山崎藤廣 (阿賀野市京ヶ瀬地区)
このパンフレットは、平成12年(2000年)7月 建設省北陸地方建設局と新潟国道工事事務所が作成しました。
下の写真の赤い線が、水原バイパス予定線です。写真の下側は、阿賀野川です。
水原バイパスは、延長8,1km。車線数4車線。道路幅員21~28m。設計速度80km。2000年4月から事業化。
21年前の話なので、詳しいことは忘れました。思い出すために投稿します。
2000年当時、水原地区寺社~京ヶ瀬地区下黒瀬間は、1日に19,900台の交通があり、大型車は18.3%。この交通緩和などの目的で水原バイパスが計画されました。
この水原バイパスに道の駅を造る計画が浮上。阿賀野市になり、2回目の市長選前年(2007年)の話です「※市に合併後の市総合計画に登載してきた事業・・との話もあり」。当時、初代阿賀野市長・本田さんが言い出しました。詳しい説明は忘れましたが、旧京ヶ瀬村地区に集客施設がないから計画した・・ような説明でした。下記の計画図面をみると、観光案内・トイレ・地元の物産館・公園のほかに、温泉施設や宅地分譲地・老人施設なども計画されています。現在は観光案内・トイレ・地元の物産館・公園(兼災害時の避難場所)。用途が大きく変更されています。
この道の駅が注目されたのは、平成20年(2008年)4月。阿賀野市の第2回目の市長選。前市長の計画を引き継ぐ田中候補と道の駅に反対する天野候補。結果は昭和33年6月生、新潟県庁の元職員(平成19年12月退職・県農林水産部経営普及課副参事)の天野さんが市長のに当選。天野さんの選挙チラシ前面には「水原郷病院の救急医療体制を早期に回復します。財政健全化(福祉の道の駅)整備事業は中止します」。この時、市民は道の駅中止を選びました。
2008年(平成20年)8月15日付の「あがの新報」の記事から 福祉の道の駅整備事業の継続を要望し、議員有志(20人)が7月中旬、「意見書」を天野市長に提出していたが8月11日、議員全員協議会を開催。天野市長は「道の駅 全ての事業を中止」を発表した。なお、この発表に先立ち、8月8日夜、土地区画整理組合地権者に、天野市長が中止を説明した。理由は「財政状況が悪化しているなかで、市民生活に直接関係していない事業なので、中止する」とした。これは市長選において、自身の公約のひとつ。 (注)市では単なる「道の駅」でなく、人が集まるような施設で、福祉施設・医療関係・子育て支援施設の周りに福祉的な高付加価値をもった住宅を配置し、定住促進・人口増加も期待できる、としていた。また、「道の駅」による温泉施設、地元物産店などの相乗的効果によって地域が発展する、という位置づけの事業。「福祉の道の駅」と呼んでいた。
「日本共産党阿賀野市議会報告 2008年9月」から 市長の「福祉の道の駅」中止決定は当然です 前市長(本田市長)の時代、財政難を理由に、福祉や教育など住民サービスがつぎつぎと切り捨てられ、地域の要望もほとんど実現できなくなった。その一方、税金を17億円もかけて、京ヶ瀬地区の下黒瀬・窪川原地内のバイパス脇に「福祉の道の駅」をつくる計画が進められた。「福祉の道の駅」事業はK組・O・S企画の3社が「計画エリア全体をまとめあげる」(前市長の議会答弁)ことになっている。宅地開発では戸建住宅60棟、アパート2棟を見込んでいる。17億円のうち、市が直接負担するのは約8.3億円。推進派は「福祉の道の駅」で年3,500万円の税収が増えると過大に見積もっている。税収が増えても増えた分の75%は交付税から減らされるので、収入の実質増はほとんど見込めない。 まちづくり交付金4.9億円、合併特例債5.9億円(合併特例債の返済金のうち、市が負担するのは3分の1の約2億円)、一般財源(市の負担)6.3億円、市の事業合計17.1億円。 → 市の負担合計は、合併特例債の2億円+一般財源6.3億円= 8.3億円。 道の駅を中止するとバイパス工事が遅れる・・と宣伝する人がいるが、国交省側は「そんなことは無い。別の問題」とはっきり天野市長に語っている。 50代男性の声・市長に「選挙のときの公約を破れ」と迫るなんて、民主主義がわからない議員だと思う。
新生あがの会 議会報告(2008年10月3日号)から 阿賀野市の実質赤字はありません→黒字です。 阿賀野市は連結実質赤字もありません→黒字です。 阿賀野市の実質公債費比率は20.2%です。※財政健全化法で定める実質公債費比率の早期健全化基準は25%。阿賀野市は基準以下の20.2%。しかし、この基準の他に地方財政法では、実質公債費比率が18%を超えた場合には地方債を借り入れる際に「公債費負担適正化計画」を策定し、県知事の許可受けなければいけない。市の20.2%は超えています。 天野市長は、6月市議会で福祉の道の駅整備事業を中止すると発言。その後、関係方面への影響を考慮し、7月中に最終判断するとしていたが、去る8月11日、市議会全員協議会において、最終的に中止を明言した。市議20人が要望した会談等を無視しての一方的な判断でした。旧京ヶ瀬村時代から数えれば、7~8年がかりの大プロジェクト。地元を始め、多くの人たちの手によって練り上げられた阿賀野市の地域活性化事業が、たった一人の市長の手によって、今白紙に戻されようとしています。