医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

エッセネ派神殿の美12

2007年06月06日 10時54分36秒 | Weblog
 ユダヤ教は、マカバイ家=「ハスモン家」から分裂して、庶民派の「ファリサイ(パリサイ)派」、富裕層・神殿祭司層の「サドカイ派」、そして問題の禁欲的な『エッセネ派』が生まれます。

 紀元前20年には、ローマ公認のユダヤ王、ヘロデ大王によって完全改築に近い形で大拡張された神殿、つまり「ヘロデ神殿」が造られました。

 それからイエス・キリストが誕生して紀元後になっていくわけですが、イエスの一家は、新王誕生を恐れたこのヘロデ大王による幼児虐殺を避けるために、エジプトに一時避難した・・・という説が生まれるわけです。

 ヘロデ大王の死後、エルサレムはユダヤ属州となり、ローマの直轄となりました。

 キリストが、そのエルサレム神殿内で商いをしていた商人に対して暴れたことはつとに有名ですが、イエスも何か特別な理由があってエルサレム神殿を否定していたのでしょうか、それとも額面どおり神で商いをするなということなのでしょうか?

 またエッセネ派も、エルサレムの世俗的で、かつローマ人によって辱しめられた神殿を認めず、あるいはクムラン教団が第二神殿を認めなかったことにも、何か関連があるのでしょうか?

 いずれにせよ、ユダヤ教にとってのエルサレムの神殿は、ソロモン「第一神殿」、再建された「第二神殿」、拡張された「ヘロデ神殿」があったわけです。



 そして、キリストが約束の地で活動を行いますが、これが(僕的には)世界史上最大のミステリーです。

 正確かつ詳細、客観的記録がなかったのです、「死海文書」発見までの今までは・・・。



 その後ローマとユダヤにおいてユダヤ戦争が起きて、ローマ人によってエルサレムが陥落し、紀元70年には、な、なんとローマ人による「神殿の破壊」が行われました。

 ユダヤ人から見れば、エルサレムがソドムやゴモラ(どちらも創世記に出てくる、死海に沈んだ天に滅ぼされた都市)と化してしまったわけで、異教徒のローマ人は悪魔の手先かキッティームか、というところでしょう。