エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

身体の声に耳を澄ませば

2015-10-30 02:39:38 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 発達トラウマは、その元になった体験が無意識に落ちてますから、それをホッタラカシにはできません。発達トラウマ治療は、ですから、基本が、その根っこの体験に直面すること、暴露療法が基本です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.210の 2節の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 身体が感じる感じを意識できれば、私どもの心の世界に向き合うことができます。それは、私ども自身を眺めることです。私どもの悩み、過敏さ、不安に気付くだけで、すぐさま、私どもの見通しを変えることになりますし、自動操縦の、習慣になっている反応以外の、新たないろんな意見に眼を開くことができますね。マインドフルネスになれば、私どものいろんな気持ちやいろんな感覚にある、いまここを≪超越≫する働きに触れることができます。私どもの身体が語る声に注意を払えば、感情の波の満ち引きに気付けますし、それと共に、感情をコントロールすることがその分出来るようになります。

 

 

 

 

 

 自分の身体に意識を向けること、息、歩きに、静かに、ゆったりと、意識を向けること。そうすると、今の気持ちがどこから来ているのかが、次第次第に、ハッキリ分かります。自分の内側から湧いてくる場合もあれば、人の気持ちがスッと入ってくる場合だってありますもんね。今の自分の気持ちが、人の気持ちだって気付けたときの、静かな感動も、体験すれば、分かりますよ。それは意識してできるもんじゃないのに、意識して訓練しなければできないものですね。矛盾してるけれども、真実だから仕方ありません。気が付いたら、人の気持ちになっているんだけども、それは意識的な訓練の賜物です。

 ここまでくれば、自分の感情をコントロールすることが上手になるばかりではなく、人様が感情をコントロールするお手伝いも、上手になれますよ。

 

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壁社会ニッポンを≪超越≫する エイチな話

2015-10-30 01:50:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
今は恵みの時、今こそ救いの日
  ≪私の時間≫、それは、≪生きる意味≫に気付き、それを深めて、日々の暮らしに活かすカイロス、恵みの時。 p359下から5行目から。 &nb...
 

 

 昨日は、10月最後の木曜日、毎月愉しみにしている最終木曜日です。高橋源一郎さんの「論壇時評」が、朝日新聞に載るからです(http://www.asahi.com/articles/DA3S12040087.html)。

 今月のタイトルは、「LGBTから考える 困難でも 壁越えよう」ですね。壁のお話です。ベルリンの壁やパレスティナの壁や、いま難民が入り込まないようにしているハンガリーの壁などにも通じる壁です。そして、眼に見える壁は、心の壁、すなわち、≪人間を上下2つに分けるウソ≫と言う壁を投影したものと、相場が決まってます。

 LGBT(レスビアンのL、ゲイのG、バイセクシャルのB、トランスジェンダーのTの組み合せ)は、「性的少数者」の意味です。ちなみに「性的多数派」は、異性愛者、ヘテロセクシャル heterosexualです。エイチ Hが「性的多数派」になります。

 子どもも使う悪口の1つに「おかま」がありますでしょ。ウィキペディアによれば、男性同性愛者や男性のトランスジェンダー(女装家)をこう呼ぶそうです。「性的少数者」は、いつの時代でも、差別され、迫害されやすい。さらには、暴力も誘発してしまいます。

 それは、難民と言う少数者の場合にも当てはまります。難民が少数者であるならば、定住者が多数派であり、国外難民(亡命難民)が少数者であれば、市民が多数派になります。難民に対する、ひどい扱い、対応が、ハンガリーから、日本から、聞こえてきますが、それも、根っこは同じで、≪人間を上下2つに分けるウソ≫が心の壁を作っていることから生じます。

 アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちが戦争法案で利用している主たるものも、この≪人間を上下2つに分けるウソ≫だと私は見ています。今の日本、生活の苦しさ、生きづらさを感じている人が非常に多い。したがって、心の病も、子どもから高齢者まで非常に多いでしょ。それは、イジメや暴力、暴言を繰り返される中で、悲しみや不満だけではなくて、激しい怒りや憎しみを無意識裡に募らせている人が非常に多い、ということですね。この無意識裡の激しい感情が、暴力の根っこには、必ずあります。そして、この激しい無意識裡の感情が≪人間を上下2つに分けるウソ≫の壁を、必ず強化してしまいます。そして、人は知らず知らずに、この無意識裡のある激しい感情の出口を、必ず探してんですね。

 ここが、恐ろしくも、おぞましい、イジメから、戦争とジェノサイドまで至る、心のカラクリなんですね。このカラクリを利用しようとしてるのが、まさに、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちです。今の日本の人間破壊的社会状況に対する不満を、政治体制の変革に向かわせないで、すなわち、社会の内側に向かうことを防ぐために、仮想敵国を作って、外に向けようと必死です。沖縄も、現体制からしたら、「外」なんですね。現体制の「壁」は高く、その分「内」は非常に狭いからです。

 私どもは、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちに、キッパリと「NO」を言うとしたら、私どもの心の中にある≪人間を上下2つに分けるウソ≫の壁を意識的に乗り越える努力を怠ってはならないのです。それがないと、たとえ、形は、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちに「NO」と云えても、力になりませんからね。

 ここんところが、まさに私どものエイチ、叡智としたいと私は考える次第です。

 


 

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子ども好きなルター

2015-10-29 08:07:31 | アイデンティティの根源

 

 

 

 Young Man Luther 『青年ルター』p.237の2行目から。

 

 

 

 

 

 7月になると、ルターは突如、結婚して、牧師館に収まってました。ルターの言葉によれば、ルターが結婚したのは、父親の希望だったからだということらしい。それは、到底理解しがたい言葉でしたから、冗談だという人もいるほどです。しかし、父親は、ルターが結婚に迷っていると耳にすると、兄弟たちが死んでしまったために、危うくなった家名を受け継ぐようにと、ルターに迫ったのでした。それで、結婚は、遅まきながら、父親と自分との繋がりをハッキリと認めることでしたし、それは同時に、公然と、あるいは、コッソリと、ルターの人生の大部分を決定づけ始めるものでもありましたね。疑う余地もなく、ルターは子どもたちが大好きでしたし、とりわけ、子どもと自作の音楽を共にすることが大好きでした。ルター自身は、幼いころ幸せだったのは事実だろうと想像する人もいるに違いありませんね。

 

 

 

 

 

 宗教改革の時に、ルターは結婚し家庭を持ちました。大嫌いだった父親との関係を認めた時期だったことでしょう。子どもたちが大好きなルターは、ルター自身の幸せな子ども時代があって初めて可能だったことでしょう。

 

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精神分析も、一種の瞑想法だ

2015-10-29 07:17:05 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 無意識は、ホッタラカシにすればするほど悪さをしますから、意識の光で、照らしてあげればいいのですね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p87の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 精神分析の技術そのものを、その技術に人との出会いという特性を奪ってしまうような、厳格で禁欲的な規則に当てはめる時、フロイトは、自分を観察する≪私≫と(その≪私≫を)分かち合う≪私たち≫を、無意識研究に排他的に用いているのです。フロイトが≪私≫と≪私たち≫を無意識研究に用いることが、瞑想法、内省法になりうることを証明したわけですが、この方法は、聴いたこともないような、癒しに至る洞察をひとりびとりにもたらしてくれます。それも、癒しに至る洞察が必要だと感じるほど、混乱していたり、癒しに至る洞察が必要なほど、好奇心旺盛だったり、癒しに至る洞察が出来るくらい、健全なひとりびとりです。それは、ある社会では、精神分析を受けた人たちが、現実には、新たなエリートみたいになっちゃうような選択になりますがね。

 

 

 

 

 

 精神分析も、その本質は、瞑想だと言うのは卓見です。しかし、ここも、みすず版はまた外です、「媒介的手続き」となってますからね。 meditative メディテイティヴを、mediative メディエイティヴと、” t “ を抜いた単語に読み誤ってますからね。

 精神分析も、マインドフルネス同様に、瞑想がもたらす深い洞察です。

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耐え難い気持ちの対処法は

2015-10-29 03:26:34 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
アインシュタインは≪私の時間≫を、かく語りき
  私どもは、はたして≪私の時間≫を持てているでしょうか? 自分が生かされている意味を再確認する時間です。イキイキ、ピチピチ、生きるためには≪私の時間≫です。...
 

 

 日本の武道も、愛着障害の子どもの助けになるかもしれない、と言うのは意外な情報でしたね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.210の 2節から。

 

 

 

 

 

2 マインドフルネス(深ーい気付き)がなければ、心もない

 

 発達トラウマからの快復の核に、気付きがあります。トラウマの快復で一番大事な側面は、「それに気付いて」と「次は何があるのかなぁ?」です。トラウマを負わされた人たちは、耐え難いいろんな気持ちと共に暮らしています。トラウマを負わされた人たちは、胸が張り裂けるような思いを感じていますし、腹の底の我慢ならない感じ、胸が締め付けられる思い、に苦しんでいます。でもね、身体が感じる、こんな気持ちから逃げてたら、気持ちに圧倒される脆さが増すばかりですよ。

 

 

 

 先ほどブログで記しましたように、発達トラウマのある愛着障害の人は、自分の感情をコントロールすることがなかなかできません。耐え難い気持ちになることが多いからですね。そんな気持ちは嫌だから、逃げたくなるのも、ある意味、仕方がありません。でもね、我慢ならない気持ちに立ち向かい、受け止めていくことが、何よりも大事になります。

 

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