あげちうのブロマガ

特別と言う名の檻の中

状況が変わらない。

良い意味か悪い意味か、だ。

「独裁創作は売れない」それはもう、確定事項であり、逆に言えばそうじゃないなら売れないとおかしい、そう言う状況の時。

貴方、売れてますか?

”この”混沌は今も、どうにも憑りついた悪夢の様に、そこに有り続ける。


今まで、「世間」それが。「中華思想の皇帝」その統制下とは言え、自分、元「王の権威」それに対して行ってきた虐待やら誹謗中傷やら、或いは略奪、侵害、そう言うのを考える時、世間に「正義」それはほぼ、無い。今まで世間がそうだった事に対して理由は見いだせるし、ある程度の忍耐も必要だとは言え、正直今の状況は、理解として度が過ぎてる。人間的な価値観では、結局は「生贄容認」と言う理解でしかなく、その結果として今の状況が有る?なら、それは因果の結果だ。ともかく、そう言う視点で現在、”ここ”の主義主張に反する、それは悪だ。この件に関して異を唱える時、そこには、安直な死が待っている。

「閻魔大王に舌を抜かれる」発言権が無くなる、それはそんなイメージでさえある。

と言う、理屈で言えば、そうなのだけど。その時、自分の向こうに有るその、つまりは「自身が支配した」世界は何故か、自分に対してあまり、良い結果を見せている、とは言えない、状況があまり、変化してない。

”雅”市場、それは、「自分が敷いた規約」だ。市場原理、或いは人間的倫理、その基幹でさえあるそれは、商店街が問題なく流行ってる、そう言う環境を目指し、国家を基準に「お国柄」を明確にしつつ平等かつ公平を具現化せん、そう言う理念を目指す。独裁創作が妙に?か抑止されるのは、それがこれらの理想を妨げるからだ、俺の好きにやらせろ!それは悪だ、それは抑止せねばならない、如何なる存在であろうと、だ。

…と言う時、最も懸念されるのが、”この構造の設計者”ではあって。

どんなシステムでもそうだ、お金やら個人情報やら、重いモノを扱うなら尚更だ、「それを創った存在」には、重い制約が掛かる。そこに、製作者だけが知っているバックドアが有っては成らないし、必要だとしても使用には重い制約は発生する。携わった人々は、それを理解した上でそれに従事している筈、だ。何か問題が起きた時、責任を問われるのはそこに居た自身らで有る、身は律せねばならない。

聞いてない?そう言う訳に行くか。

「大衆は神である」ともかく現在、自分がまだ有る、のは。この神に因る訳だが、その結果として、この神の決定には逆らえない、自身にはそう言う枷が有る。その時?自分の創作その他は利益に成っている様に見えず、「カウンタ制御は悪だ!」そう訴えても、それは取れる気配が見えない。この時、データだけで言えば、「自分の主張は正しい」それは言えないのだ。売れてない存在が、その自身の理念やら独善を真実と妄信してるだけに過ぎない。この状況でも、「大衆」と言う神の返答は否定的では無く、何かの変化をも、期待してない。単にお金に成ってないだけだ。そして自身もまた、微妙に、問題と言える状況では無く。

…それでも「子供部屋おじさん」そう言われれば、そう。

「仕事だし?!」とか、玩具を買い漁って組み立て動画をアップしてる、或いは独身もしくは所帯持ちと何が違う?と言うとそれはそれで、切ないイメージはむしろ垣間見えるのだけど。ともかくそう言う”それ”が居るから!と言う感じでももちろんない、彼らはカウンタ数値その他と言う利益性を得ているから、まだ世間へ説明は出来る、「自分にはない」のだ。加害側の、今もって続く誹謗中傷はやっぱり苦痛と言うか、理不尽は感じる。気が狂ってる、とは言え、それはそれとして現実であり、現状を停滞させる原因ではあるのだが。

殆ど数値も利益も無い作品に、高い数値を付け「俺は成功者だ!」とか主張するのと現在の自分と、どっちが切ないだろう?

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