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チラシの裏

放送禁止歌手 山平和彦の生涯 その2

2012年06月22日 | ノンフィクション
偉そうなことを書いてしまいましたが、
結局個人的な思い出とリンクしているので、
書かずにはいられないというわけなんです。

ライブリストを見ると、うちの町にも山平和彦とマイペースがやって来ていました。
いまはもう無くなってしまった、旧勤労会館でライブをやっていたようです。
ここには高田渡も来たことがあって、見に行った友人によると泥酔して歌っていたそうです。





後半に登場するJAPというバックバンドの関係者で、エリザベスというバンドが出てきます。
巻末には唯一のシングル盤のジャケットも掲載されていますが、
このエリザベスを偶然にも高校1年のときに見たことがありました。

金山駅が総合駅になる前、名鉄金山橋駅の少し先にヤマハ金山(いまの金山センターとは別)がありました。
当時、ヤマハのビルは最上階がコンサートホールになっていて、
この金山のヤマハもそうでした。
なぜ金山のヤマハへ行ったのか記憶にありませんが、
ホールを覗くとライブをやっていたので、見ていくことにしました。
それがエリザベスでした。

オフコースとチューリップを足して5倍に薄めたような音で(ごめんなさい)、
ES335を弾きながら歌うボーカルがバンマスらしく、MCもこの人が担当していて
「ピックガードが取れたんだけど、部品を持っている人いませんか」
などと無茶な客いじりをしていたなあ。
4人編成でサポートメンバーのキーボードが一人、
この人を紹介するときに「フィリピン人のように見えますが本当は日本人です」と、ヘンな紹介をしていました。
翌日、学校へ行ったときにクラスメイトにこの話をしたら、
かれが「そのキーボード弾き、うちの兄」と言われてめっちゃくちゃ驚きました。
元気かなあ、○○君(名前が思い出せない)。

そのJAPというバンドを組む人が、その前にやっていたスーパーマンというトリオ編成のバンドが出てきていますが、
トリオ編成と書かれているわりにドラム、ベース以外のメンバーが出てきていません。
残りの一人はギターだったはず、というのは、そのギターの人とアマチュアバンドを昔一緒にやっていました。
そのおじさんから聞いていた話と符号するので
(野口五郎と同じ事務所にいた、※正確には事務所の若い人に世話になっていた)、
おじさんの話はウソじゃなかったんだなあ。
Aさん元気ですか。
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