「戦争に必ず勝つ方法は有りませんか?」に対して答えは一つ、だ。
「相手よりも多い戦力を持つ事です」それで勝てます。
「そんなんで面白いんですか?」
に。
「戦争が面白い訳ないでしょう」
から、それを”それ”として描くと?評価が「面白い」になる、結果がある訳で。「戦争は面白くない」と、描かれていると…それは「面白い」訳だが。
言うべきか否か?はともかく、思う所で今年の大河ドラマが微妙なのは、最初に「有り得ない」を入れちゃった事で(単騎で姫を後ろに載せて敵の関所を突破する、ってのは絵的にもちょっと大分、無理が)、破壊系認定になり、後の全てが嘘に成ってしまった事…だろうか。「”これ”は歴史的事実ではない?」と言う時、期待と結果に著しい隔たりは発生してしまった…単なる芸人のバラエティ的になったそれには、まああまり「面白い」その感覚は持てない、訳だが。
個人的な主観で、去年が素晴らしい内容だっただけに、些細な失点が気には成ってくる。確かに?方法論を多少間違えた、それは、あるのかもしれない。
状況の変化も重い、かもしれない。流石にロシアとウクライナで本当に戦争を始めている現実を前にしては、「面白い戦争」それは、ちょっと題材としても?不謹慎だ。「面白い」の視点の問題もある、が。従来のそれは、戦争が「無い」感覚の中での、「これだって戦争だろう?」的な、そんな内容だった、感は否めず。強権で押さえつけた、と言うべきだったろうか、ともかく最終的には反乱などダインスレイブで止める事が出来る状況では、それは全て茶番でしかない。しかし「それで良いんだよ!」と、何かは言い切って平成を突っ切ってしまった…それを、良くも悪くも今の大河ドラマは続けている、のかも。
自分も不意に、返答までに時間を取られた、そんな感覚もある。
「課金以外で勝つ方法は無いんですか?」へ、”普通”は、色々と考えるのだが。そもそも”課金その物へ”否定を向ける物だが、”それ”をオーダーされた状態から返答には、ちょっと混沌はある。「パチンコ」それは、それでも戦争の再現ではある。”それ”が戦争であれば?それもまた、そう言う物、だ、その意識に成るには少し、面倒を超える必要は有って。
ゲームへ要求されたのは、「現実にはやらない為に、その危険衝動をお金で解決する事」ではある。徒労への無意味な投資、無茶な挑戦、その前に、「まあ、ともかくやってみよう」ゲームで、そしてその結果を持って、自身の衝動へ返答する、そう言う用途だ。
しかし、平成の「ゲーム」それは、そう言う需要とは少しズレてしまった、のかも。不可能を可能にする為の挑戦!と言うニュアンスの先に、対戦格闘ゲームの台頭はあり、”それ”はそれで、ゲーム同士の衝突、それを打開し得たがしかし…「その他」は結果、全て、ほぼ潰えてしまった。
残っているのが、良くも悪くも「昭和期のゲーム」と言うのが、何だか皮肉の様な。
兵どもが夢の後、だろうか。
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