それもまた、主観的判断、と言えばそうだ。
”それ”は今、何処へ向いて、どう変化していくものか、ではあり。
旧統一教会の奇行はでも、下記のように変換?は出来る。
合同結婚式 → お見合い
壺販売 → ガンプラ
お布施 → NHK集金
結果、旧統一教会への批判は、「主観的な混同」として、彼らは日本の”それら”へ向けて批判を偏向、増幅させる事には成る訳だ。そして?これらに対して反論側は最終的に反論し難くなる、「”昭和天皇の良識”という主観に過ぎない」から、だ。
今、もちろん昭和天皇、それは居ない。
「単なる主観」では理由、それで反論する事は難しい。
結果、日本の良識はどんどんと、彼らによって破壊されていく…という悪夢は、割とリアリティではある。
この辺が今、どうなったか?ではあって。昭和天皇は「王の権威」だった、故にその主観には意味があった、が。現状、主張では「王の権威」それは「いない」と言っていい状況、そしてその上としてある「大賀さん」は対戦ゲーム機ではあり、その結果に主観は存在しない(期待値)。主観への否定は”該当者が存在しない”訳だ、「気持ち悪い」はそのまま、それをしてる自身らへ跳ね返る、事にはなる、そんな状況である。
筈ではある。
とは言え、創価学会の王「池田大作」氏も確か、「カレーを少し食べて、残りを身内に食えと強要した」様な報道?そういうのも、ある。この”主観”への攻撃、というのは結構昔から、或いはカルトにとっては定番のそれとしてある、気もする。統一教会のそれは目立って王の権威を、昭和天皇をターゲットにしていたが、他のカルトもしてない訳じゃない時?今、跳ね返るそれは、カルトその物へと、あちこち飛び火していく事にはなる、訳だ?
ともかく、「大衆は神である」その思想が主体となる時、カルトは存在出来ないし、売春婦も必要とはされない。という時、今の流れはその殲滅へと傾いているのだ?そういう視線も、出来ない事は無いのだが。
「売春婦は必要な職種ではない」
ここに少し、個人的主観では不足の様なものはあって、だから。
アルカディアゲームネタ
主題 エロい
情景 宇宙船の中の探索
描写 トップビュー
注意 エネルギーは攻撃に使える
主張 緩急が大切
矛盾 危険は→イメージ
「アルテミスパニック」
女性だけの宇宙船アルテミスにエイリアン侵入、食い止めろ
画面はトップビューの上下スクロール。主人公は女性、マップのあちこちで捕まってる女性らを助けねば成らないが、宇宙船内部は今は触手に覆われており、進みにくい上に、敵も数体動いている。敵は順番かで、捕まってる女性らを回ってそこに生成されてるエネルギーを、「王」の元へ運んでいく。主人公は銃を持っており、向いてる方向へ撃てる。それで敵を撃てば破壊できるが、銃にはエネルギーが必要で、撃つと減って0だと撃てない。倒された敵は暫くすれば再び適当な位置から、しかしより移動速度の早い個体として復活する。敵が王の元へエネルギーを持っていくと溜まっていき、ある程度溜まると王は羽化してしまいゲームオーバー。その前に、”自分もまた”女性らの付近に生成されてるエネルギーを取り、王の周囲に幾つかある「弱点」を銃で攻撃する事で、王にダメージを与えられる。全ての弱点を破壊出来れば、クリア。エネルギーを回収する敵は、エネルギーを持ってない時は、主人公を見つけると近寄ってくるので逃げるか攻撃するかする必要がある。
捕まってる女性らは全部で9人で?近くで”対応するボタン”を押してやるとエネルギーをより早く生成する。また、マップ上にある障害物のいくつかは銃で破壊できる、が。スクロールアウトすれば”それ”は復活してしまう。
とか、「エロゲ?」をイメージしてしまうそれは、少しは状況に何かの一石には成るのだろうか。
「アルカディア」の環境でエロを考えるのは物理的に無理そう、な気もするがしかし。「発展」という点で…良くも悪くも”それ”が無い、のでは、逆説的にその先もない?という視点もない、事もない。「アダルトビデオは女性だけで撮影すればいい」の、そんな主張をゲームデザインにしてみた、それははたして十分な需要を満たすのか、或いは。
「娼婦の要らない世界」それを、朝鮮に要求する、という、問題。