一応、決着は出ている?がしかし。
表側には、「大賀さん」紛争解決機構は存在しない。有るのは単に「旧昭和天皇の椅子」、そこに座る「中華思想の皇帝」であり、最終的な決定は”それ”が決めてしまう。その結果、「大賀さん」では決着が出ている事も、表側では”違う状況に成ってる”訳で。
単に問題は、”それ”が利益に成らない事だけ、だ。本当に、些細な問題。
「中華思想の皇帝」或いは共産主義?その、唯一の問題ではある。「お金が無い」経済がどうしても悪化し、やがては侵略戦争を始めてしまう。もちろん、資本主義、それだって実際には同じ事が起こる、のだが。「一応は利益性を重視する」為、「お金が無い」利益が出ない時、それは失敗扱いには成るのだが。それを言われると、創作者の作品は、そのほとんど(いや全てか)がゴミでしかない。その憤慨の末に…ヒットラーは産まれる訳だが。
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確かに、ヒットラーにして見たら、画商が自分の絵を言い値で買ってくれればあんな事は起きなかった!或いは、そんな不満を言うのかもしれないし。それには多分、作家などの多くが賛同してしまう、それは間違いない現実ではある(ピカソも自身を「私こそ共産主義者だ」とも言っている訳で)。ヒットラーは、結論では世界中の創作者から肯定を浴びつつ成長し、ナチスを創り…やがては破綻した訳だが。世界は、現実は何故か、”彼の絵”を、それが或いはあそこまで具現化しても、「これは現実だ!」そう言うしかない事態を創っても、”そこ”に価値を見出す事は無かった訳だ。
…納得出来ない。
個人的な価値観は、換金性を持たない。物理法則として、これを超える事が出来ない時、それは、要するに「個人で勝手に描いた物は、総じて無価値である」そう言う現実では有る訳だ、これは平等である、実際には「王の権威」本来なら世界一正しい筈の”それ”が描いた物も、実際には利益に成らない訳で。ニコニコ動画、静画、そこに掲載される作品の殆どは、実際には換金性を持たない。”ここ”は、実際にはそれを学ぶ場ではある…或いは”これ”も。
この現実に立ち向かうべきでは無い、とは思うのだけど。世界中の創作者、或いは志願者その、或いは自分の腕を足を喰っても成し遂げんその熱意は、そうそう簡単には消える事は無い訳で。
”ここ”はあくまでも、何かの発散場所でしかない訳だが。