あげちうのブロマガ

自身の理想に加筆修正される不愉快

知らない内に、333mの東京タワーの隣に?高さ330mの超巨大ビル「麻布台ヒルズ森JPタワー」が建っていた。

ビルを見下ろすゴジラ、から、ビルの合間を通るゴジラ、になった…そんな微妙な感覚ではある。

 

「京都」には、景観を崩すような建物は建てられない、という規約がある。「京都らしさ」は観光産業にも影響する訳で、いくら利便性が上がるその他だろうと、ではあり。それは一つの「自由への抵抗」と言う絵はある。”こういう感じ”は、何処でもある訳で、いくら個人的な価値観で「それが最善」であってもその場の空気はそれを許容できない、そう言うのは、ある。

それもまた、「大衆は神である」その、帰結の一つではある訳だが。

「広告代理店」の話は、少し収斂してきた感じはあって。彼らは日本を護る、世界を、という感覚には同調し得ない、表現的には「自分らの損になる事はしたくない」訳だ。一般論でも「それはそう」だが。それ故に、保持している放送枠などにもそう言うのは要求される。今まで、その辺が最終的には独裁的な選抜だった、事で自身らに「独裁者」を創ってしまった訳だが。”それ”が原因でその領域の利益性、それが大きく損なわれている、世界に対しても?となると、過失を問われる先には、自身らの重い損害が待っている事には成る。

「改善」は、要求されてしまう。そして、それは状況的に、「平等な条件」それを要求される、訳だがその時に。「自分らが管理する領域で、自分らを否定するような内容はNG」それは、条件として通るのか、そこは少し混沌には成る。

まず、フリーになった放送枠がある。「番組放送権」を売りに出す。オークションが始まり、落札。その落札者に対して、彼らが要求する製作費を、広告代理店は企業を回り「広告収入として」集める。落札者はその中から既定の%を「製作費」として受け取る事が出来、テレビ局と広告代理店は、その残りを得る。

この状況そのものに、問題はあまり、無い。「落札できれば逆に製作費が得られる」訳だ、制作者らにしたらむしろ有り難い存在ではある、お金集めとは面倒で有って…有効な商売だ。ただ、今はこの時、「放送内容」企画原案に対しては注釈が付く、「広告代理店を批判するような内容は不可」詳しく解らないので、ともかく「広告代理店が」許可した企画書しかオークションに参加できない、感じではある。”この”条件が付与される時、不意に、「不自由」それはそこにある。

「日本にある日突然、巨大隕石が落ちてきた。しかしそれは実は、異星人の侵略者が乗った要塞だったのだ。そこから現れる兵器軍は日本侵略を開始する。立ち向かえXジンガーV!」

我々を否定してる感じがするんでダメです。

倫理観?というか、作り手の感覚としては「悪い事をしてないなら気にする必要はないのでは」と、言いたいのはやまやまだがしかし、「朝鮮」と言う国の歴史を鑑みると、「なんで朝鮮は無くなっちゃったの?」と、それは重い問いになる訳だ。その辺を考えるに、「どんな企画書でも」それは、ちょっと無理は出る、その時、相手の胸先三寸、その混沌に挑まねば成らない…訳だが。

「日本の一部に、宇宙からの来訪者が不時着した。それは日本に外宇宙からの侵略を伝えるモノだった。彼らの協力の元、対抗兵器「XジンガーV」が完成する時、現れる外宇宙の敵。XジンガーVは訓練も不十分なまま、発進した!」

とか、まあそういう意味では”こういう感じ”の変更を余儀なくされる…それは、妥当だろうか。

理由は解っていても、なんとなくもやもやはする。

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