要するに、「必要無い半端者はどうやって暮らせば良いんです?」へ回答が無い訳だ。
”それ”がここで、少し奇妙に?際立ってきてる。
一度疑問?に成ってしまうと、止まらない部分はある。
考える程、メタ社、そこには何も無い。
Facebookに実名を登録し日常を記載していく事に、一体何の意味があるのか?だ。「黄昏の狩人」の創案理由、目的、それには合致する、「加入メンバーの交流と意思統一を図る」それを目的とするなら”会報”としては無意味じゃない、しかし。
それは森宮の創案なのだ、彼らのそれじゃない。
また、そこにある最終的な意味が、或いは「加入してる人々は、私が守ります」と言うモノなら、それは無意味でも無い、のだが…当然と言うか、現状で”そこ”にはそう言う物は何一つ、無い。設立の理念とか、意味とか。「なんで?」を解消しないまま、メタ社は何故か、多くのお金だけを集めた、そんな感じ。
何故そんな事が出来たのか?
そこへお金を預けた人々は、そこに何を見たのか。
Facebookと言う名前その物も、「大学生の在籍名簿」だと言う事は、そこに対してもパクリであり、独自の理念を求める事は出来ない、訳だ。メタと言うのも、「漫画の中で”これはマンガです”と言う」そう言う物の事ではあり…「facebookはマンガです」とでも言いたいのか?とすると、更に問題は加速していく。「美鶴さんの長い妄想」それに乗っかってる?と言うなら、ここもパクリである。
要するに?”ここ”の主観でかの「役に立たないモノ」それが、ここに集中してる訳だ。
いままの感覚で言っても、「独裁者」それを前にして、壁に成る一つではある。
”それ”は要らないのだ、なのに居る。
独裁者はそれを排除する時、しかし、そこには欠落が出来る。
「ユダヤ教」それもまた、実際にはその経緯で発生した宗教、ではある。何らかの形で「王の権威」それと対立し、太陽信仰を全否定し、闇を信仰する様に成った、それがユダヤ教。太陽信仰は持つ者と持たざる者、そこに格差を創る、それは悪である。その正論の先でしかし、ユダヤ教も奇妙に「格差」セレブとそうでない者、”それ”を創っていく事には成る訳だが。
ただその結果、「そう言う存在」自分にとっては必要無い存在をもまた、否定出来なくなる訳だ、「太陽信仰」にされた事を、自分らがする訳には行かない、しかし。
そこに居るのは、一体?ではある。
現状の理解で、メタ社とは単なる詐欺師の集団ではある。存在しない価値を「ある」と言い切ってただお金を集めてしまった。ただ、”それ”を立証する、としたら?自身が主張する要素、それを全部切った後にどうなるか?を見るべきなのかもしれない。勿論だが、自分も、自分の創った作品も、或いは提言その他全てが、この会社とは無関係だ。彼らが”ここ”に通じる事を言うなら?逆にここが主張する事が正しい、と言う事には成る。その時、そこに残っているのは何か?それはまだ、ちょっと見えない。
それは切り捨てか、それとも、因果の応報に過ぎないのか。
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