「グラディウス」と「ゼビウス」その、想定する対立は不意に思い出される。前者は、「ゼビウスに対する皇帝創作だった」が、昭和天皇のオーダー?には高い合致があった為にヒットした。後者は、或いは昭和天皇否定の結果、ある種の逆走に陥り、そしてそれを強引にか、ヒットした事にしてしまった。どっちも確かに50歩100歩だ、しかし、前者はヒットし、後者は結論では受けなかった。
そして、「そんな話は何処にもない」そう言う現実も多々、有って。
「王の権威」そんな、産まれついての特権?みたいなのに、結論で支配される世界なんて間違っている。そこには重い道理があるが、その結果が「ゼビウス」で。売れれば方法など問わない、の帰結が、「グラディウス」それではあって。今の、自身の状況は全く、或いは「グラディウス」そのベクトルに寄る事態、だ。判明するまでは現状が問題だ、と言う認識さえ無かった。しかし、”それ”は静かに何かのストレスを累積し、或いは近状、それを発露しつつあった、のかも。
だったらゼビウスを再評価すべきか?
「撃墜されてもチャンスはある」そんな物は無い。
2DSTGのパワーアップが、撃墜されると多くが初期状態に戻る、という仕様の理由だ。被弾した時点で、何かの優位性は一気に失われる、ほぼ未来は消える。確かに、被弾しても直ぐに落ちる訳じゃない、リカバーできる可能性はあるがしかし。「そう言う事を言いたいんじゃない」そう、オーダーは言う訳で。
ゼビウスはしかし、頑なにか、”この”道理、主張、それを否定する。
自身のゲームデザインに問題がある、とは言わない。
そもそも盗人に何を言われようと痛くもかゆくもない、だろう。
そして確かにグラディウスは、ある意味での「強盗の成功」ではある訳で。
むしろそれを支持した昭和天皇への否定が、市場への疑念が、より強固になった位だ。
良くも悪くも、アーケードゲーム業界は、”そんな”対立を始めてしまうが、そこに「対戦格闘ゲーム」それが登場、その中和を意せずか行う結果でヒットはする、が。対立の狭間で、普通のゲームは…総じて消えて行ってしまった。その戦争が終わった時、対戦格闘ゲームもまた、何かの必要性、それを失っていたが。
…果たして、現状への邪とは、何処に有る物か。
昭和の人々も、もう大分少なくなったのだけど。
使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im5757411
https://publicdomainq.net/harue-koga-0038320/