平成8年(1996)3月17日の新聞記事から「誌名の記録無し」 上左は越後府の建物平面図。
この図面は、実物の100分の1で縦1m、横1.2mの和紙の描かれている。 びっしりと門、押入れ、風呂などの間取りが書き込まれ、
ふすまや障子の枚数の書かれた付箋(ふせん)も貼られているそうです。
発見された写真は望桜のある越後府の全景とアップの2種類。
写真を納めた木箱には 「故斎藤忠敬造営 越後府図」と書かれているそうです。 写真は明治3年(1870)前後のものと渡辺勇さんは分析。
日本に写真館ができたのは幕末の文久2年(1862)といわれており、県内の写真史上でも貴重な資料になるそうです。
明治3年は1870年。 日本に写真館ができて8年後に撮影されたことになります。 誰が撮影したのでしょうか。新潟市の人 ?
「斎藤忠敬」という人は、持ち主・斎藤敬冶さんの大祖父。 越後府営繕方課長で、敷地約9900㎡(3千坪)、建物1980㎡(600坪)の越後府造営責任者だったそうです。 次回に続きます。