昭和59年(1984年)3月31日 新発田市を走る「赤谷線」 廃線最後の日。赤谷線は新発田駅と東赤谷駅を結んでいた、国鉄が運営していた線路。開業は1925年11月20日。路線距離は18.9㎞。 翌4月1日に廃線しました。 気動車が走行していました。
走行最後の日、線路わきには雪が多く残っていました。線路の各所に撮影しようとアマチュアカメラマンが多くいました。
(下)赤谷線で一番大きい駅(?)の米倉駅(よねくらえき)で廃線記念スタンプを押しました。ほのぼのとした絵柄ですが、こんな駅の風景があったのでしょう。今思うと、赤谷駅でも記念スタンプを押せばよかった・・と、後悔しています。
←ビュー福島潟の建物から撮影
2024年9月12日 久しぶりに新潟市北区にあるビュー福島潟へ。目的は(下)「福島潟干拓の歴史と市島家」という企画展見学。
市島家と言うのは新発田市天王にある「市島邸」のこと。水原町に居住し、明治になってから新潟市北区に転居。次に新発田市に転居しました。
民間では市島家が「福島潟」の最後の土地所有者。昭和31年(1956年)農地法により国が市島家から福島潟を買収しました。ビュー福島潟の敷地は、昔 福島潟の敷地でした。干拓により陸地になりました。干拓部分の説明図や航空写真が展示されています。
←企画展の入り口に展示
(下)「福島潟たより 2024年夏号」から転載。
←寛政2年福島潟検地図(複写)
← 市島邸の水月庵
※企画展入り口に「潟を田んぼに! 福島潟の干拓の歴史 著・曽部珠世」が置いてあります。福島潟干拓に関連する主な出来事が簡潔に書かれています。無料で、コピーされた用紙がもらえます。是非、入手を!
(下)ビュー福島潟の年間利用券を更新、新しく作成されたイラストマップを貰いました。
図の赤い矢印先がビュー福島潟。7階建。3階まで無料、4階以上は入場料が必要。一般は400円、年間利用券は1,000円。
ビュー福島潟の玄関付近にコスモスが咲いていました。暑さが続くせいか、あまりコスモスの花を見ません。
昭和58年(1983年)7月1日~8月31日まで新潟市中央区、鳥屋野潟で「1983新潟博」が開催された。
主催は新潟県・新潟市・新潟商工会議所・新潟日報社の4団体の共同主催。パビリオンは15館。上越新幹線開通を記念し開催。初日の入場者は6千人。オープン前に長い行列ができた。
(下)当時の新聞記事から。誌名の記録無し。当時4誌読んでいたうちの1誌の記事。会場は「あすの新潟館」。三次元立体シアターは日本初公開の未来の映像。幅26mのスクリーンで展開される三面マルチ映像。
会場のコンパニオン。了解をもらい、撮影しました。当時20歳なら現在60歳?
より、素敵な女性になられているでしょう! (下)会場にあったパンダの縫いぐるみ。当時、大人気でした。
← 新潟博のスタンプ「パクちゃん」
(下)7月17日には、新潟博の会場で「ミスインターナショナル ミスワールド」の美人コンテストを開催。全国7ブロックの予選応募者2,700人の中から選ばれた35人が出場。日本代表に大阪府の上野順子(20歳)が選ばれた。審査員には俳優の三船敏郎・かたせ梨乃・君県知事など。
(下)新潟博の会場図 入場料は大人1,500円。高校生1,000円。小・中学生600円。会場面積は15万㎡。
2024年9月22日 胎内市で「板額の宴」が開催されます。板額御前(はんがくごぜん)は城氏一族の女性で、当主・城資盛の姨母といわれている。胎内市の鳥坂城で鎌倉幕府軍を相手に戦った弓の名手。結果、敗れ 鎌倉幕府軍の浅利与一義成(あさりよいちよしなり)の妻になる。
浅利与一は甲斐の国(山梨県) 現在の笛吹市・中央市の人。 詳しくはネット検索してください。
会場は新潟市「みなとぴあ」
「新潟美人と花街 展」が新潟市中央区にある新潟市歴史博物館「みなとぴあ」で、開催されました。
会期は2024年4月13日~6月9日。私は6月7日に行ったのですが、平日にもかかわらず多くの見学者が居ました。皆さん、歴史に関心があるのですね。県外車も数台、駐車場に駐車していました。 展示物は撮影OKでした。展示物をまとめた本は売っていませんでした。もしかしたら、閉展2日前だったので売り切れていたのかもしれません。残念です。
← 私が関心があったのは、この「絵」
(下)芸妓の白山参りの行列 文政2年(1819年) (上)の絵は、(下)の左下の部分。
(上と下) 新潟年中行事絵巻(部分) 19世紀後半。「三月十八日 白山社妓婦参詣之図」
(下)現在の西堀前通五番町に「だっぽん小路」と呼ばれる遊女屋街があった。 天保2年(1831年)
(下)花街での、宴会の様子。
(下)明治前半の、新潟市の芸妓。このような女性が酒を飲む時、相手をしてくれた?