つい、考えてしまう。
それは或いは、否定したか、持ち込めなかった物、だ。
タイトル
「仮面ライダーVG(バージュ)」仮
テーマ
「正義は勝つんだ、諦めるな」
ゲームシステム
サイドビューのジャンプアクション。画面上にチェックポイント(道標みたいに輝いて浮いてる)が有り、”それ”を取る事でパワーが溜まり(またHPも少し回復)、一定量溜まると”変身”でき、パワーアップする。ダメージか、一定時間で解除になるがその間は強力。一応、チェックポイントを最短で?通る事が最もスコアが高い、という構成。
物語
世界は突如、邪悪なる軍団「ガイアス」により侵略を受けた。貴方は立ち向かうが倒される。しかし、彼らは貴方を殺さずに連れ帰り、改造し、自身らの戦力として利用しようとした、が。貴方には脳改造は何故か効かなかった、変身し、拘束を解いた時、貴方には自身に力がある、それを感じた。
と言う導入から、敵の本拠地を目指して戦い進む。途中で、改造された強力な怪人らが立ちふさがるが撃破し、遂に居城へ乗り込むが、そこに居たのは脳改造されていない、彼のかつての友人だった。行方不明になっていた彼は、今の歪んだ世界を正すと言うガイアスの先導役をかって出ていたのだ。苦闘を制し、その先に居るボスを倒し、世界は辛うじて危機を免れた。
「影の伝説」と言う古いアーケードゲームを、改良?する事を考えると、しかし。そこに有るのはでも、割と有り触れたニヒルさ、ではある。
画面の中で実際には命懸けで戦ってる姿、”それ”に対してかっこいー、を言う、それへの否定と。
報酬的に「結果でお姫様は落ちました」的な、そう言う、或いはそう言うモノだ的な、理解と。
何かの憤慨と、否定感と共に。ともかく「影の伝説」はそんなにウケ無かった、らしい。
改良?を考えたら、お姫様が浚われてる必要は無かった、のかもしれない。
単に、邪悪なる軍団が攻めてきた、迎え撃て!で、テーマ的には問題なかったかもしれない、が。
この後で、返答はある。
「なんでそんな事をしなきゃいかんの?」
そう言うもんなんですが。
時代と、世代の、或いは立場の?問題、と言うべきだろうか。企画原案には、その辺にどうも同意が出来なかった訳で。庵野秀明氏もかつて言っている?が、「平和を脅かす脅威と言うのが、どうもイメージ出来なかった」と言う、それが正直、平成か昭和だった、感じは実は有る。平和ボケ、そう言えばそう。生活が脅かされる、という危機感を、もちろん自分も当時、感じた事はあまり無かった。戦って勝たねば世界は護れないんだ、その至極当然な感覚は、昭和から平成に掛けて、日本ではか、結構「はぁ?」そんな感覚に成っていた、そう言うのはある。
それもまた、そんな理解の帰結だったろうか。
幸運と言うべきか、否か。良くも悪くも自身はかなりひしひしと?感じる感覚に、支配されてはいる。何と戦ってるのか?と言うのにちょっと切なさは有るが、ともかく結構、命懸け、という賭けの中には常に居る、訳だ。幸いと言うか、時間と共に、何かの安心感、堅牢さ、そう言うのは増してくる、としても。今もミャンマーの騒乱は治まらない、それに対して紛争解決機構は介入してないのか、そう言う話は、その危機感と共に有る。
良くも悪くも、”それ”を凌いだかの先にしか、何かの価値は無い…それはその領域にしか解らないリアリティ、だろうか。
「大賀さん」が有る時、今日も、誰かは戦っている。