阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

新潟ロシア村の記録84(1995-12)

2020年09月16日 | 新潟ロシア村の記録

1995年(平成7年)1月 笹神村役場の「広報ささかみ 5月1日号」から 「歴史」の記録として転載させていただきます。

1995年4月18日、ロシアの名門合唱団「モスクワ・ロクチァフ少年少女合唱団」が公演。新潟県北部地震チャリティーコンサートとして企画された。

この当時、新潟ロシア村は 地元との交流も熱心だったのですね。

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新潟ロシア村の記録83 (2003-4)

2020年09月12日 | 新潟ロシア村の記録

2003年 笹神村の「広報ささかみ4月16日号」から

この年(平成15年)の4月1日から営業再開。4月26日~5月5日まで新潟ロシア村は、笹神村の村民を対象に入場料無料のサービスをしています。新潟ロシア村は、この時「ロジアンビレッジ」と名乗っていたようです。

この期間、「ロシアハウス 新設」「ハバロフスク地方フィルハーモニー所属のダーリニボストーク来日」「ロシアンピエロ再登場」「ロシア料理フエア」「熊のサーカス団 特別講演」などを営業。

※ この年の5月1日、新潟市中央区万代島に「朱鷺メッセ」が開業しました。この年の新潟県最低賃金は 時給641円でした。各種商品小売業は、時給704円でした。

  ←村杉温泉の某旅館に展示されていました

この年の12月、新潟中央銀行の旧経営陣が商法の特別背任容疑で起訴され、裁判。一審では有罪の判決が下される。12月、新潟ロシア村は休業状態になる。翌年の2004年4月に閉園しました。

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新潟ロシア村の記録82(1995-11)

2020年09月06日 | 新潟ロシア村の記録

平成7年(1995年)7月 笹神村役場作成のパンプレット小冊子から。 新潟ロシア村に「大吟醸 新潟ロシア村」という、500万石という米で作った日本酒が紹介されています。 私、この酒を知りませんでした。やや辛口でコクがあると書かれています。一度、飲んでみたかったです。

新潟ロシア村の「森の地ビール」が出来たのが1996年2月。「大吟醸」の日本酒の方が先にできたんですね。

 

笹神村役場の企画商工観光課が作成したパンフレット

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新潟ロシア村の記録81(1993-22)

2020年04月15日 | 新潟ロシア村の記録

1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き 「誌名記録無し」

 さらに大森頭取(新潟中央銀行)が構想発表当時から口にした新潟県の参加も宙に浮いたままで、対外的な信用面で不安を残す。大森頭取は「金子清前知事時代に県が資本金の10分の1を出資する話もあった」と言うが、県は今になっても何ら態度を決めていないのだ。

 平山征夫県知事は「県の姿勢は変わっていない。ロシア村の内容、性格、収支見通しなどがいろいろ出されたところで検討することで一貫している。まだきちんとした資料がなく、結論が出せないだけだ」と言う。

 ただ平山知事は「官民それぞれがそれぞれの分野で頑張り、ロシア村も一つの目玉になって全体で環日本海構想が推進されればいい」と付言を忘れない。関係者はこうした点を捕らえ、一様に「県の出資参加の道は事実上既に閉ざされている」と指摘する。  → 以上で、8月31日の新聞記事の紹介を終わります。

 明日、新潟ロシア村がオープンする前日の新聞記事。よく載せたと思います。

取材した新聞記者は、「何か」を伝えたかったのでしょう。

1993年9月1日に新潟ロシア村がオープン。 そして2004年4月に閉園。約10年半の活動でした。

下の写真は、閉園から約16年後の2020年2月29日に撮影した新潟ロシア村の写真。写真中央下部に写っています。

 

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新潟ロシア村の記録80(1993-21)

2020年04月06日 | 新潟ロシア村の記録

 新潟ロシア村の売店で販売

1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き「誌名記録無し」

 ロシア村が1998年に全線開通予定の磐越自動車道に近いとあって、同自動車道沿線地域振協議会(11市町村 ※こういう協議会が存在したのですね)の小林一三会長(新津市長・現在は新潟市秋葉区)も積極参加の姿勢を見せる。

 小林会長は「一帯が高速交通体系に組み込まれる節目の時。観光もこれからは広域化の時代で、ロシア村は一帯の地域活性化に向けた大きな目玉になる。10月に協議会で500万円の出資を決定し、各市町村が分担して出資金を支出する手続きを来年度予算議会に諮るようにしたい」と言う。

 笹神村を含む磐越自動車道沿線市町村の出資が決まると、株式会社は第三セクターの会社となり、民活法の適用を受けて有利な公的制度融資が受けられるようになる。五十嵐笹神村村長と小林会長は「第一期施設で弾みをつけ、第二期施設を計画通り建設するようにしてほしい」と口をそろえる。

 しかし不安がないわけでない。バブルの崩壊と長引く不況の影響で全国各地のリゾート施設は軒並み苦戦を強いられている。関係者の今後の踏ん張りにもよるが、果たして新潟ロシア村だけ例外の人気を集められるかどうか。

 次回に続きます(次回でこの記事、終了します)。

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新潟ロシア村の記録79(1993-20)

2020年03月30日 | 新潟ロシア村の記録

1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き「誌名記録無し」

 明日9月1日にオープンする第一期施設の年間入場見込みは20万人。大森頭取(新潟中央銀行)は「できあがってみると予想以上に良く、誘客の実力は十分にある。実績をみて第二期施設の具体的な整備計画を検討し、第二期施設は1996年にオープン、合わせて年間150万人の入場をめざす」と自信たっぷりだ。

 地元の笹神村五十嵐村長も期待を熱くする。「笹神村は最大の受益者。ロシア村が建設されることになったおかげで県から国道、農道の見直しをしようと言ってもらったし、上水道、ごみ処理場もできることになった。ありがたいことです」と言う。

 さらに五十嵐村長は「ロシア村にちなんだ特産品開発も進み、笹神村の活性化につながりつつある」とロシア村効果を挙げ、「株式会社新潟ロシア村は35億円の資本金を集めた。笹神村としても最小限、出資参加するようにしたい」と前向きな姿勢を示す。  以下、次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録78(1993-19)

2020年03月11日 | 新潟ロシア村の記録

     新潟ロシア村の秘宝

1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き「誌名記録無し」

 こうした中で「笹神村を選んで当初の建設地を勝屋地区にしたのも、第一期施設としてデモンストレーション施設をオープンさせるのも、新潟中央銀行の融資先である笹神ケイマンゴルフパークを支援するため」とうがった見方をする向きもある。  これに対し、大森頭取は「確かにケイマンゴルフパークとロシア村の相乗効果を考えたのも事実。何か新しいことをやると足を引っ張られるものだが、こうした娯楽施設には相乗効果が必要で、実際、効果があげられると思う。まぁ、そういう見方は甘んじて受けましょう」と受け流す。

 次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録77(1993-18)

2020年03月06日 | 新潟ロシア村の記録

 ←建築中のロシア村

1993年(平成5年)8月31日 新潟ロシア村開園 前日の新聞記事の続き

 さらにテーマパークの建設費調達も兼ねたホテル会社の会社設立記念第一次会員募集が500口、75億円の目標に対し、300口、32億円にとどまる中で、当初予定になかった いわゆるモデルハウスのデモンストレーション施設を会員募集のために笹神ケイマンゴルフパークの駐車場に造った。 ※当初計画より43億円資金を集めることができませんでした。計画の43%しか資金を集めることができませんでした。 それなのにモデルハウスのデモンストレーション施設、つまり一番上の写真、私達が「ロシア村」と呼んでいる建物や施設を計画外で作ったのです。本来の計画の施設は約8㎞離れた場所が「本当のロシア村敷地・第2期施設」なのです。遠く離れた場所に私たちの知っている「ロシア村」を資金集めの為にデモンストレーション施設として建築。無茶な計画です。 下の図は、第2期施設完成イメージ図。この施設を建築することなく、新潟ロシア村は倒産しました。

※ このデモンストレーション施設が明日9月1日にオープンするホテル(20室)、美術館、ロシア教会などを組み合わせた延べ床面積約3900㎡の第1期施設。 結果は第1期施設と第2期施設が遠く離れた状態で造られることになった。

次回に続きます。

 

 

 

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新潟ロシア村の記録76(1993-17)

2020年02月27日 | 新潟ロシア村の記録

笹神ケイマンゴルフパーク

1993年(平成5年)8月31日 ロシア村開園前日の新聞記事の続き

 具体的な建設地は当初、笹神村笹岡の笹神ケイマンゴルフパークに隣接した勝屋地区だった。敷地面積は23ヘクタールの計画。しかし反対の地権者がいた上、購入予定の水田が極端に高い価格になるなどの事情の中で、建設地は8キロほど離れた同村管理に大室財産区(22ヘクタール)に変更された。

 変更はまだある。当初は560億円の投資で2棟合わせて400室の会員制ホテルと、ロシア美術館、バレエ劇場、常設サーカス場、船遊び水路などを配したテーマパークを造る計画だった。それが投資額330億円に圧縮され、現在は総投資額150億円にまで縮小されている。  次回に続きます。

 

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新潟ロシア村の記録75(1993-16)

2020年02月18日 | 新潟ロシア村の記録

  1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き

 ロシア村の建設地は笹神村になった。県が21世紀の発展に向けたまとめた「にいがた21戦略プロジェクト」にもロシアンパーク構想があり、候補地として新潟市(中央区)の万代島再開発地が有力だった。大森頭取(新潟中央銀行)は戦略プロも踏まえたとしながら、なぜか内陸部に入った笹神村を選んだ(※ この笹神村を場所に選んだことに、色々な話が存在します。 ※新潟市の万代島というのは、新潟市中央区 信濃川に架かる柳都大橋近く、朱鷺メッセや佐渡汽船のりばのある中洲部分を言います。もしかしたら、この万代島に規模の小さいロシア村が存在したのかも)。

 五十嵐利彦村長(笹神村)は「(新潟ロシア村を)積極的に誘致したわけでなく、大森さんがどうでしょうと言われるので、いいでしょうと答えた」と振り返る。建設地になったことを喜びながらも、なぜ笹神村になったかわからないといった表情だ。

 その大森頭取は「テーマパークと名付けるには最低でも敷地が7万坪(23.1ヘクタール)から10万坪(33ヘクタール)必要。万代島(新潟市中央区)ではとても土地代を負担できない。確かに新潟市に造るのが最高だが、磐越自動車道ができれば笹神村はすぐで、新潟市も同じ。沿線町村の土地開発にもつながればと思って選んだ」と言う。 ※磐越自動車道は、1994年(平成6年)7月28日に安田IC~新潟中央IC間の供用を開始し、北陸自動車道と接続。 1997年(平成9年)10月1日、磐越自動車道全線開通。 つまり、新潟ロシア村に一番近い安田IC「旧安田町」は、新潟ロシア村開業1年後に運用開始しました。道路事情は、それほど良くなかったんですね。  次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録74(1993-15)

2020年02月08日 | 新潟ロシア村の記録

 1993年(平成5年)8月31日の新聞記事の続き

 大森頭取が原動力になって、1991年3月に経済界、新潟県、新潟市の出資による第三セクター方式の「ソ連投資環境整備会社」(本店同市、資本金15億円)が設立された。自ら合弁事業を展開するほか、県内企業の合弁などを支援するのが目的。同社はその後、「ユーラシア投資環境整備会社」と名前を変えている。

 しかし、極東との経済交流は進まない。交渉を重ね契約に近い文書を交わしても それが履行されず、突然一方的なほごの報が入ったりする。大森頭取はそこには文化の違いがあり、まずそれを理解した上でないとロシアとの交流は進まないと考え、文化村としてのロシア村を構想した。   ※当初の計画では、笹神村は関係なし。文化の違い~から、笹神村でのロシア村構想が出来たのでしょうか?  ※当時の雑誌(財界にいがた)さんの記事に、大森頭取は「資源が無尽蔵にあるソ連は、魅力に富んだ有望な相手だ。国民の程度は低いが、指導者層は有能で、上から統率できる国だ。投資するには都合がいい」と知り合いの会社社長に語った。と、あります。 平成元年5月に、大森さん(昭和3年生)は新潟中央銀行の頭取になった(60才か61才)。大森さんが頭取になってからの新潟中央銀行の躍進ぶりは目覚ましく、預金量もいっときは北越銀行に迫る勢いだった。詳しくは前誌をお読みください。

 ロシア村は会員制のロシア風ホテルと文化施設などを配したテーマパーク会社「新潟ロシア村」(本社新潟市、資本金35億円)の設立にひた走る。 以下、次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録73(1993-14)

2020年01月30日 | 新潟ロシア村の記録

1993年(平成5年)8月31日の新聞記事から「誌名記録無し」

 「新潟ロシア村」構想の推進役は新潟中央銀行(本店・新潟市)の大森竜太郎頭取。単なる観光施設の建設でなく、背景には環日本海経済圏構想がある。

 環日本海経済圏構想は、1986年に旧ソ連のゴルバチョフ大統領が「日本海を平和の海に」とロシア極東ウラジオストクで演説し、日本海が緊張の海から平和の海になるという期待が高まったのをきっかけにして持ち上がった。最近では、日本海という呼び方に異論も出され、北東アジア経済圏構想とも呼ばれる。

 狙いは、日本海を囲む日本、韓国、朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)、中国東北部、ロシア極東の経済交流を活発にし、一つの経済圏ブロックを築くこと。 新潟県が日本海側にあって地理的優位性を持つことから県をはじめ経済界は積極的な関心を寄せた。大森頭取は、その先頭に立った一人。     次回に続きます。

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新潟ロシア村の記録72(1993-13)

2020年01月22日 | 新潟ロシア村の記録

 1993年(平成5年)9月1日に開園した「新潟ロシア村」。写真は開園前日の新聞記事。「誌名記録無し」。約A3サイズ分の紙面。この新聞の切り抜き、屋根裏の紙箱の中にありました。捨てなかったのは、記事が「よく調査したなぁ」「開園前日に載せて大丈夫?」と思ったから。現在の時代感覚なら問題にされるかも・・・。貴重な記事なので、なるべく記事通りの文章に私の感想を入れて投稿するつもりです。これは「歴史」として大切な記事と考え、書いた方に敬意を表して投稿します。文章が長いので、数回に渡って投稿します。

 北蒲笹神村笹岡の笹神ケイマンゴルフパークの一画に9月1日、「新潟ロシア村」の第一期施設がオープンする。さらに16日にはテーマパークの建設運営会社の設立総会も開かれ、第一期施設から8キロほど離れた笹神村・大室財産区に本格的なテーマパークを第二期施設として建設する態勢に入る。構想が県民の注目を集めるようになってから2年。ようやく「新潟ロシア村」が現実のものとして動き出す。地元の笹神村をはじめ一帯の市町村のかける期待は大きい。しかしバブル崩壊と景気の低迷によってリゾート熱は冷めている。さらに対外的な信用保証につながると期待した新潟県の参加も事実上見込めないなど、先行きに不安も交錯する。出発(たびだち)を前に「新潟ロシア村」の周辺を追った。    「以下、次回に続きます」

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新潟ロシア村の記録71 (2019-2)

2019年12月03日 | 新潟ロシア村の記録

2019年11月13日(水)夜、上の写真のようなテレビ番組で、「新潟ロシア村」の現在が紹介されました。放送時間は14分間。

立入り禁止の心霊スポットとして、紹介されました。地元の若い人達が数名出演し「地元で有名な心霊スポット」と話していました。

私は阿賀野市に住んでいるけれど、新潟ロシア村の跡地が有名な心霊スポットだと聞いたことがありません。若い人たちがテレビに写っていたけれど、あの路地は阿賀野市では、ありません。おそらく新潟市中心部の裏通りでしょう。東京から見たら新潟市中央区も阿賀野市も同じ地区に思うのでしょうが、新潟市中央区に住む人が阿賀野市を地元と感じることは、絶対ありません。テレビ番組の構成上しかたないのでしょうが、もう少し丁寧な取材を希望します。そもそも立入り禁止の私有地に勝手に入ったら、不法侵入になり犯罪になります。注意して放送しなくては。

しかし、テレビの影響力は大きいです。 当ブログは一日約230~420人の訪問者と約1000前後の閲覧数。それが放送の翌日は980人の訪問者と3954の閲覧数。翌15日は718人の訪問者と2514の閲覧数。 ネットの時代というけれど、やはりテレビの力は偉大です。

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新潟ロシア村の記録70(1993-12)

2019年11月27日 | 新潟ロシア村の記録

 

 1993年(平成5年)9月2日の新聞記事から「誌名記録無し」

9月1日に新潟ロシア村の第一期施設がオープン。経済界や新潟市などがタイアップして構想2年でスタート。開館1時間前に100人の行列。

20室あるホテルは既に予約で満杯。約3900㎡の延べ床面積で、総工費25億円。(最近は幽霊スポットで、テレビに紹介されていますが)

テープカットの午前11時前には、建物前広場で三人組の民謡団「ザラタヤルーシ」がロシア民謡を披露。9人組の民族舞踊団「ナスレージュ」は、エキゾチックなカチューシャの踊り。観客を引き入れ、和やかな雰囲気をつくりだしていた。

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