あげちうのブロマガ

お金の創り方

原理的な問い。

「なんでこんなの買うの?」
「面白いから」

”その理由”が、他者と共有できない現実がまだ、ある。

A氏にとって面白い作品は、B氏には唾棄すべき場合がかなりあるのだ。
勿論その時、逆も真なりであり、この時両者は「面白い」の共有感を持てない。
この時点で、特に創作は、「価値」を共有できず、つまり「価値」を”認識できない”現実が発生する。
これは既存の経済学に「お金を増やす」方法が根本的に無い理由でさえ、あり。

この理解では、「面白い」を、お金の担保に出来ない、訳だ。
米100㎏を、5万円の担保、とする事は出来る。必需品だ、そこに共有感。
しかし?「アニメのセル画の束」100枚を、5万円の担保には出来ない。

そんな(´;ω;`)。

可能性はあるのだ。もし?「アニメのセル画の束」100枚を、5万円の担保として確定出来るなら。描けば書くだけ増えるのだから、その分は確実に換金し得る、その分の雇用と「市場」がそこに発生する。「お金」とは結局?「担保」それを取引する証書の様なモノでしかなく、実は「お金」その物に実体は、ない。担保が無ければお金も無いのである。逆に言えば、「担保さえ有れば、お金は有る」のだ。

「アニメのセル画の束」100枚を、5万円の担保にさえ出来れば、造幣局で5万円を担保なしに刷っても、それはそのまま5万円として機能するのである、が。

大概の場合、それは担保として機能しないorz。


「経済が衰退する」その、根本的理由が、実際は「その社会の担保が価値を減らすから」だ。一億あった担保が、気づくと2000万円位に減ってる?と、物価は5倍とかになる…インフレ。その社会に「価値が無い」と評価されると、担保は一気に目減りしてしまい、それは社会その物に流通するお金の額に、ダイレクトに反映し、景気が悪くなった、そう言う実感を産む。ここを減らさない様にする必要があり、特にその保全に対して、「創作」は大きな意味を持つのだが。結果、「右か左か?」衝突が発生し、それはそこで、それを”破壊”してしまう。

「売れる」人気がある創作は、”この”現実を、良くも悪くも上手くすり抜けるなり、対処するなり、そう言う事をする、訳だが。ただその結果として、「だから、貴方の意見は聞けません」良くないです、そう言う結果は絶対に何処かに、出る。多くが施政者への反論だ、それでは独裁者では無いか?そう言うのは、定番の説教。末端で喝采されても、施政者側には「良くない」私を批判するなど!とかの判断で潰してしまう時、もちろんそこで、その担保は消えて、本来廻る筈だった「お金」は廻らなくなり、”そこ”は不景気になる。

もちろん?この「人気作を壊す」時、犯人には”相応の責任は問われる”のだ。その状況はどんどん悪くなっていく、そして益々批判作を破壊していく訳で、社会はどんどん不景気を加速させてしまい、最終的には地位を追われる、そう言う事にはなる、のだが。

作家が、妙な権威性を持とうとする事が悪いのか、それとも独裁者が自身の無能を否定する事が悪いのか。ともかく残念な衝突はまだ、打開の糸口を持てないで居る。

「ストリードの連携」それは、多くが「作家側が余計な事を言わない」事を念頭にルールの構築がされており、結果、非常に何というか、「ぬるい」そう言う感じは出てしまう。”誰”も糾弾しない、単に漫画、もしこういう事があったらこうなる可能性は高い、でもきっと”正義”は勝つだろう!位。これはかなり上手くは行っており?利益性には目途が立つのだが、しかし。

施政者が本当にそう言う邪をしていたら?それは相手を、”そのまま”糾弾するのだ。

良くも悪くも「カウンタ制御」それは。その「ストリードの連携」と似た結果を目指そうとする、そう言うベクトルが強く?結論で不完全さにより独裁性があっても、明確に「邪悪よ滅びよ!」それは、言いにくい。この環境下では作家として「そこはまあ、後で」みたいな感じで議題に上げない様にするべき、だが。創作者らの願いとしては、早期に!それも無視出来ず。

悪とも認識し得ない問題を、創作では打開し得ない、そう言うのは、ある。


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