2024年8月27日 新潟市中央区万代島2-4(ピアBandai内)にある 「新潟鮮魚問屋 港食堂」へ。
食べたのは「日本海定食 1,210円」 美味でした。 この「ピアBandai」、一度行ってみたいと思っていました。
平日の午後1時20分、駐車場が空いていると思い行ったのですが、ほぼ満車。すごい人気でビックリしました。
色々な店がありました。野菜や魚を販売している店もありました。品薄といわれている米も販売していました。
2024年8月27日 新潟市中央区万代島2-4(ピアBandai内)にある 「新潟鮮魚問屋 港食堂」へ。
食べたのは「日本海定食 1,210円」 美味でした。 この「ピアBandai」、一度行ってみたいと思っていました。
平日の午後1時20分、駐車場が空いていると思い行ったのですが、ほぼ満車。すごい人気でビックリしました。
色々な店がありました。野菜や魚を販売している店もありました。品薄といわれている米も販売していました。
2024年7月16日~9月23日まで、新発田市の蕗谷虹児記念館で「夢二の美人画展ー阿賀野・二瓶コレクションー」が、地域交流特別企画として開催されています。 竹久夢二(明治17年・1884~昭和9年・1934年)は美人画で知られている。 夢二は笹神村出湯にあった老舗旅館(石水亭 せきすいてい)にも滞在。宿主の二瓶武爾(にへいたけじ)とも交友が深く、二瓶は夢二の作品を多く蒐集。2012年、遺族が夢二の作品を地元の阿賀野市へ一括寄贈。 夢二生誕140周年を記念し、蕗谷虹児記念館で作品を公開。
二瓶武爾(左・31歳)竹久夢二(右・46歳)
(上)の写真は、吉田東伍記念博物館所蔵。 ここでの写真は蕗谷虹児記念館で作成したチラシを借用しました。
(上)の写真は昭和6年に「少年山荘」で撮影。「少年山荘」は何処にある? 写真の3年後に、夢二は亡くなりました。
稲の倒伏 2024年9月3日 阿賀野市笹神地区で撮影。 8月25日夕方の豪雨で田の一部の稲が倒伏。その後、数回の降雨のせいで、稲が倒伏した多くの田が目につきます。この状態で、コンバインで稲刈りするのは大変。米不足といわれている状態で、稲の刈り取りが遅れるのは困る人が多くいます。
吉田東伍 生誕160年記念展
2024年7月30日~11月3日 新潟市中央区「新潟日報メディアシップ 5階」で開催中。
吉田東伍は阿賀野市(旧安田町保田)生。1864年生~1918年没。地主・旗野家の3男に生まれた。明治40年(1907年)、13年かけて編さんした「大日本地名辞書」が完成。収録地名は約4万。
2024年3月2日 新潟市中央区にある新潟県立文書館で(上と下)の講演がありました。
講師の森田真一さんは、群馬県の人で群馬県立歴史博物館 主幹・学芸員。 新潟大学大学院卒。80名が参加しました。
何かで「水原町は山内上杉家」が治めていた・・という文書を読みました。「山内上杉家」というのが理解できなく、上記の講演に行きました。正直、話の内容は良く理解できませんでした。「上杉の時代」を良く知っていないと理解不能(私の知識では)。上杉といえば上杉謙信、上杉景勝くらいしか知らないのに、関東の話や京都の話が出てきます。会場でA4版6ページの資料を貰いました。
ウイキペディアによると、上杉房定(うえすぎふささだ)は永享3年(1431年) 上条上杉家の上杉清方の子として誕生。室町時代中期から戦国時代にかけての守護大名。越後国・信濃国守護。越後上杉家6代当主。 15世紀後半の約46年という長きにわたって越後を支配し、関東で享徳の乱や長享の乱を戦う過程で守護領国を完成させた。 1450年に房定は京から越後へ下向し守護代長尾邦景・実景父子を攻めたあ。府内での政権掌握に成功した房定は京都に戻ることなく、自ら越後の支配に乗り出した。1451年(宝徳3年)3月、下郡の国人に対する示威行動のように弥彦神社へ参拝した。「鎌倉大草紙」には<越後の守護人上杉相模守房定>が永享の乱後の関東地方の混乱鎮圧のために、前鎌倉公方・足利持氏の遺子永寿王丸の関東復帰を長年にわたって幕府に歎願し、これを実現させたと記されている(但し当時の越後守護は房朝である)
享徳3年(1454年)12月に成氏が房定の従兄で山内上杉家の関東管領・上杉憲忠を暗殺したことをきっかけに享徳の乱が勃発する。・・・房定は以後16年にわたって関東に滞在し、各地で成氏方の諸将との戦いに費やすことになる。
・・・文正元年(1466年)2月、房顕が子供を遺さず陣没した。長尾景信は房定の子を後継者に吹挙したものの、山内上杉家中にこの事に反対する勢力との深刻な対立があり、房定はなかなか承諾しなかった。しかし結局は将軍・足利義政の後押しで次男を養子に出すことを承諾、関東管領に就任させている。・・・関東への影響力も増し、実質的に越後上杉家は享徳の乱における上杉方の惣大将になった。
・・・~・・・文明18年(1486年)3月に房定は一国の守護としては破格の待遇である従四位下相模守に任じられた。・・・明応3年(1494年)10月17日死去。享年64歳。家督は末子・房能が承継した。
※笹神村の山浦家(笹岡城)は越後上杉の一族。 ※笹岡の千坂は上杉の部下 ※講師の森田真一さんは、「笹神村史 通史編 2004年発行」で、(戦国の動乱)を執筆。上杉家の説明が記載されています。ほかに5冊、著書・共書があります。 ※「善照寺文書」とは刈羽郡刈羽村寺尾に所在する真言宗寺院。約40通の中世文書群。
山内上杉家(やまうちうえすぎけ)→ 室町時代に関東地方に割拠した上杉氏の諸家のひとつ。上杉氏4代当主・上杉憲顕(初代関東管領)に始まる家で、鎌倉の山内に居館を置いたことに因む。 室町幕府の初代将軍・足利尊氏の生母・上杉清子は上杉家出身(2代当主・上杉頼重の子)であり、上杉家は室町幕府の重職・関東管領を世襲した。上杉氏は公家である藤原氏の支族であるが、武家の足利将軍家との姻戚関係を背景として、室町時代を通して関東で勢力を拡大した。15代当主・上杉憲政は北条氏康に敗北し、長尾家出身の長尾景虎(のちの上杉謙信)に上杉家の家督を譲った。景虎は関東御征西に赴き、10万の軍勢で小田原城を包囲した。その後、北条氏の息子を養子に取り、自分の名・上杉景虎を与えている。豊臣政権の五大老の一人であった17代当主・上杉景勝は、関ヶ原の戦いで西軍に付き敗北し出羽国米沢に移転・減封されたが、幕末まで大名としての地位を維持し、明治時代には華族に列して伯爵を授けられた。 ※水原町に水原常陸介親憲がいた時代、水原城(館)より、笹岡城の方が格が上だったようです。
(上と下)2024年7月4日 新発田市天王で行われた「天王祭 てんのうまつり」で、「ぽっぽ焼き」10本を買いました。
懐かしい「昔の味」でした。
春、コメリで買った水草。本日 8月27日、咲きました。 ※残念ながら、翌28日の朝、しおれていました。1日限りの開花?
8月31日追記 この水草、名前は「ホテイアオイ(別名・ホテイソウ)」で、南アメリカ原産だそうです。
アメリカのヒマワリの種(食用)
アメリカ旅行から帰国した知人の土産、ヒマワリの種。アメリカの大リーグ、ドジャースの大谷選手がホームランを打った時にベンチの皆から顔にかけられるヒマワリの種。種は食用で、貰ったのは塩味。数種類の味があるけれどオーソドックスな味は、塩味とか。ベンチ内ではガムやガムの代わりに食べられているそうです。現地ではコンビニでも買えるとか。ネット検索すると楽天で売っていました。そんなに安くないです。種の大きさは約1.7㎝。外側の殻を口の中でとり実(約8㎜)を食べます。結構美味しかったです。
(上・左)早津剛「魚野地の家、北魚沼郡堀之内町にて」
上の写真は、ガラスの入っている額の上から撮影。水墨画 6号 新潟伊勢丹で購入
絵31×40㎝、額50×59㎝ 1987年(昭和62年)11月28日 60,000円で購入
早津剛(はやつ・つよし) 南魚沼市(六日町)生まれ。新潟大学教育学部卒業。元教師。消えゆく、かやぶき民家を県内外に訪ね、描き続ける。2007年、県知事賞表彰(芸術・文化)。各地で個展多数。新潟日報社から数冊(6冊?)の画集出版。 2014年8月30日の新潟日報の記事によると当時の早津剛さんは75歳。40余年にわたって、主にかやぶきの伝統的な民家を描き続け、その数は1,000枚を超える。集団離村があると聞けば訪ね、ダムができると知れば駆けつけ筆をとる。年を追うごとに速度を増して消えていくかやぶき民家を画布にとどめる作業は、時間との闘いでもある。以下、前記の新聞記事をお読みください。自宅に併設された「早津ギャラリー」には、すでに失われたしまった1,000余の風景が大切に保管されているそうです。
(上・左)油絵「辻又の家、南魚沼郡大和町にて」
絵・早津剛 絵15×22㎝、額32×39㎝ 1992年(平成4年)4月30日 新潟市の「伊勢丹」から10万円で購入
(上・左)水墨「魚野川と越後三山」
絵・早津剛 絵24×27㎝、額41×44㎝ 1992年8月23日 早津剛さんの自宅ギャラリーで購入
複製画 4,000円 自宅で奥さんから1階ギャラリーと2階の絵の保存室をみせてもらった。
ホームページから(一部紹介) 早津剛 1938年 旧六日町に生まれる。
1960年 独立展入選。 1961年 新潟大学教育学部芸能科卒業。1966年 東京で個展
1971年 個展(新潟・長岡・上越市など) 1975年 個展(新宿伊勢丹)
1987年 「早津ギャラリー」を自宅で開設
2003年 新潟市北区「水の駅ビュー福島潟」で個展
現在「早津ギャラリー通信」というブログ発信をされています。検索してお読みください。2月11日現在、1月22日の話題が写真入りで投稿されています。
(下)2023年、胎内市で開催される早津剛さんの、個展のポスター
(上)「伊根の家」 京都府与謝郡伊根町 1996年の作品
2024年8月31日から見附市で「早津剛 展」を下記のように開催。「ギャラリーみつけ」のパンフレットをお借りしました。
上の写真は「久田の家 1989年 出雲崎町久田 91×116.7㎝」
(上左)魚沼市横根の家 1974年 91×116.7㎝ (上右)長岡市摂田屋町 機那サフラン酒本舗 2000年 91×116.7㎝
時間があれば、ぜひご覧ください。
阿賀野市の「水原まつり」 2024年8月24日(土)開催 午後7時から民踊流し。 午後7時30分から「ザ・灯篭来舞」
※民踊流しは約400人が参加した(8月31日の新潟日報の記事から)
8月25日(日) 瓢湖で大花火大会 午後7時30分~午後8時30分(雨天順延) 司会・なぐも友美
※8月25日 夕方、雷雨が発生。 花火大会は8月26日に、順延になりました。打上げ花火は1,500発。
← 8月25日夕方の雷雨で倒伏した稲。豪雨でした。
(下)8月26日に打ち上げた「阿賀野市大花火」。綺麗でした。混んでいる場所が好きでないので、遠方から撮影しました。
(下)阿賀野市大花火大会、市民花火の参加者募集のチラシ 1口 2,000円
1990年当時、私が欲しかったビデオカメラ。双眼鏡のようなスタイルが魅力的でした。一度、電気店で触ったことがあります。