あげちうのブロマガ

問題とは対処する職業の糧

人々が問題を起こさなくなったら、警察もいらないのだ。

その人々は、それで失業してしまう、世界とは、それを繰り返してきた。

この辺、以前にゲームのネタで考えた事はある。「想定外のモンスターが発生し、それを狩る人々が職業化した、仮想ゲームの世界」で、その原因を突き止めようとした探索の末に、「それはしない方が良い」そんな結論で打開は曖昧になる。”それ”は、そのゲームの作者が意図して残していた痕跡だったが。個人的にも、理解していても曖昧さの残るシナリオ、悪いとは思ってないが、面白い?そこは微妙だったかもしれない、そういう事は思う。

「解らない」の、それはほぼ起点にさえある話、だ。「なんでこの世界は魔物を存在させるんだ?」人々を護らねばならないなら、魔物を発生させないようにすればいいじゃないか。「それじゃ物語が始まらないだろう」向こう側の、今は、若い熱意?か憤り、それが見える様な、昨今ではある。

世界の成り立ちが、「幾ばくかの問題」それと共にある、それはでも、或いはヤクザ?そういう存在の容認でさえある…そこに、言い難い矛盾、それは有る訳だが。だからまったく、売春婦の否定に関しても、それは本当に善か?それは、少し面倒さも含む話にはなる訳だが。

作品が盛り上がってくると、「この世界は素晴らしい!」漫画?いやこれが理想だ、現実もこうなるべき!という感覚は、多数決的にも盛り上がったり、する。「漫画だから」作者が最初断言していても、次第に多数決に押されて疑問になってくる、なぜこれが現実じゃないのか?返答できない果てに、内部の熱意は暴走、意図しない面倒、それを始めたりする…作品に影響されて公道を爆走したり、だ。

…しかし?その先にでも、「怪獣」その発生と、「ウルトラマン」その存在があったりもする、訳で。

毎度の話、だから、「システム的には」問題はない。過剰が発生したら、対処する存在が呼ばれ、倒して喝采、”そこ”に価値、或いは創作のネタ、そういうのを落として、或いは生成して、良識的には消える。その暴走を、事前に抑止したら、その先の騒乱も、価値の発生もない、のだ。泥棒が発生しない牧歌的な田舎に警察の存在は無い、様な。でも、そこに置かれた警察官は、日々釣りでもしていればいいモノか?ではある。

”雅”市場的には、「嬬魔」という、要するに萌えキャラ?が、そういうのを求め、システムその物を無視して余計を発生させたりする。”それ”に「上手く」対処しなければ、その先の価値も発生しない。「問題はなかった筈だ!」は、このシステム上は完全には言えない、常に、何かの視線、それは必要になる。

・・・ただそれが、今の「牢陽帝」か?というと、それは疑問というか、”違う”訳だが・・・昭和、その黄金期は、そういう感じだった、のだ(多分)。当時のシステム的には結局、ウルトラマンもゼットンには倒されてしまう、そういう視点では不足がある、が。倒せる様にしておくべきだったか?そんな問いと、或いは現状ではある。

最終的には人間の関与が無ければ、ゼットンを破壊する事は出来ない、そんな環境ではある。

ウルトラマンのカラータイマーは、確かに作為的な、そんな矛盾ではある。

”それ”に対して指摘する、それは、是か非か。

「馬鹿かな?」その当たり前と、無言のか、その返答。そして奇妙な熱意。

これは必要な騒乱、だろうか?

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