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チラシの裏

ミンコット荘に死す

2014年11月04日 | ミステリ
レオ・ブルースは、幻の本格作家という触れ込みで
かつていくつかの出版社からハードカバーで作品が出ていました。
何冊か読んでみたのですが、どれも「プロットは面白いけれど小説として今イチ盛り上がらない」。

「ミンコット荘」で読んでその理由が分かったような気がします。
レオ・ブルースの作品には推理とミスディレクションが無いのではないか。
最後に探偵が説明する謎解きには意外性があってヒネリも効いているのですが、
探偵(ビーフやディーン)は著者の分身としてプロットの説明をしているだけ。
探偵が真相にたどりつくための「きっかけ」も推理過程も無い。
その「きっかけ」こそ、乱歩がいう「発端の怪奇性」
(怪奇性を文字通り『怪奇』ととらえてしまったことが探偵小説の衰退につながった、
という話はさておき、理屈に合わないことの意)のはずです。
しかも「きっかけ」がミスディレクションの裏返しになることは自明の理。
レオ・ブルースに推理とミスディレクションがあれば、黄金期の巨匠にひけをとらない作品を書いたかも。

クイーンの論理アクロバット(クイーンは学者になりたかったのでは)、
カーの冒険小説風ストーリー(ワトソン役の青年としてチャンバラやラブコメを演じたかった)、
クリスティの緊張感をはらんだ人間関係(クリスティは高みからそういう人間たちを観察したかった)など、
作家の識閾下の欲求が作品に反映されるとしたら、
レオ・ブルースは緩い人間関係の中で、可愛い少年を脇において自分の知的優越感を満足させたかった、
のかもしれません。
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