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ロンドン・アイの謎

2025年06月04日 | ミステリ
『ロンドン・アイの謎』 シヴォーン・ダウド 創元推理文庫
訳者の越前敏弥が強力に推していた作品。
作者はミステリ作家ではないし、この作品を書いて急逝してしまったので、ミステリ作品はこれ一作だけらしい。
トリックだけ取り出せば、人間消失の謎はあまりに肩透かしなのだが、
プロットのツイストと伏線の配置の仕方はクリスティの傑作に匹敵すると思う。
伏線はキャラクター描写の中にさりげなく埋め込まれ、その伏線が解決される直前まで、
伏線自体を読者の目から逸らせる筆力に、まずは脱帽すべきだろう。
ミステリとして悪(人)が登場しないことに不満があるという意見をどこかで見たが、作者の視点はそこではないはずだ。

白状すると、語り手の少年がある種の症候群らしいことに若干読む気を無くしていたのだが、
途中で語り手の性格設定そのものが大きなミスディレクションなのでは、と疑問を持ったところから俄然おもしろくなってきた。
そういった症候群の人たちの言動を、われわれ(※)は真剣に受け止めているのだろうか。
もしかすると、聞いているように見せかけてじつはなんの重要さを認めていないのではないか。

※われわれ=症候群の人たちよりは若干ながら社会的適応のできる人間たち

その描写は本作中の、主人公の家族や同級生、いじめっ子たちも同様である。
そうでないのは、消失した子と警部だけだろう。

つまり症候群の子が語る「どうでもいいこと」の中に重要な伏線を潜ませておけば、
「無意識にそういった人たちを下に見る人々」は伏線に気づかない、と作者は考えたに違いない。
最後に警部が「彼(主人公)が謎を解き明かした」と告げたとき、誰もが驚いたわけはそこにある。
仮に「無意識の蔑視」を悪としたら、登場するほとんどの大人と読者の中に潜む「悪」がそこで暴露され、罰せられる。
悪は犯人という形をしているとは限らない。
大人たちが彼(主人公)のことをまじめに取り合っていれば、もっと早く事件は解決していたかもしれない。

最後の最後にもう一つの謎を解いたあと、彼(主人公)の解いたその謎によって、
一人の大人が解雇され、別の大人はタバコを止めることになった。
彼の言葉で大人が動いたわけだ。

そして廃墟のビルが壊されて今までに見たことのない光景が見える、という場面は、
主人公の成長を祝う描写として秀逸だと思う。
なにせ彼は事件中、電話を使って相手に自分の意見を伝えることができたのだ。
一回目は失敗、二回目はかろうじて、三回目に警部への電話が成功する
(警部への電話番号を記した名刺が暖炉の上にある、という描写を忘れないように)。
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