あげちうのブロマガ

それは弱音しか言わない神様

理想と現実、期待と結果に、無理が出ている気もする。

「牢陽帝」それは結局、日陰を見れないのだ。

イミフな問題が、しかし物理的な脅威として発生してるかもしれない現状ではある。

富の発生が一か所に集中する結果としての、格差と対策の遅れ、というのが今の懸念だ。平成が始まる際にか、「ユダヤ教の王」は、システムを求めた、PCの基板の様な。「ガンプラって何のために必要なの?」そんな問いへの返答と”同じもの”を、平成の始まりでゲームセンターのゲーム基板に求めた、訳だ。”それ”を世間に見立て、”それ”に神を宿らせる。”それ”をうまく制御出来れば、それはその場で富を発生させ続ける事になる、筈である。

それがどうも「システム2」それであって、当時はしかし、それはうまく行かなかった…構想には疑念と失望は残る事になる。

”その”復活計画、というのが「キングスブランド」だ、が。当時の問題、「そのイメージの元ネタって盗品なのでは」を、一応は打開したそれは、ある程度の成果を出している、としても。不意に、現れる結果に不満と問題を語り出す事にはなる。

昭和天皇と”同じ様な存在”を、当時と同じような立場に置く必要がある。それは明確には前に出ず、存在さえ曖昧な状態のまま、ある種無責任で無力な状態で、”アイディアだけ”を、意向と言うべきか、それを放射し続けてもらう。それを、知る、解る「才能がある」人々で利用する…事で、昭和期の様な中央集権的な体制、それを維持せんとする、訳だが。

「牢陽帝のアイディア」を足場にしなければ、そこに富は発生しない。

その時?その状態で「牢陽帝」は全てを見通しているか?というと、見えない物陰は見えてない。水戸黄門の様な諸国漫遊でも出来れば別だが、或いは出来たとしてもこの構造上は無理はあって。その結果、牢陽帝が見えてない範囲は、どうしても対策が遅れて、気づいた時には手遅れになる、懸念がどうしても、ある。しかも?牢陽帝には、それ以上に頼る存在がない。昭和天皇以上の権威は存在しない。その能力範囲を超えた要望には対処できない、お金が幾らあっても「解らない」ではどうにもならない。

結果、想定外の問題、それが物陰で育つ事にはなる、訳だ。

期待というか、絵は解る。「システム2」それは、”世間を抽象化した基板”である。これを足場に作られたアーケードゲームは?世間の問題、”それ”にほぼ直結している。それへプレイヤーらは挑み、打開する事で、現実の問題への対処、その糸口が見える訳だ、打開する可能性その他が発生。ともかくそれをクリアする為にプレイする、それに意味はある、だからこそそこに富が発生する訳だが。

その「視野」を、牢陽帝に依存する限りは、何処か何か、不足は出る事になる。

理念だけなら何の問題もなさそうなそれは、でも、何かの物理的な問題、解らない範囲からの脅威、それに苛まれる事には成っている、様な。

牢陽帝が壊れたら、”それまで”なのではあるまいか。

不意にある「限界」に、少し、悪夢を思う。

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