理由には成らない気はする。
その時、理不尽な非難を受けた人もまた、そう考えたかもしれない。
改めて、やっぱり「何故、神田沙也加さんは死んだの?」は、問われる。”感覚”で、ここをあまり問題視しない、と言うのも気には成る。業界にある「問題」その発露の様に、彼女もまた、精神を病んで、そして最後は身を投げてしまったのだ。「何故?」は、重く深刻になっていく、理不尽と言うのはどうも、夢魔の元でしかない。
果たして、岡田有希子さんが、テレビとファミコンの騒乱の狭間で犠牲になった、それは事実だったろうか。
自身の想定を、少し整理?したりはする。対立する、そのファミコン側は上村雅之氏だったが、ではテレビ側は誰だったか?だ。何が理由で対立に成ったか?それは、テレビその物の所有権、「どっちが優位か?」そう言う話の後だ。テレビはファミコンを抑え込もうとした、ファミコンはそれに反発した、それは横暴である。
誰が?と言う時、ふと、或いは黒柳徹子氏、その存在は…少し思う。テレビの黎明期から居続ける重鎮、というか…或いはもっと面倒?な存在だ。女性と言うのは男性よりも、断言する事が容易い。分岐を前に、余り迷わない。その上で、彼女は奇妙にテレビのご意見番として重視されて行った、可能性は結構ある。女帝として、或いは密かにか君臨していた、その先の話で。
その衝突の結果で岡田有希子さんが自殺してしまった時、ファミコン側はテレビから責められる事になった、しかし。テレビ側は、その過失を感じていなかったか?と言うと、そこには少し、疑問もある。
それはやっぱり、お互いが、何かの負い目を負った、と言うべきだったのでは。すると?その後、両者は”過剰”に対して重い否定感を向ける様にはなって行ったのでは。ゲーム側を抑止していたのは上村氏だが、テレビ側を抑止していたのは?或いは黒柳徹子氏、だったのかも。
何故「面白くない」作品しか、許可しないか?だ。
それは結局はあの、岡田有希子氏の死、それを誘因する…そう言う理解。
上村氏が亡くなって、日も浅い内だ、なんでか神田沙也加さんが自殺してしまった。何が起きていた?と言う時、目立った話はあまり無い、上村氏が亡くなった、位。そこから思うに、バランスが崩れた結果、”批判”が黒柳徹子氏に向いていた、のかもしれない。このままでは!もっと!それに対して彼女は、過去の負い目からそれを許さなかった。
…批判はでも、黒柳徹子氏で跳ね返り(何故ならその時、彼女には過失が無いから)、”似た様な”境遇である、神田沙也加さんに、なんか偏向し、集中してしまった。彼女自身も重いストレスはあり、向け先を探してた部分は有るかもしれない。罵詈雑言その他の帰結は、致命的な要求さえしただろう。それに対して、彼女は自身の非を認めなかったか、あの岡田有希子さんの様に?
だとすると、”ここ”では、黒柳徹子氏には、過失を向けたりはする。或いは過去、上村氏を罵倒?かしたかの様に、だ。貴方が下がれば彼女は死ななかった!そう言う。
理不尽だ、そうは思う。
現在の状況で、テレビは今以上の「面白い」を創れない、自身で実証してしまったかもしれない、神田沙也加さんみたいに、”この”方法論のままでは死者か犠牲が出る。本当に、「シン・へドラ」で、何とか”利益”を出さねばならない!のだが…それは状況から考えても、現実的じゃない。しかし、テレビは今の方法論をまだ、捨てられない訳だが。
原理は、何処だろう。
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