良いイメージとは、言い難い。
”社長”の給料とは、どうやって発生するのか?
ともかく理想としては、その会社の純利益の中の、何%では、ある。100億円消費し110億円の売上。10億円の中から社長の取り分は、これだけ。
「…マイナスだったら?」
そこに、悪夢が有る。
ともかく自画自賛だ、「私はゲームを創った事がある」結構クオリティが高い。ゲームエンジンから基幹ルーチンまで含んで、ほぼ”全て”一人で創りあげた。最初期に創った一つはグランプリを獲得、「50万円の褒章を得ている」と言うフラグまである。この私の経歴を前にしては、普通のパーツ製作でしかない技術者に反論する余地など無い。
邪魔か。
最近ちょっと問題になる、自分のいる世代の、良くない面ではある。持っている技術が「使える」時代はもう20年くらい前なのだ。今はもう、ハードに適用出来ないそれは良くある状況。それでいてプライドは有る、自分が頑張ってた頃は、今は。立場も状況も変わっていても、意識はあの頃のまま、だ。若い訳じゃなく、老醜化しただけ、かもしれず。
愚痴を言っても始まらず。定型化しているなら尚更、後輩の監督に廻るのが、世代的な責任ではあるのだけど。その時、今まで?の様な感覚とは変わってくる面は有って。ゲームは特に、集団創作だ。衝突する意向を如何に上手く整流して期待される絵を描くか。「自分の望むゲームを創る」ゲームだけで無くても、その時必要になるのはスキルよりも、”それ”はどう使うべきか?の、ある意味では「社会的な倫理感」ではあって。技術を武器にしていた人々は、ある地点から”それ”を捨てねばならなくなる時。果たして、彼らは”まとも”な作品を創れるのだろうか?
「俺は昔!けっこうやれてたんだ!」
知らんがなうぜぇ。
ともかく?
その辺を理解し抑止し、成果を出す時。それはもう「技術者では無い」のだけど(-_-;)。それが良いか悪いか?はともかく、結果として発生した利益が無いと、上の方の人は暮らせない訳だ、理想としては。この辺の感覚は、実はそのまま創作には現れる。全体利益が発生してない創作は、要するに「面白くない」評価にしかならない、のだ。この辺感覚は、どんどん拡大していくのであり。やがては世界全てを内包しての利益性、それを気にする様に成る訳だけど。
現状、”今まで”の世界に、ここに入る答えは…無いのだ。
ともかく「社長」も、仕事をする事を要求はされてる。その、宇宙規模に拡大した「会社」の利益はどうやったら発生するのか?だ。致命的な事態はある、「客が居ない」のだ、眼前に居るのは全て、”自社の社員”である。「自分が払ったお金で」彼らはその作品を買っただけだ。その時、利益とは…何だろう?
「次は?」
…ともかく、社長が”次”を要求される時。お金は、廻っているのだけど。
結果が満足できない…のは、何か何処かに問題があるから、だろうか。
なるほどわからん。