医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

続・美月:ラプラスの魔10

2008年02月10日 07時29分48秒 | Weblog
 地球上には夜がまんべんなく順繰り訪れますので、常にどこかには夜が来ているわけで、そうなると常に誰かは眠っている話ですから、ひょっとして睡眠が何か「集合的無意識」に関連しているのかな・・・。

 

 その通信能力を持った偉人・天才として、挙げられているのが

ソクラテス

アレクサンダー大王

ジュリアス・シーザー:ご存知古代ローマ、いやイタリアの生んだ最高の政治家にして軍人

ジャンヌ・ダルク:フランスの国民的ヒロインで、イギリスとの百年戦争でフランスの勝利に貢献、異端として火刑に遭う

モリエール:フランスの劇作家、フランス古典主義3大作家の一人

ナポレオン・ボナパルト

ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ:ドイツベルリン出身の医師にして、生理学者・物理学者のマルチ科学者。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

アルフレッド・ノーベル



 本書によれば、みな癲癇(てんかん)患者であり、魔であったのだ、と。

 いずれも西洋人ばかりですが・・・。




 しかしこんな凡人でかつ癲癇に罹患既往のない僕でさえ、幼き頃、夜一人で眠る際に、自分でないもう一人の心の自分というのがいて・・・

 現実社会では僕の肉体を借りているだけで、その心というか、意識というか、コントロールする自分は別の場所にいるのだ、という感情を幾度となく、それこそ毎日のように持ったことがあります。

 寝ている自分を上から見下ろすような、言ってみれば疑似幽体離脱現象だったり、息をさせている心の僕と、している肉体の僕が別で・・・。

 心(意識)と肉体の乖離現象ですな。

 これは単に脳の発育というか、電気神経学的な回路の未熟さが起因しているのでしょう。

 ですから、みなさまにもこのような経験を持つ方がたくさんいらっしゃると思います。

 しかし、子どもは現実社会で常識とされていることに馴染んでいない分、ピュアであったために、案外、「集合的無意識」にアクセスできていたのかもしれません。

 この体験が43歳の今でも強く残っているから、この手の本に惹かれるのかな~?

続・美月:ラプラスの魔9

2008年02月09日 20時57分47秒 | Weblog
 さらに本書では、脳組織の「右側頭葉、海馬、副辺縁葉の3つが組み合わさったものが、体外離脱体験と関係している」とまで語られております。

 ちなみにこの「海馬」・・・

 最近では、ノーベル医学・生理学賞(1987年)を受賞した米マサチューセッツ工科大(MIT)の利根川進教授らのグループが、「海馬」はスポーツの技量のように何度も練習して身に付ける記憶ではなく、1度の経験で形成される記憶に関係している、とサイエンスに投稿し話題になりました。

 生きたマウスの脳の特定の神経回路を自在に遮断したりつないだりできる技術、「DICE-K」を開発して導いたそうです。



 また本書の登場人物である科学者が語るのですが、

「すべての物質を構成いている12のクォークと12のレプトンのうち、この宇宙に存在しているものはほんのわずかに過ぎない

そのほかはまったく存在していないか、10億分の1秒後には消えてしまう

現代物理学者の多くは、それらが別の宇宙に存在していると信じている

いわゆる並行宇宙、もしくは非局所的現実

これらはわれわれの宇宙と同時に存在しており、物理的性質がまったく違う

こうした並行宇宙はわれわれの宇宙のようにクォークとレプトンから構成されているのではなく、他のレプトンのペアでできている」





 で、作者の仮説が、「右側頭葉が、われわれ人間の意識と非局所的現実の交流を可能にする」ということなのです。

 う~ん・・・。

 並行宇宙があっても現時点で不思議ではありませんが、それが他のレプトンのペアでできているのかどうかは分かりません。



 
 著者の理論では、ラプラスの理論は完全ではなく、過去については正しいけれど、未来に関してはすべてを言いあてているわけではない、

 未来は単一のものではなく、無限にあり、(ラプラスの悪魔は)起こりうるすべての未来に起きる「すべて」を知っているのだ、と。



 僕たちも体験する、「既視感」(デジャブー)は過去にいたときに見た未来の記憶である、と。

続・美月:ラプラスの魔8

2008年02月08日 08時14分50秒 | Weblog
 ここで拙ブログの「美しき月の存在」でも出てまいりましたが、本書でも「東洋哲学」が登場します。

 本書によれば、

「宇宙はエネルギーだ。

宇宙において人間の心は基本的に一つ。

仏教とは万物は永遠ではないと信じている。

仏陀はこの世界の苦しみはすべて人間が一つの考えや物に執着することから生まれると説いた。

人はあらゆる執着を棄て、宇宙は流れ、動き、変化するものだという真理を受け入れるべき」

とされております。

 また、東洋哲学では、「時空とは意識の状態の反映」と出てきます。

 「仏教とは対象を物としてではなく、つねに変化していく宇宙の動きと結びついた動態過程とみなす。

 物質をエネルギーとしてとらえている」とも。

 さらに、拙ブログでは韓国の太極旗でも説明しましたが、本書でも、道教信者(タオイスト)もまた「宇宙の動態変動を信じている」、と書かれております。

 「道教信者は宇宙のことを、「気」と呼ばれるエネルギーのシステムと考えている

このシステムは常に変化し、流れている

一人ひとりの人間は全宇宙の中の構成分子、もしくはエネルギーの一部に過ぎないと考えられている

「易経」では安定した状態は陰と陽の間で調和が取れているときのみ達成される」

 と本書でも東洋哲学と、量子力学の共通事項について述べられます。



 確かに東洋思想は物質というか、宇宙をエネルギーと考えておりますが、仮に物質がエネルギーだとしても、物質と思考が結びついて、無意識が永遠だという作者の主張とは関連性が低いと思います。

続・美月:ラプラスの魔7

2008年02月07日 06時32分35秒 | Weblog
 また、ここで、本書によればすべての「思考」は、脳の中のニューロンが電気的なシグナルを発することで生み出される、と。

 それは正しいと思います。

 著者は続けます、「すべての物質がエネルギーであるように、すべての思考もエネルギーだ」、と。

 どうなのでしょうか?

 ゆえに、「すべての物質と思考は互いに結びついている」!と。

 これは飛躍しすぎだと思いますが。

 「そこから導き出されるのが「集合的無意識」である」と。

 その論理もわかりません。



 「集合的無意識」は本書によれば、「現在、過去、未来にわたってこの地球上に存在したすべての生物の無意識が共有されてつながったものだ」、とされます。

 「集合的無意識」が仮にあったとして、現在や過去の無意識が共有されていたとしても、物質と思考が結びついていても、だからといって、その無意識の中に「未来」に起こることの全情報があるとは限らないと思うんですが。



 で、著者いわく、「光速よりも早い唯一のものは思考のスピードだ」、と。

 「とくに無意識の思考だ」、と言いますが、実際どうなのでしょうか?

 思考のスピードと、光速の秒速30万kmは比較できる対象なのでしょうか?

 粒子が光速に近づくと、静止状態に比べて時間の流れは遅くなる、ゆえに「無意識は永遠、無意識は時間を超越する」、

としているのですが、前半は正しいと思いますけど、後半はどうなのでしょうか?

 思考が速いために、時間の進み方が遅くなり、だからまわりの時間が相対的に早くなり、それで未来が予見できるということでしょうか?

続・美月:ラプラスの魔6

2008年02月06日 12時40分25秒 | Weblog
 話はそれますが、本日のAP通信によりますと、マハリシ・マヘシュ・ヨギ師(インド出身のヒンズー教指導者)が、2008.2.5.にオランダで死去したそうです。

 ビートルズで僕が大好きな曲、「Across the Universe」で、とっても不思議なフレーズ、~Jai Guru De Va Om~(ジャイグルデヴァオム)に深く関わることなので、後でやりましょう・・・乞うご期待。




 さてさて、物質の構成因子である素粒子は、時空のある特定の場所に位置しているわけではなく、波として存在している、というのは量子力学の言うとおりです。

 またアインシュタインによって、すべては相対的に存在しているに過ぎない、どんなものも完璧な位置を持っていないばかりか、完璧な年齢も持っていない、つまりは時間すら相対的だ、ということが証明されました。

 さらに本書では続いて、すべての物質の基本成分である素粒子(クォーク)について述べられますが、素粒子については拙ブログでも「美しき月の存在」で触れました。

http://blog.goo.ne.jp/ag-clinic/e/6b93cead83983e425a326c29607eb9ee

 本書では呼び名が若干違うのですが、12種類のクォークについて、

上方(アップ)
下方(ダウン)
魅力(チャーム)
奇妙(ストレンジ)
真実(トゥルース)
美人(ビューティ)

 それに、そのそれぞれの反素粒子があると記載されております。

 そして著者によれば、「クォークには12の違うタイプがあるが、現実世界の物質はすべて、アップとダウンの二つ、それにレプトンというクォークに似た素粒子だけから成り立っている」、とされております。

 ところが、著者によれば、「クォークとレプトンは実際には物質ではない」、と。

 では何かといえば、それは「エネルギー」であるとしております。

 素粒子は波の性質も持つわけですから、エネルギーだといえば、エネルギーかもしれませんが・・・粒子でもあるはずですけど、どうなのでしょうか?

 であるならば「量子力学によれば、物質は現実には存在しないことになる」、と話が飛躍します。

 で、アインシュタインも悩んだ「月の存在」ですが・・・存在してますよね、きっと、たぶん・・・。

 「古典物理学が物質と考えていたものは、原子からできている元素の合成物であり、その原子はクォークとレプトンからできている」と本書は続きます。

 つまり著者は、であるからして「物質はエネルギーだ」と主張します。

 ん~・・・物質は物質でしょ。

続・美月:ラプラスの魔5

2008年02月05日 10時57分17秒 | Weblog
 深層心理や夢分析で有名なユングは無意識を3つのカテゴリーに分類しました。

1. 任意に引き出せる個人的な記憶:じっくり考えれば無意識の中から引き出せる、長期記憶

2. 任意には引き出せない個人的な記憶:今では思い出せない記憶、記憶の底に封印した子ども時代のトラウマ

3. 【集合的無意識】:一度として意識化されない、起源がまったく分からない

 だそうですが、ここからが著者の理論の白眉で、量子力学によって否定されてしまった「ラプラスの悪魔」と、このユングの「集合的無意識」とを、精神医学を使って結び付けているところです。



 著者によれば、生物には僕たちが「本能」と呼んでいる能力があります。

 「卵からかえったばかりの魚は、どう泳ぐかを知っている」ということです。

 その生物の「本能」に対し本書によれば、

 ☆生物学者:そういった知識はDNAにプログラミングされている

 ☆物理学者:生物の遺伝的知識は「意識」に起源を持つ

と考えているとのことなのです。

 本書では、「生物学者のこれまでに探り当てた事実はどれも、経験的知識は子孫には受け継がれないことを示している」、と断言しております。

 果たして本当なのでしょうか?

 仮にそうだとしても、だからといってその物理学者の言うように、本能が意識に起源を持つことにはならないと思います。

 しかも、どの物理学者が何を根拠に意識に起源を持つといっているのでしょうか?

 また意識に起源を持つということは抽象的だし、では具体的に起源を持つとはどういうことか、本能と意識とがどのように関連があるのでしょうか?

 しかし、以前から申し上げている通り、泳ぐときの筋肉の使い方だとか、口から食物を摂るのだ、呼吸はこういう風に行え、などという生命の維持に必要な経験的知識のすべてが、確かにDNAに網羅されているとはとても思えません。

 また本能ばかりか、一つの胚細胞から、骨や肝臓細胞や、毛髪や、ありとあらゆる細胞の分化やその細胞が作る臓器の設計図がDNAに書ききれてあるとも思いにくいし・・・

 ひとたび成長してからだって例えば、やれ細菌が進入してきたら、白血球が情報を取り込み殺菌を試み、リンパ球がその敵の情報を形質細胞に伝えて、形質細胞が抗体を産生し、死滅したら貪食細胞が処理を・・・

 肝臓は、腎臓は、心臓は、脳は、皮膚は・・・

 といった具体的な無数の働きや振る舞いまでもが、あんなちっちゃなDNAに書ききってあるとも到底思えません。

 細胞間で未知なる何らかの情報伝達が行われない限り。

 その全宇宙の情報や、生物の本能と呼ばれている情報、ありとあらゆる情報が、この集合的「無意識」に潜むというのが著者の主張です・・・たぶん。

 本書内に断言はされてはいなかったように思いますが、生物の本能は、睡眠中にこの集合的無意識にアクセスされて、得られている、と著者は考えているようです。

 一方でユングはオカルト主義的傾向が問題視されることもあり、「集合的無意識」も一般の生物学の知見とは相容れない概念であり、20世紀の科学から離脱して19世紀の自然哲学に逆戻りしてしまったという批判があることも知っといたほうがよいでしょう。

続・美月:ラプラスの魔4

2008年02月04日 08時30分19秒 | Weblog
 しかし、19世紀のはじめ、若干31歳にてノーベル賞を受賞した、ご存知ドイツのヴェルナー・ハイゼンベルクが登場します。

 賢明なるみなさまはすでに、ハイゼンベルクが不確定性原理を提唱し、「物理粒子は観察されない限り特定の位置を持たない」「すべての粒子の正確な位置(と運動)を知ることは不可能」だ、ということを主張された量子力学者だということはご承知のことと思います。

 従いまして本書の展開だと、このハイゼンベルクの登場によって、特定の位置を持たない上に正確な位置を知ることができないのであれば、当然正確な未来もわからなくなるわけですね・・・。

 ホンマかいな?

 つまり量子力学により、ラプラスの魔については、一応の決着を見たようなのです。

 一応の、というのは、その理屈はあくまで素粒子の話であって、元素によって成り立つ、この世のというか、現実のというか、あくまで人間レベルというか可視領域でも、その理屈が成り立つのかどうか、僕自身には分からないからです。

 この点に関しては、著者にはまた異なる理屈があるようですが、後ほどにしましょう。





 さて、では全宇宙の情報という問題ですが・・・。

 ここで本書に登場するのが、「集合的無意識」という言葉です。

 これは20世紀なかば、ドイツの精神医学者カール・ユングが唱えた概念です。

 本書によれば、人間は毎日8時間睡眠をとるとすれば、少なくとも人生の三分の一は無意識で過ごすことになります。

 余談ですが、この「睡眠」についても、脳細胞の障害の修復機能だとか、記憶の再構成など高次脳機能にも深く関わっているとされますが、現代科学は完全には解き明かせておりません。

 なぜ人生の1/3も無意識で過ごすのだろう?

 単に体を休めるためなら、有意識下に横になっていればいいわけだし、そのほうが敵に襲われても逃げやすいですが、無意識では敵に対しあまりに無防備です。

 逆に眠っていても心臓などは一生動き続けているわけだし、睡眠によって脳の電気的な疲労やスパークを取るためだとしても、睡眠中でも脳は脳波上電位がゼロになるわけでもなく活動してるし・・・

続・美月:ラプラスの魔3

2008年02月03日 08時16分05秒 | Weblog
 そして、シモン・ピエール・ラプラスという、同じくフランス人数学者がその後登場しました。

 確率論と天文学が専門であった、ということです。

 著書には、「天体力学」「確率の分析的理論」などがあるそうです。

 彼は、自然界における現象はすべて分子間に働く力を研究することによって理解できる、としたそうです。

 ラプラスの「確率の哲学的試論」によれば、





≪今この時点で自然を動かしているすべての力を理解している知性が存在するとしよう。

この知性は、自然を構成しているすべての存在物が、今どのような状況にあるかも知っている。

さらに、この知性にはそうした情報をすべて分析する能力がある。

以上のような仮定に立った場合、この知性はあるひとつの方程式を用いて、巨大なこの宇宙そのものから、微小な原子にいたるまで、すべてのものの動きを知ることができる。≫





とのこと。

 で、この【知性】が今回のテーマ、「ラプラスの(悪)魔」の正体です。

 ポケモンにもラプラスが出てきますが、無関係です、ちなみに。

 そしてこの魔性の知性にとって不確かなものは何一つなく、未来は過去と同様に、その目には現在のことのように映る、というのがラプラスの仮説です。

 改めて思いますが、やはり、フランス人ってのは、優秀な偉人が出るものなのだなあ・・・。

続・美月:ラプラスの魔2

2008年02月02日 06時16分56秒 | Weblog
 そもそも本書の「数学的に・・・」、というのは数学の「確率論」と「統計論」が基礎にあり、そこに量子力学と、意識・無意識、精神医学がからむという構図において、極上の知的エッセンスを楽しみながら・・・

 加えて例によって、このところの流行りモノである、主人公の味方で美しきロシア生まれのアメリカ情報当局諜報員と、主人公を狙う悪の一味とが、猛烈なスピードでドンパチを行うという・・・

 もはやお約束でお決まりのジェットコースターに読者は乗りこむわけです、ハイ。

 でもご安心あれ、数学アレルギーや文系の方でも、十分に堪能できる内容です。



 本書によれば、18世紀初頭のロンドンにアブラハム・ド・モワブルというフランス人がおりました。

 「偶然の法則」の著者だそうです。

 彼が「確率論」の礎石であると作者は言います。

 しかも彼は「偶然」を信じていなかった、と。

 つまり、僕たちが日ごろ経験する、道でばったり、偶然の出会いは予言できる、というのです。

 驚くべきことに、外出先で「たまたまばったり」というものは、決して偶然なんかでない、とのことです。

 僕たちが、でたらめにどこかへ行ったわけではなく、どこへ行こうが、物理的、感情的、心理的な力を行使した直接の結果だ、とモワブルは主張したと。

 人間の心や筋肉の動きをすべて計測できるコンピュータに、二人が出会うまでの数時間の環境条件をすべて入力すれば、どこでどんなふうに出会うかを正確に予言できるのだ、と著者は言います。

 それだけのコンピュータが世の中にないだけである、と。

 ん~、そうなのか??

 仮にそんなパソコンがあったとしても、その情報の収集と、打ち込み作業を考えると、作業の途中でその未来が来てしまったりしないものかと余計な心配が生じ、決して現実的ではないとも思えますが、あくまで理論の話。

続・美月:ラプラスの魔1

2008年02月01日 10時05分03秒 | Weblog
 今回のテーマには触れるか触れまいか悩んだのですが・・・。


 「数学的にありえない」アダム・ファウアー著 矢口誠訳 ~文藝春秋~

を読みました。



 だいぶ昔(2006年)に流行った本ですが、昨年の年末になってやっと読めました。

 で、感想・・・いや~、参った、参った。

 読んでなるほどな、と思うと同時に、ありゃりゃ、ヤバッ!拙ブログと、マジかぶってるな・・・と思ってしまいました。

 「数学的にありえない」は、人間の予知能力に対する作者の仮説を、量子力学と意識・無意識や情報・本能、それから精神神経医学をからめながら、数学確率的に展開されます。


 拙ブログでは今までに、量子力学に対し、クズみたいな素人ブリブリの稚拙な自分の疑問をやりましたし、人間の意識や情報交換の謎については、

ドグラマグラ(2006年1月18日):細胞間の情報交換について、

信仰の美風と遺伝子(2006年8月):脳内のモノアミンについて、

百年の孤独(2007年1月31日):マジックリアリズムと意識の流れ・揺らぎ、「無意志的記憶」や「内的独白」を、

D.ボウイのときには、バロウズによるカットアップについて(2007.2.24)などでクドクドと述べてまいりました。


 本書を読みまして、拙ブログで披露している自分の疑問ももっともなんだと(勝手に)自信を持つ一方、こっちを先に読んでから、量子力学や意識の問題に触れればよかったなぁ、と。

 でありますので、今までのテーマを本書から作為的にぱくったわけではなく、単に僕が怠け者のため本書は読んでいなかっただけで・・・

 という見苦しい言い訳をしなければならないほどのかぶりよう・・。

 あたかも本書を先に読んでいて、本書に触発されたくせに自分の疑問のように量子力学や素粒子に宇宙、意識の問題を取り上げたわけではなく、常々疑問だと思っていた内容に、今回読んでみたらこの小説がどっぷり拙ブログにストライクだっただけですので・・・

 ご容赦くださいっ。

 って、自意識過剰なだけ???